「火山」や「原爆さく裂点」をリアル映像で~長崎発・報道現場でのドローン活用記~
長 征爾(NBC長崎放送 記者)
ドローンで普賢岳の溶岩ドームに接近して撮影
その時、手元にあったドローンの送信機モニターには雲仙普賢岳の巨大な溶岩ドームとその下に広がる島原市上木場地区の被災地の様子が映し出されていました。
ドローンが飛んでいるのは1500メートル彼方で、目視では機体が見えない距離です。そうした状況にありながらドローンは溶岩ドームすれすれの高度を維持し、映像は溶岩ドームが今も不安定な岩塊であることを伝えてきます。30年前、雲仙普賢岳の火山災害が続いていたころはヘリコプターでも撮影が難しかった映像でした。
普賢岳溶岩ドームのドローンによる取材はドローンを使い始めたときから考えていた撮影手法で、その実現のためにドローン使用を日常化しスキルを上げてきました。30年前の大災害時にはやりたくてもできなかった取材でしたが、時間が技術の進歩をもたらし、映像取材の手法に新しい可能性をもたらしたことを実感した瞬間でもありました。
当初は雲をつかむような取り組みだったドローンの報道現場での活用。8年間のNBCでの取り組みの歴史です。
ドローン番組で長崎県内約300か所を撮影・放送
NBC長崎放送では2016年にドローンを導入しました。常に報道的な使い方をしているわけではなく、通常は毎週2分半のドローン映像番組「ふるさと再発見長崎ばーどアイ」を放送しています。スポンサーにもついていただき、放送も今年で8年目に入りました。
取材対象としているのは長崎県内の名勝や歴史的な建造物、自然など。一年間に50本出しているので単純計算で350か所、ダブりを差し引いてもおよそ300か所を放送してきたことになります。放送実績だけでなく「資料映像」として使える映像も大量にストックすることができました。
とりあえず“安定飛行”をできるまでになりましたが、ここに至るにはいろんなきっかけや色々と助けていただいたその道のプロの方がいました。
踏み込むきっかけは“トラブルメーカー”としてのドローン
「これは放送素材、報道のツールになりうるか?」それまで実際に見たことのない新たな機器の存在を知り最初の検討を始めたのは10年半前の2013年の暮れのことでした。
「ドローン」、今でこそ一般化した名前ですが、最初に着目した2013年当時は値段やそれをめぐる法体系、操縦法、機械的な仕組みなど全く知らず、ラジコンの一種(それは間違いではないが)としか思っていませんでした。ただ急激に普及し始め、すでに存在を無視できない機器になっていたのも事実です。
しばらくは関係ないと思っていたものに一歩踏み込むことになったのは、普及と同時に問題となっていたドローンをめぐる事故やトラブル、法体系の遅れを取材したことでした。2015年のことです。最初は「トラブルメーカーのドローン」として向き合うことになったのです。
長崎にはかなり早くからドローン映像を専門にしていた「あおぞら映像(現Tamosan Drone)」というプロダクションがあり、そこの田本久さんに強化されるドローンの法体系と今後のドローンの可能性について取材をさせていただきました。その時、田本さんの勧めで初めて自分の手でドローンを操作しました。
空間を立体的に動く物体の操作は正直言って恐怖で、これに機体カメラのオペレートまでやるとなると手に負えないというのが最初の印象でした。何より「墜落事故」を起こすと世間的にどんなハレーションを起こすかわからない、当時は単なる面倒くさいテーマでしかなかったのです。その考えが変わるきっかけは自分の根底にあった災害報道の体験でした。
ドローン導入を本気にさせた雲仙普賢岳大火砕流の原体験
私は1990年NBC長崎放送に入社しました。最初に直面した大事故は「雲仙普賢岳大火砕流惨事」です。1991年6月3日、長崎県の雲仙普賢岳で「火砕流」の取材をしていた報道陣やタクシー運転手、消防団員、警察官、火山学者そして地元の住民合わせて43人が犠牲となりました。
なぜこんなことが起きてしまったのか?その理由としてマスコミの無理な取材が指摘されています。そのことをめぐる詳細や多様な意見についてはここで触れませんが、自分が当時感じていたのは「遠隔操作での取材の手法があれば悲劇は避けられたんじゃなかったのか」ということです。はからずも「あおぞら映像」の田本さんからもドローン取材時に同じことを言われました。その時、「報道機関にとって可能性のあるツールとしてドローン」の存在を初めて意識しました。
「ドローン班」を立ち上げ“番組”を企画
その後技術部門とも協力して「ドローンを導入したらどうなる?」というシミュレーション策定に奔走しました。外注、自社撮影、だれがやる?練習は?全社的に人員体制見直しも始まった中での新たな業務発生は現実問題として難問山積でした。安全性の面から社内には否定的な意見もありました。
