山梨県知事インタビュー拒否問題の裏側 ~我々が質問削除を断った“当たり前”の理由~
芹沢 年延(テレビ山梨報道部 県政担当キャップ)
1社だけ知事インタビューできなかった報道機関
今年2月、テレビ山梨は長崎幸太郎知事のインタビューを放送することができなかった。その背景については山梨県内だけでなく全国ニュースでも取り上げられた。「不記載に関する質問をしないでもらいたいとの県側の要請を断った結果、1社だけインタビューを行えなかった報道機関」。それは我々の事だ。
この問題の1か月前、県の広聴広報課から「2月17日に就任6年となる長崎幸太郎知事のインタビューについて、日程調整をするので取材希望の有無と質問項目を出してもらいたい」と連絡があった。「質問項目を出すのが随分早いな」と思いながらも、「県が進める富士山登山鉄道構想について」「物価高対策について」といった項目の最後に「政治とカネの問題について」と書いて1月10日に提出した。年末から世間を騒がせている自民党派閥の「裏金問題」を巡り、長崎知事は取材に対し「自身は問題ない」としていたが、当時も二階派に所属する一員としての見解を問うつもりだった。
知事へのインタビューは2月上旬から1日数社ごと、数日に分けて行われる事になった。我々の順番は最後となった。
しかし、1月20日に長崎知事は急遽事務所で会見を開き、自らの資金管理団体が2019年に二階派から現金1182万円を受け取り、政治資金収支報告書に記載せず、4年以上金庫に放置していたと明らかにした。「使途不明のまま受け取った」「預り金だと認識した」「その後、確認を失念した」とのことだ。
当日は土曜日だったのでローカルニュースの枠は短い。1分程度のストレートニュースで伝えるのが精いっぱいだ。私はその日のうちに「この問題は他社との抜いた、抜かれたの勝負ではなく、どれだけ詳しくやるかが問われる。一度まとめておしまいではなく、複数回に分けて多角的につまびらかにすべきだ」とデスクらに伝えた。ローカル局である我々こそが最も詳しくやる責務があると考えたからだ。そのうえで「知事の説明や発言はしっかりと毎回使い、専門家の指摘などと必ず両論併記となるようにする。それをどう判断するのかは県民に委ねる。判断材料の提供に徹する」とした。
長崎知事側は会見で説明した内容をホームページにアップしたが、我々は記者との質問のやり取りも含めて、ニュースサイトにアップした。そして、土日の間に大学教授、弁護士などへの取材やイメージ映像の撮影などの準備を進めた。週明けから1月末まで連日この問題を取り上げ続けた。
長崎知事は20日の会見をもって「説明責任は果たした」と言うが、とても納得できるものではない。調べるにつれて新たな疑問も浮かんでくる。「答えを差し控える」「それは二階派に聞いてください」という回答が増えていくにつれて、定例会見の場での追及に限界も感じていた。
「そこまでやるか」…県側が質問削除を取材の条件に
県に対して「1月10日に知事インタビューの質問予定項目を出した時とは状況が違う」と訴え、質問項目の変更を要請した。県は当初「すでに締め切っているので対応できない」としていたが、最終的には変更を了承し、私は「政治とカネの問題について」を「自身の不記載問題について」にすると通告した。単独インタビューの場で独自に調べた疑問もぶつけるつもりだった。
2月5日から各社の取材が始まった。報道解禁が2月14日だったので、すでにインタビューを終えた社の取材内容を知ることはできなかったが、記者の会話の端々から知事側の穏やかでない雰囲気は十分感じられた。
そして2月7日の朝、電話の向こうの県の担当者は「不記載に関する質問を削除してもらいたい」「インタビューは公務に関することでお受けする。各社の質問に対しても答えられないと回答している」、そして「削除してもらえなければインタビューに応じられなくなる」と告げてきた。「質問を外さなければインタビュー自体できないってことですか?」と確認したが、「そういうことです」という答えだった。そこまでやるか、と感じた。
質問削除を断るとインタビュー自体がキャンセルに
「上のものと相談して回答します」と電話を切ったが、答えは決まっていた。そして覚悟も決まっていた。上司も同じだった。私は県の担当者に対し、「本当に質問を削除しなければインタビューはできなくなるのか」と再度確認したうえで、「質問の削除に応じることはできません」と告げた。
担当者が県の「上のもの」と相談してから出してきた答えは「そういうことであれば知事のインタビューはなしということで」であった。その後私は担当者と直接話をし、県側がほかにも数社に質問削除を要請していることを知った。「なぜうちだけインタビューできないのか」と問うたが、答えは「自身の不記載について、と書いてあるからだ」という事だった。「政治とカネについて、という事であれば一般論としての回答できます」という事だった。しかしながら、一般論で説明責任は果たせないのではないかと思う。
山梨県政記者クラブが抗議文を知事に提出
