クマをめぐるメディアの責任は~命を守る「速報性」と「日常性」
幾島 奈央(HBC北海道放送 デジタル推進部)
3年前に痛感した、伝える力の不足
朝の住宅街、歩道に黒っぽい影が見えた。人だと認識した瞬間、背筋が凍った。血を流して倒れていた。
2021年6月18日、札幌市東区の住宅街にヒグマが現れた。ばったり出会った4人が、重軽傷を負った。
私は午前5時ごろ、デスクからの電話で目を覚まし現場へ向かった。私の緊張感とは裏腹に、住宅街には平穏な日常があった。通勤・通学や、ごみ出しに向かう人が多く歩いていた。
東区は山林と隣り合っておらず、クマの出没は「まさか」の事態だったのだ。歩く人を見つけるたび、私とカメラマンはタクシーの中から「クマがいます!」「逃げて!」などと叫び続けた。私たちの声を聞いて初めて、驚いて家の中に戻っていく住民の姿を見て、安心する反面、悔しさもあった。「ニュースは必要な人に情報を届けきれていない」という事実を目の当たりにした。
この日、最初の「黒っぽい動物がいる」という通報は午前2時ごろにあった。午前3時半ごろからクマの目撃情報が相次いだ。にもかかわらず、午前6時ごろから立て続けに人身事故が起こったのだ。
最初の通報から約4時間もあったのに、なぜ人身事故を防げなかったのか。私たち報道の伝える力が足りなかったからだと思っている。
「速報性」と「日常性」
反省点は大きく分けて2つある。「速報性」と「日常性」だ。
「速報性」はクマに限らず、報道が常に追い求めているものだが、災害時はその重要性が特に増す。クマの出没を知らせるのも、命を守るためだ。災害報道と同様の意義があることを強く意識して、即座に、繰り返し注意喚起する必要性を感じた。
クマの出没を速報すると同時に、「どうしたらいいか」も伝える必要があると感じた。クマが出てからでは遅い。あらかじめ「北海道民の常識」として、観光客も含めみんなが知っている状態を作ることが理想だと感じた。
さらに、東区のクマ出没の原因には、人間社会が関わっていることもわかった。クマは身を隠せる、背の高い草や川沿いを好んで移動する。みどり豊かなまちづくりの結果、緑地や川を伝って「いつの間にか住宅地に入ってしまう」、クマの通り道ができてしまっていた。迷い込んだクマは、パニックになって人を攻撃したと見られている。
これは裏を返せば、「草を刈って見晴らしを良くする」という対策があるということだ。
私は2018年の入社当初から、全道各地のクマ出没を取材してきた。出没の背景には複数の「人間社会の要因」があり、その数だけ「人にできる対策」があった。しかし、出没を受けて対策に励む地域もあれば、まだクマが身近でない地域はなかなか対策に乗り出さず、その隙に被害が起きてきた。同じ課題が繰り返されているように感じた。
そこで、「クマに出会ったらどうするか」「そもそも出会わないために何ができるか」を、広く日常的に伝えていくことが重要だと考えた。
ただ「日常性」については、これまでのテレビ報道だけでは足りないのではと感じていた。
何かあったときのニュースと、何もないときの別の切り口
東区にクマが出没した翌月、私は希望して、報道部からデジタル推進部へ異動した。新しく立ち上げた「Sitakke(したっけ)」というWEBマガジンで、取材執筆や編集を担当している。
Sitakkeは、生き方が多様化する現代だからこそ、いろいろな価値観にそっと寄り添い「明日へのきっかけ」をお届けするというコンセプトだ。一見、クマやニュースとは関係がない。
私はまず「じぶんごとニュース」と「こう生きたっていい」という連載を始めた。ニュースに詰まった暮らしのヒントを届けるものと、多様な生き方を紹介するものだ。
その中で、クマ出没からの教訓をまとめた記事や、クマ対策に取り組む人のインタビュー記事も書いた。切り口を変えることで、ニュースをあまり見ない人にも届けるのがねらいだ。記事はSitakke上に半永久的に残る。報道部のニュース企画も記事化し、放送を見逃した人も、必要なときに情報を得られる環境を目指した。
