「役割語」とは何か、それの何が問題なのか
金水 敏(大阪大学大学院名誉教授)
「役割語」とはどんなものか
「役割語」とは、主にフィクションで用いられ、特定の人物像に対応する一定の話し方のことを指します。次の図をごらんください。
このA~Eの人物が、論理的意味を全く同じにする次の台詞を話すとします。イラストと台詞はどのように対応するでしょうか。
日本語の母語話者であれば、ほとんど迷うことなく解答することができると思いますが、一応答え合わせをしておきます。
(解答)A-4 B-1 C-3 D-2 E-5
なお、もし一対一の組み合わせという制限がなければ、D-3、E-1というような組み合わせも可能です。さらに、もしこの「正解」と異なる組み合わせを考えると、何らかの“違和感”を見る者に感じさせるのではないでしょうか。例えば次の組み合わせはどうでしょう。
上記のテストから、次のような仮説が見えてきます。
まさしくこのような人物像と対応する話し方のことを「役割語」と呼びたいと思います。後に紹介する『ヴァーチャル日本語 役割語』に掲載された役割語の定義を下記に示しておきます。
「役割語」の概念は、筆者が2000年に公刊した論文で初めて学界に提示され(注2)、さらに2003年に『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(注3)という書籍が刊行されたことで、一般にも知られるようになりました。その後、役割語に興味を持った研究者による論文集(注4)が編集・出版されたり、日本語の語彙と役割語の関係を辞書風にまとめた『〈役割語〉小辞典』(注5)や、〈アルヨことば〉および日本語訛りの中国語を歴史的に掘り下げた『コレモ日本語アルカ 異人のことばが生まれるとき』(注6)が出版されました。近年では、村上春樹の小説に現れた話し言葉とその翻訳の問題を取り扱ったり(注7)、宮崎駿監督のアニメ作品の台詞等を分析した研究を公開したりもしています(注8)。
この記事では、役割語がなぜ存在し、フィクションの中でどのように機能するかということを簡単にご紹介した上で、役割語の使用がはらむ今日的な問題点を示していきたいと思います。
役割語のヴァリエーションと言語差
役割語は、なぜフィクションに用いられるのでしょうか。それは何より、役割語を用いることによってフィクションの受け手に《キャラクター》を簡潔・即時的に提示することができるからです。
小説であれば字数、映画やアニメであれば動画の時間数という“物語資源”を大幅に節約することができます。そして、このようなことが可能となるのは、特定の話し方と特定の《キャラクター》の結びつきの知識が広く言語コミュニティに共有されているからです。
それでは日本語にはどれくらいの種類の役割語が存在するでしょうか。この問いに対して正確に回答することは簡単ではありません。なぜなら、〈お嬢様ことば〉も〈おばあさんことば〉も大きく言えば〈女ことば〉であるというように、精粗さまざまなレベルの分類ができるので、レベルを揃えて数を数えるということがむずかしいからです。仮に、『〈役割語〉小辞典』(注9)に登録されている役割語のラベルを整理して示すと次のようになります。
性差:男ことば、女ことば、 書生言葉、少年語、お嬢様ことば、奥様ことば、オネエことば
年齢・世代:老人語、おばあさん語、幼児語
職業・階層:博士語、上司語、お嬢様ことば、奥様言葉、王様ことば、お姫様ことば、やくざことば、ヤンキー語、スケバン語、軍隊語、遊女語
地域:田舎ことば、大阪弁・関西弁、京言葉、九州弁、土佐弁、沖縄ことば
時代:武士ことば、忍者ことば、公家ことば、遊女語、町人ことば、王様ことば、お姫様ことば
人間以外:宇宙人語、ロボット語、神様語、幽霊語、動物語
では外国語ではどうかと考えてみると、英語ではいわゆる標準英語(ただしイギリス英語、アメリカ英語の違いはある)に対して、方言風、アフリカ系アメリカ人英語風、インド英語風、アジア人訛り風の役割語が指摘されることがあります(注10)が、いずれも“非正規的”な英語という扱いをされることが普通です。
他のヨーロッパの言語や中国語などでも同様の傾向が見られます。韓国語、タイ語などの役割語についても検討されていますが、日本語ほど役割語のヴァリエーションが多く、かつその区別が鮮明で、日常的に使用頻度の高い言語は類を見ないという見方がもっぱらです。