この問題は他の報道機関にも伝わり、山梨県政記者クラブの総会が開かれた。加盟各社は「不当な取材規制で断固抗議する」という認識で一致していた。そもそもインタビューを申し込んでいなかったり、県側の要請を受けずにインタビュー終えたりした社もあったにもかかわらず、「報道の根幹に関わる問題」という共通認識で行動できたことは、山梨県の報道機関としての意地を感じた。
クラブの抗議から1週間後、県は「県政に関する内容以外は定例会見で行うよう調整を提案したもので、ご理解を頂いて取材していただいた」「取材活動の制限では到底あり得ないことはご理解いただけるものと考えている」と回答してきた。しかし、そのような「ご理解」はどの社もしていなかった。
さらに担当者はクラブの幹事社に対し口頭で「県が取材を拒否したのでなく、テレビ山梨が辞退した」と伝えたそうだ。我々は「辞退」など一言も使っていないし、そもそも辞退する理由もメリットもどこにもない。
しかしここで「言った、言わない」に議論がフォーカスしていくと「質問項目削除の要請自体がおかしい」という本題からずれてしまう。奥歯をかみしめながら、再度抗議を行うためのクラブ総会に臨んだ。再抗議では「二者択一を迫るような事は今後やめてほしい」と盛り込んだ。
全国ニュースでもこの問題が取り上げられ、2度目の抗議に対して県は「意思疎通がはかれず深くおわびする」と回答した。長崎知事は自らの「指示」は否定したが、「そこ(不記載問題以外の県政課題)を中心にやってほしい」と県職員に言った事を後に明らかにしている。
100回同じ場面が来ても100回そうする
この問題を含め、知事の不記載問題に対する一連の我が社の報道には、ありがたいことに多くの県民の方から激励を頂いた。お会いしたこともない視聴者の方から直接励ましの電話を受けたのは、記者人生で初めてだったと思う。会社の受付からもらった「お体に気をつけて頑張ってください 80代女性より電話」と書かれたメモは大切に保管してある。
それでも「この判断は正しかったのか」と何度も自問した。「要請を受け入れて他の項目に関するインタビューだけでも放送すべきだったか」または「受け入れたふりをして、だまし討ちすればよかったのか」。ただ、いかなる理由を探そうと「不記載の質問をしないでくれ」「はい、わかりました」とは言えない。それは100回同じ場面が来ても100回そうする。
最も重要だと思うのは、「未来の報道に対する責務を果たす」という事である。もしも県からの圧力に屈し、目先の不利益を考えて穏便にすませようとこの要請を受けてしまったら、将来自分に代わり県政を取材する後輩たちに悪しき前例を作ってしまうことになる。一度「事なかれ主義」へ逃げたら、それは必ず癖になる。そしてそれは必ず視聴者に見抜かれ、信頼という大きな財産を失う。政治も報道も、未来に対し正しい形でバトンを渡していかなければならないと思う。
報道のプロとして「当たり前の事」
私はいわゆる「ジャーナリスト」という言葉が好きではない。たいした人間でないことは自覚しているし、自分なりの正義感は持っているがその正義が絶対正しいとは思っていない。ただ、報道の仕事で給料をもらっている以上、報道のプロでなければならないと思っている。報道とは「道に報いる」と書く。自分のためではなく、他人のためにやるという事がプロとして当たり前だと思っている。
今回の一連の知事インタビューをめぐる問題は、数社がインタビューを終えてから県側が要請してきた事や順番が最後だった事など、たまたま我々が当事者になった面もある。同じような形で県側からの要請を受けていたら我々と同じように回答した他の報道機関もおそらくあっただろう。特別なことではなく報道機関として「当たり前の事」をしたに過ぎないと考えている。
ただ、知事は県議会の答弁で今回のインタビューについて「サービスのようなもの」と言った。私は「真剣勝負」のつもりで準備を進めていた。断じてサービスの手伝いをするつもりも、八百長をするつもりもなかった。政治への信頼が揺らいでいる中、県民に届けるインタビューへの認識に、そもそもずれがあったことが最もさみしい。
政治不信…でも、あきらめない
甲府に桜が咲き始めたころ、録画しておいた昔のドラマを観た。三谷幸喜脚本の「総理と呼ばないで」だ。最終回、田村正和演じる主人公の総理大臣は辞任会見で「みなさんに政治に対する不信感を与えてしまいました、ごめんなさい」としたうえで次のように演説した。
「みなさんどうか、あきらめないでほしい。希望をもってほしい。政治を見捨てないでほしい。そうすれば必ずやってきます、理想の政治社会が。そしてですね、その時子供たちは胸を張って、こう答えるのです。『大きくなったら総理大臣になりたい』と。一日も早くその日が来ることを祈って。さようなら。」
今、大きなランドセルを背負いながら桜の下を歩いていく子供たちの中に、胸を張ってそう答える子はいるのだろうか?政治はあきらめた人から順番に、一部の大きな声に存在をかき消されて、損をしていく。そして「多くの人があきらめる事」を望んでいる人もいるのではないか?
あきらめてはいけない。
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