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札幌道警ヤジ排除問題と表現の自由

【安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした人物が警察官に強引に移動させられた。この排除を不当として起こされた訴訟。表現の自由をめぐる裁判所の判断は?】

山﨑裕侍(HBC北海道放送 報道部デスク)

 法廷には不思議な光景が広がっていた。裁判長が判決を言い渡して退廷する際、原告側と傍聴席で拍手が沸き上がったのだ。スタンディングオベーションのように拍手は10秒ほど続いた。

 数分後、原告の一人、桃井希生さん(26)は裁判所前で待ち構えていた報道陣に向けて旗を大きく掲げた。「ヤジ排除は(違憲)違法」。原告側の完全勝訴だった。普段は冷静なもう一人の原告、大杉雅栄さん(34)は興奮気味にカメラに向かって語った。

 「排除は不当なんだ、ヤジを飛ばすことは表現の自由の一部なんだということをはっきり明言してくれたので、本当に嬉しい判決です」

 2019年7月15日、安倍晋三首相(当時)が参議院選挙での街頭演説中、「安倍やめろ!」「増税反対」などとヤジを飛ばした大杉さんと桃井さんを警察官がその場から強引に移動させた。2人は警察官によって違法に排除されたとして道に対して計660万円を求める損害賠償を求める訴えを起こした。

 今年3月25日、札幌地裁が下した判決は画期的だった。道警側は口頭弁論で、大杉さんや桃井さんがヤジを飛ばしたため周囲の聴衆から怒号などが上がり、小競り合いから犯罪が起きる緊迫した状態となったため、2人を避難させたり制止させたりしたと主張した。しかし判決は現場の様子を撮影した動画を証拠として採用し、道警側の主張をことごとく退けた。

 「当時の動画上、『お前が帰れ』『うるさい』などの発言が全く録音されていないのは、不自然と言わざるを得ない」

 「動画によれば、原告が声を上げてから、実際に(警察官が)原告の肩や腕を掴むまで10秒程度であって、そのわずかな間、原告と聴衆の間で騒然となったり、小競り合いが生じたりしたようには、うかがえない」

 ヤジ排除を違法だったと認め、道に計88万円の賠償を命じた。さらに「とりわけ公共的・政治的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない」と指摘し、「いささか上品さに欠けるきらいはあるものの、いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論をまたない」と述べ、道警は表現の自由を侵害したと断じた。

問われたメディアの姿勢

 道警ヤジ排除問題はメディアの姿勢も問われた。積極的に報道し道警を批判する社、提訴など動きがあればニュースとして取り上げる社、ほとんど報じない社。

 ニュースの価値判断は自主的であっていい。だが権力への忖度が影響しているのだったら恐ろしい。なかには原告の主張よりも道警側の主張を大きく扱ったり、検察の方針をいち早く「独自」と報じる社もあった。ぼくは思った。まるで道警の広報だな。

 「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない」ジョージ・オーウェル

 有名な言葉だが、実践は難しい。ヤジ問題の報道を続けようと決めたとき、懸念があった。相手は道警という巨大組織。事件や事故といった日々のニュースの取材相手だ。道警キャップ時代、警察幹部への夜討ち朝駆けで独自ネタを出した一方で「トク落ち」の恐怖も味わっている。

 トク落ちとは警察から容疑者を逮捕する情報を事前に入手した社が一斉に報じる中、自分たちだけが知らずに「特別にネタを落とす」ことだ。道警を批判すればトク落ちの目にあうのではないか…。だが権力を監視するのが役割である報道機関が「おかしいことはおかしい」と言えなくなったら、その先どんな社会が待ち受けているのだろうか。「もしトク落ちしたとしても名誉としよう」とぼくが話すと、道警キャップは静かに頷いた。

 ヤジ排除で人生が大きく変わった人もいる。

 「社会を変えるために動くぞと決心するきっかけになった」
 原告の桃井さんは大学卒業後、札幌地域労組に就職した。地域労組は会社に労働組合のない社員、パートや非正規雇用も対象にしており、「労働運動の駆け込み寺」のような存在だ。

 桃井さんは組合活動を通じて、パワハラや違法残業などに苦しみながら立場が弱く声を上げられない人が多くいることを知った。その姿は3年前の自分の姿と重なる。

 3月にはタレントの田中義剛氏が社長を務める「花畑牧場」(北海道中札内村)で働いていたベトナム人の従業員をめぐる雇い止めの問題で、会社側に組合側の要求を受け入れさせ、田中社長の謝罪を引き出した。

 桃井さんは語る。「ストライキはヤジと同じで正当な権利なのに報復される。会社や政治に不満があったら、どうやって声を上げればいいのか」

 桃井さんはウクライナ侵攻に抗議して拘束されたロシア人たちに思いを寄せた。「権力者にとって抗議の声は不都合で、怖いものだと改めて思った。『ヤジを飛ばして何が変わるの』『プラカードを掲げて何が変わるの』という人もいるが、声を上げる権利を守るのが大事だなと思った」

 小さな声だが、いや小さな声こそ勇気を出して上げることの大切さをまた教えられた。メディアはその声をすくい上げる使命がある。きょうもどこかで誰かが声を上げている。

<執筆者略歴>
山﨑裕侍(やまざき・ゆうじ)
1971年生まれ。94年東京の制作プロダクション入社。98年「ニュースステーション」専属ディレクターとして、死刑制度、少年事件、犯罪被害者、未解決事件などを継続取材。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者取材で報道局長賞受賞。
2006年HBC入社。12年道警キャップ。14年道政キャップ。16年特集担当デスク。19年統括編集長。22年デスク。

【主なディレクター作品】
『命をつなぐ~臓器移植法10年・救急医療の現場から~』2007年11月25日
『赤ひげよ、さらば。〜地域医療“再生”と“崩壊”の現場から~』2009年5月29日
『凍えた部屋~姉妹の“孤立死”が問うもの~』2012年5月26日

【主なプロデューサー作品】
『“不幸な子ども”を生きて~旧優生保護法がもたらしたもの〜』2018年5月27日
『ヤジと民主主義~小さな自由が排除された先に~』2020年4月26日
『ネアンデルタール人は核の夢を見るか~“核のごみ”と科学と民主主義~』2021年11月20日

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chousa@tbs-mri.co.jp

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