日本語に役割語がこんなにも豊富であるということの理由は、構造的な面と文化的な面から考えることが妥当であると考えます。詳しい説明は省きますが、日本語は構造的に役割語のヴァリエーションを生み出しやすい言語であり、かつ近代以前(特に江戸時代以降)から役割語のヴァリエーションをエンターテインメントの一部として楽しむ文化が発達していたということが指摘できます。
役割語の何が問題か~〈女ことば〉を例に
役割語は、先に述べたように、登場人物の《キャラクター》を簡潔かつ即時的に表現することができ、物語資源を大幅に節約することができるという利点があります。しかし一方で、それ自身がステレオタイプであるので、容易に偏見や差別と結び付きやすいという性質を持っていると言えます。
日本語によるフィクションの表現では、ある程度の役割語の使用は不可避であり、使用しなければかえって受け手に違和感を抱かせることも少なくありませんが、特定の登場人物に割り当てた役割語によって社会的なステレオタイプを上書きし、人物像をゆがめてしまう可能性も考えなければなりません。そのような意味で、製作者(翻訳家も含む)は役割語の安易な割り当てには慎重である必要があります。役割語はアップデートされなければならないとも言えるでしょう。
例えば、もっとも一般的な役割語の例として、言葉の性差、すなわち〈男ことば〉と〈女ことば〉の対立を取り上げましょう(注11)。一般に知られているその違いを整理してみます。
これらの男女の違いは、現実にも行われているので、役割語特有とは言えないのではないかと考えられる方も多いかもしれませんが、現実は想像以上に多様で、これに当てはまらない話し方をする女性も普通に見られます。特に「女性的」あるいは「女性専用」とした表現は、現実の日常言語では聞かれることがまれになっています(注12)。
にも関わらず、これらの〈男ことば〉〈女ことば〉は日本語に依然として強固に存在すると私たちが思わせられるのは、未だに役割語としてフィクションでさかんに用いられているからです。特に、外国語の小説の翻訳や映画の字幕・吹き替え等ではほぼ義務的にa~gの違いが当てはめられる傾向にあることも指摘されています。
中村桃子氏はその理由を、翻訳家が「“女は女ことばを話している”という信念」を持っているからとしています(注13)。その結果、現実とは乖離した〈女ことば〉がフィクションや翻訳では使い続けられ、そのことが「日本語には女ことばが存在する」という信念を強化してきたという歴史が続いていました。
一方で、女性キャラクターの機械的な〈女ことば〉の使用に疑問を持つ人々も増えつつあるようです。例えば、『Vogue Japan』という雑誌に掲載されたビリー・アイリッシュ (Billie Eilish) のインタビュー記事がステレオタイプな〈女ことば〉で翻訳されたことに対する批判をきっかけに、「「ことばとセクシュアリティ」をめぐる有識者会議──メディアに根付く役割語をアップデートせよ!」という誌上座談会が実施され、Vogue Changeというサイトに掲載されました(注14)。
この記事の中で、「ビリー・アイリッシュは自身のファッションや発言から、ジェンダーのステレオタイプに当てはめられることを嫌う姿勢を見せているのに、彼女の性自認が女性だから自動的に女言葉に翻訳し、それに違和感を抱かなかった」ことによる反省があったとVogueの編集長が発言しています。実際、『Vogue Japan』のビリー・アイリッシュのインタビュー記事を調べてみると、
のように、典型的な〈女ことば〉で翻訳されたものもかなりありますが、
のように、〈女ことば〉が回避されているものもあります。2つの記事を比べると、ビリー・アイリッシュのキャラクターのイメージがかなり異なることが実感できるでしょう。Aの記事は、日本で流通している「女らしい」話し方のステレオタイプそのままの話し方ですが、Bはジェンダー中立的なビリー・アイリッシュのイメージにかなり近いものを感じさせます。
今後は、話し手のキャラクターによっては、女性であってもBのようなスタイルを選ぶ翻訳も増加してくるものと予測されます。その方向性は、例えば、2020年に現役女子高校生のシンガー・ソングライターのAdoが歌った『うっせぇわ』(注17)のヒットにも見て取れます。この歌の歌詞は、「クソだりぃな」「くせぇ口塞げや」のようなおよそ女性的とは言えない表現が並んでいますが、それが単なる物珍しさ、インパクト狙いに留まらず、「女性性」のステレオタイプに対抗するメッセージとして受け取られているからこその大ヒットと見るべきでしょう。
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