クマ関連の記事は多くの方に読んでもらえ、反響を受けて、「クマさん、ここまでよ」という連載もスタート。さらに「クマここ」というまとめサイトも立ち上げた。
専門家の協力を得て、「クマに出会わないためにできること」「もしもクマに出会ったら」などの基本の知恵をまとめた。クマのニュースを見て不安になったときなどに、いつでも無料で、正しい知識を得られるようにしたいと考えて制作した。
報道部によるニュースや、ニュースのその後の情報を蓄積するコーナーのほか、クマ対策に取り組む人や、クマについて学んだり対策に参加したりできるイベント情報を紹介するコーナーも作った。
こうした活動の継続の結果、共感し協力してくれる「仲間」が、社内外に増えてきた。
社内外で協力して多様な形の発信を
一方的な発信で終わらず、解決策まで地域と一緒に考えてみたいと、専門家や札幌市、クマに興味のある大学生とチームを組み、「クマとまちづくり」について考えるプロジェクトもスタート。地域住民とともにクマ対策に取り組み、学生が考えたことを記事にまとめ、Sitakkeで掲載した。その過程はテレビでも特集シリーズとして放送した。
2023年11月には、北海道庁のヒグマ啓発事業をHBCが受託。クイズで学べる「ヒグマ検定」を制作し、「クマここ」に設置した。基本の知恵や全道各地の出没からの教訓を詰め込んでいて、個人や教育現場などでも無料で活用できるようにしている。
専門家などを招いた大規模な啓発イベント「ヒグマフェス」も開催し、その様子は道のYouTubeで公開を続けている。
ことしも7月末から9月にかけて、北海道庁の主催で、「ヒグマ検定」を用いた謎解きイベントを実施する。実は会場となる、札幌の滝野すずらん丘陵公園は、報道記者だった2019年に、親子グマ出没のニュースを書いた場所でもある。そんな場所でクマのイベントをやることは、「クマが出るイメージがつく」など、嫌がられてもおかしくない。
しかしこの公園では、出没を受けて、驚くほどの労力をかけた対策が始まり、今も継続されている。クマが生きられるほどの豊かな自然を「価値」と考え、隠すのではなく、むしろ「対策して安全な環境を作っている」ことを発信しているのだ。
クマがいる北海道の観光スポットとして、一つのモデルケースだ。出没を速報するだけで終わらず、こうした「その後の対策」について伝えるのも、メディアの一つの責任ではないかと思う。
反省から学び、対策を実行する。その大切さを身をもって知っている公園を舞台に、人の親子が、かつて出没した親子グマに思いを馳せながら、クマ対策について楽しく学んでもらえたらと願って、謎解きイベントを企画した。
こうした活動ひとつひとつには、絶大な効果はない。それでも日常的に積み重ねることで、クマ対策を「赤信号は渡らない」くらいに、「どこで学んだのかは覚えていないけど当たり前」の常識にしていけたら理想だと思う。
一つのニュースを放送して、終わりにしない
HBCではこうして、放送はもちろん、デジタルや地域連携、イベントといった分野でも発信を重ねてきた。速報は命を守るために欠かせない。さらに「その後」を取材して、原因を突き止め、教訓を広める責任が、メディアにはあると思う。
それはクマに限らない。災害や熱中症、交通事故など、繰り返し伝えることで防げる被害が多くある。今、HBCを含むJNNは「TBS NEWS DIG Powerd by JNN」というサイト/アプリで、命や暮らしを守るための情報を広く発信するようになった。JNN全体で日々話し合い、発信力の拡大を模索しているが、これも「速報性」「日常性」を追い求める一つのツールだと感じている。
報道現場が、毎日の事件事故一つひとつに向き合う大切さは変わらない。その最新情報をどう多くの人に届けるか、どう命を守る行動にまでつなげるか。部署や会社、媒体の垣根を超えて協力し、「もっと多くの人に」と追求していく役割が、今のメディアにはあるのではないだろうか。
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