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男性が育児しやすい社会に向けて

【「育児は女性の責任」という考え方はいまだ根強い。男性が育児に参加するために必要なものは何か】

田中 俊之(大妻女子大学 人間関係学部准教授)

精子の話

 生物学者の毛利秀雄は、2004年に出版された『精子の話』(岩波書店)の中で、1950年代には生物学の分野において、世界でも日本でも卵子に比べて精子に対する関心が高くなかったと当時を振り返っている。

 「そういう時代ですから「精子の研究をやっていったい何になるの」というのが、私の友人を含む世間一般の人たちの素直な反応でした」。その後も、精子の研究をしていることに関して、次のような失礼な発言をされたという。

 「比較的最近でも今は亡き文科系の友人と一緒に飲んでいて「精子の研究なんていやらしい」といわれ、「貴方だって卵、卵とは平気で言うじゃないか」と逆襲したこともあります」。毛利も解説しているように、人類を含む動植物は両親から姿や性質を受け継ぎ、その過程で精子は卵子と同等の役割を果たしている。にもかかわらず、なぜ精子への評価は不当に低かったのだろうか。

 そこには「生殖は女性の問題」という認識があり、人びとの「常識」だけではなく、生物学的な研究でさえこの偏見の影響を被っていたと考えられる。一方で、男性の性は生殖と関連づけて理解されておらず、性的な欲望の側面のみが強調されてしまうため、精子への興味が「いやらしい」と解釈されてしまうことになる。

 このような生殖をめぐる問題は、今日でも解消されたとは言えないだろう。確かに妊娠するのは女性であるが、生殖に関して女性の役割ばかりが重くならないようにするためには、社会全体の中で男性の性と生殖が結びつけて理解されるようになる必要がある。とりわけ、父親になる男性にはその自覚が求められると言えるだろう。

男性育休の必要性

 2021年の育児・介護休業法の改正にともなって、「男性育休は会社にどのようなメリットがありますか」と企業の方からしばしば聞かれるようになった。この質問の意味について考えるために、まずは男女の育児休業取得率を確認しておこう。育児休業取得率は2021年で女性85.1%に対して、男性は13.97%と大きな開きがある。

 取得率の高さをふまえれば、女性の場合、育休が会社にどのような利益をもたらすかはあまり問われないと考えられる。「生殖は女性の問題」と理解されていることに加えて、「育児は女性の責任」という認識があるため、育休の取得が「自然」な行為として受け入れられるからである。

 一方で、「育児は女性の責任」なのだから、男性の育児休業は「不自然」と評価されてしまう。そのため、あえて男性の育休取得を認める以上、会社側は「当たり前」のように見返りを期待する。「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業は、今日でも人々の意識の中に根強く残っており、それが現実の育児休業取得率の差にも反映されていると考えられる。

 小さな子どもの育児も、女性に負担が大きく偏っている。2021年の数字で、6歳未満の子どものいる家庭における育児時間は、週平均で夫は1時間5分に過ぎず、妻は3時間54分となっている(『令和3年 社会生活基本調査』)。それでも、夫の育児時間がわずか25分であった2001年と比較すれば、保育園の送迎をしたり、休日に公園で一緒に遊んだりする父親の姿が「当たり前」の光景になってきた。男性育休の推進は、「生殖は女性の問題」、そして、「育児は女性の責任」という認識を解消し、さらなる男性の育児参加を促すために重要な取り組みになると思われる。

 男性育休はその期間に積極的に育児をするのであれば、父親と子どもの良好な関係性の構築にもつながる。発達心理学者の森口佑介によると、生後3か月ぐらいまでの乳児は、誰とでも他者との情緒的な結びつきであるアタッチメント関係を形成する可能性を持っており、周囲の人に対して泣いたり、見つめたりといった行動をする。

 乳児はそのようなやり取りを通じて、「自分と一緒に過ごす時間が長いのは誰なのか、質の高い世話をしてくれるのは誰なのか、ということを見極めつつ、アタッチメント対象者を決定していきます」。その後、6か月ごろまでに、特に養育者に対して愛着反応を示すようになる(『おさなごころを科学する 進化する乳幼児観』新曜社)。

 初期に父親が育児に関わらなければ、子どもが父親になつかず、母親の育児負担が雪だるま式に増えていってしまう危険性がある。父親が育休を取得して、母親と同等に乳児の一日の生活リズムに合わせて哺乳瓶での授乳、おむつ替え、そして、沐浴といった育児をすれば、子どもが成長してから、歯磨きや寝かしつけも担えるようになり、母親にしかできない育児を減らすことができるだろう。良好な父子関係は、平等な育児分担にもつながっていく。

時間感覚の変容

 男性の育児参加については意識を変えることの重要性がしばしば指摘される。主体的に子育てをする父親は、どのような意識を持っているのだろうか。2010年に、社会学者の宮台真司と哲学者の東浩紀が自身の経験に基づいて、興味深い対談をしている。当時、宮台は51歳で3歳の長女、0歳の次女、東は39歳で4歳の娘の父親であった。

宮台 (子どもは)はっきり申し上げると実際すごく(仕事の)邪魔になります。およそ三割は能率が下がります(笑)。でも、それが心理的なダメージになると惧れていたのに、不思議なことに、全く苦にならない。むしろ三割ぐらいだったら「まあ、いいか」と思ってしまう。(括弧内引用者)

 僕の場合も、効率は三割どころかもっと落ちている感じです。うちはいま娘を保育園にあずけていますが、それでも週末など、本当なら雑事を片付けて資料を読み込むはずだった時間がまったく取れなくなっている。でもやはり同じようにストレスにならない。それどころか、むしろいまは、休日は本来娘と遊ぶために使うべき時間なのに、なぜ仕事をしなければならないのだと、頭が逆の方向に切り替わってきている。

『父として考える』NHK出版

 もし、1日の時間を仕事中心に考えていれば、子どもは邪魔な存在になり、仕事の効率が3割も落ちてしまう事態に耐えられないはずである。それに対して、宮台と東が語っているのは、1日の中心に子どもとの時間を置くという発想である。

 特に、宮台は子どもを保育園にあずけておらず、大学の研究室のパソコンを撤去してまで自宅で過ごす時間を増やしていた。1日の時間を子ども中心に考えていれば、子どもとの時間に仕事が食い込むという捉え方をするようになり、むしろ仕事の方が邪魔に感じられることになる。その結果、育児に十分に時間を割くことができていれば、父親になる前より仕事ができていなくても不満に感じなくなる。

 もちろん、著名な学者である二人は、元々の作業量が膨大である、すでに業績を十分に積んでいるため評価が下がらない、さらには、仕事の時間をある程度まで自分でコントロールできるという点で、普通の父親、イクメンになぞらえて言えばフツメンとは異なっているかもしれない。ただし、仕事の量を除けば、宮台と東の語っている時間感覚は、育児中の親への評価、あるいは、子育てを理由とした遅刻、早退、欠勤などにどのような対応をすべきなのかを考えるために、企業と社員の双方にとって示唆的であると言える。

 この対談では時間について、東が「循環する時間」と「成長する時間」という概念も提示している。東によれば、大人は今年も来年も同じ「循環する時間」を生きている。確かに、数年ぶりに友人と再会しても、多少の老いの他はほとんど変化を感じ取ることはできないだろう。一方で、子どもは「成長する時間」を生きており、刻一刻と変化していく。乳幼児期は一年でも会わなければ、その間の大きな成長に驚かされるはずである。

 このような理解から、東は幼い子どもと接する時間について次のように述べている。「五、六歳までが決定的に重要な時期だと思いますが、結局そのときは一回しかない。取り返しがつかないわけです。この期間を親としてどう過ごすか」。「成長する時間」という視点は、乳幼児期の子どもとの時間のかけがえのなさを教えてくれる。

フツメンにとっての子育て

 育児休業を取得して、その後も乳幼児期は、子どもとの時間を中心とした生活を送る。母親の育児負担や子どもとの時間の重要さが分かっていても、男女の賃金格差が大きく、男性正社員に長時間労働が求められる傾向の強い日本社会の現状では、ほとんどの父親にとって実現が難しいかもしれない。

 それでも、自分のできる範囲で意欲的に育児に携わろうとする父親に、何ができるのだろうか。そうした父親にとって、地域の男女共同参画センターや公民館で催される男性向けの子育て講座は貴重な機会となる。

 筆者が講師を務めた北陸地方A市の講座では、参加者の会話を通じて、父親としての悩みを共有する時間を作った。その際、初対面の男性たちのコミュニケーションを円滑にする工夫として、仕事の話はしない、人の話を否定しない、人の話に割り込まないというルールを設けた。

 所属している会社や仕事内容について話せないため、自己紹介では住んでいる地域、家族構成、そして、趣味といった話をすることになり、そこで共通点が見つかると話が弾む。また、自分の話に割り込まれたり、話を否定されたりすることがないため、安心して会話ができる。

 「妻と協力して沐浴をしているんですが、時間と手間がかかって…」

 子どもが生まれたばかりの父親が、そう自分の悩みを打ち明けた。新生児の華奢な体つきを見れば、とりわけ第一子の場合に慎重になるのは当然である。適切な温度や時間、洗い方、そして、体調が悪い時にも入れていいのかどうかなど疑問は尽きないと思われる。それに対して、子育て経験豊富な父親が意見を述べた。

 「家なんか3人もいるから、かなり雑にやっていますよ。一番下の子どもは、お風呂の蓋の上に置いて、その間に他の子を洗っちゃう」。

 もちろん、子どもの安全を考えれば、この助言には危うさを感じるかもしれない。しかし、正しい方法についてはすでに十分に知っていながら、それでも不安を持つ父親には肩の力を抜くことも大切だと思われる。また、沐浴がうまくできないという話を誰かに聞いてもらえるだけで、気が休まるところもあるだろう。知識の獲得や実践に加えて、居住する地域で悩みと経験を共有できるパパ友を見つけられることが、市民講座の魅力である。

 1日の時間が仕事を中心に回っている時には、多くの男性が職場と家を往復するだけである。しかし、育児に関心を持ち、男女共同参画センターや公民館で実施される子育て講座へ参加すると、地域との接点が生まれる。他にも、保育園の送迎や、児童館あるいは公園といった施設の利用を通じて、社会の中で地域の果たしている機能が目に入ってくるようになる。

 これまで、父親は家庭や地域での役割を免除される代わりに、親になってもなお仕事への専心が求められてきた。それだけ「男であること」と「働くこと」の結びつきが強いからである。しかし、育児に関心を持ち、地域とつながる父親が増えれば、少しずつであっても、男性と仕事の強固な関係をときほぐしていけるだろう。

 父親とは男の親を意味するが、男性が育児に参加しやすくなるためには、父親の「男」の部分を乗り越える必要がある。この課題に、フツメンだけで取り組むのは、あまりに荷が重い。地域や企業も巻き込んで社会全体で、育児をする父親を支えることがいま求められている。

<執筆者略歴>
田中俊之(たなか・としゆき)
1975年 東京生まれ
1999年 武蔵大学人文学部社会学科卒業
2004年 武蔵大学大学院人文科学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得満期退学
2008年 博士(社会学)取得
2013年 学習院大学「身体表象文化学」プロジェクトPD研究員、武蔵大学・学習院大学・東京女子大学等非常勤講師を経て、武蔵大学社会学部助教
2017年 大正大学心理社会学部 准教授
2022年 大妻女子大学人間関係学部 准教授(現職)

男性だからこそ抱える問題に着目した「男性学」研究の第一人者として各メディアで活躍するほか、行政機関などにおいて男女共同参画社会の推進に取り組む。

著書に『男子が10代のうちに考えておきたいこと』(岩波書店・2019)『男が働かない、いいじゃないか!』(講談社・2016)『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA・2015)など

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