当時は正直「勢いで発車したらろくなことにならない」と感じていました。そうした中でも2016年春、とりあえず番組としての「長崎ばーどアイ」をスタートさせようということになり、まず外部映像を購入することから始めました。自分たちでは撮らずに外注する。当時としてはそれが一番現実的でした。
最初に映像を撮影していただいたのは佐賀県でドローン業務(AIR FLEX)をやっていらっしゃる本山哲男さんという方です。もともとは農薬散布のラジコンヘリコプターのオペレーターでその技量で日本一にもなられた方です。撮影現場に数度同行し安全対策やドローンによる映像撮影のコツを教えていただきました。私としては田本さんに続いてこの世界で出会った2人目の先生です。何よりもリスク管理の方法は得難いものでした。
そして、とりあえずのノウハウを知り、その流れで私と当時NBCのカメラマンだった浦裕樹君と2人態勢で自社内製でのドローン撮影班がスタートすることになりました。
以下は、当時社内向けに書いた番組企画書からの抜粋です。
自社撮影スタート ローコスト化にめど
NBCスタッフでドローン撮影を始めたのは2016年の7月からです。当時私は報道のデスクもしていました。報道現場に詳しくない人のため簡単に説明しますと、デスクはニュースの組み立てをするために記者配置を考えたり原稿チェックをしたりする仕事です。基本的に外に出れない仕事です。なので私が撮影するときは休みの日、「休日返上」でしたが、まだ働き方改革が浸透する前でしたので、そのことが普通に許された時代でした。
最初に撮影したのはひまわり畑でした。いまみるといろいろ足りない部分が多い映像でしたが、ローコストでの(外注の問題点は予算でした)ドローン映像が取れる確証が得られ、この時初めて「長崎ばーどアイ」がシリーズとして続けられるという自信を得ました。
以後、県内の陸上、海上、山岳地帯などの撮影を続けることになります。一般的な撮影に加えてドローンの法的、性能的な限界での撮影にも挑戦することになります。
ドローンにより実現した「原爆さく裂点」から見た長崎の街
「対象がある限り撮影が続けられる」という流れはできましたが、ドローンだからこそ初めてできたという報道取材ができないか?その一つが冒頭に書いた「雲仙普賢岳溶岩ドーム」。そしてもう一つ、「原爆がさく裂した場所から長崎の街を見る」という撮影にも挑戦しました。
太平洋戦争末期の昭和20年8月9日午前11時2分。アメリカの爆撃機B―29から投下された原子爆弾ファットマンは長崎市松山町上空500メートルでさく裂しました。
長崎市には爆心地公園があります。そこは原爆がさく裂した場所の真下に当たる場所で厳密にいえば爆心ではありません。その場所の上空500メートルが原爆がさく裂した場所なのです。そこから長崎の街を見るといままで想像していなかったようなものが見えるのではないか?
実はこれと同じことを1990年代にヘリコプターを使ってやろうとしたことがありました。しかし、当時のヘリコプターは今のような外付けカメラではなくテレビカメラを機内に持ち込んでの撮影、真下を撮るためにはヘリコプターの機体を横倒しにする必要もありました。
高速で爆心地に接近しターンをすることで機体を右に傾け真下を撮るということまでしましたが、うまくいきませんでした。普通に考えるとけっこう無茶なことです。でも、ドローンなら可能になる。想像は膨らみましたが、この撮影には障壁もありました。
ドローンの高度制限です。ドローンを飛ばしていると「どこまで飛べる?何分飛べる?どの高さまで上がれる?」ということを聞かれることがよくあります。NBCで使用している機体だと水平限界距離が5キロで、飛べる時間は25分。高さは航空法で原則150mと定められています。
水平距離や時間は特に問題ではなかったのですが、500メートル上空まで飛ぶために高度問題を解決する必要がありました。法的な高度制限は空域を監督する空港への申請で解除することができます。まずこの手続きが必要でした。
法律の高度制限を突破しても機械の性能や設定の限界というものがあります。ドローンって法律のことを考えなくていいのであれば性能的に高度何メートルまで上がれるのか?これはメーカーや機種によりおそらく違うのだろうと思いますが、当時我々が使っていた機体の設定限界高度が500メートルでした。原爆さく裂点の高さと偶然の一致です。何とか指先が届いたというのが当時の感想でした。
法律上の制限の解除手続きを行い、機体の限界高度MAXを設定しそれに合わせて場所を管理する長崎市と交渉し撮影が可能になりました。
2017年8月、爆心地公園に観光客が訪れる前の早朝6時半に撮影を始めました。ドローンは原爆落下中心地を示す標柱から真上に向かって上がっていきます。高度500メートルに到達するまで3分近くかかりました。
驚いたのはそこから見た長崎の街が意外に間近かに見えたことでした。人はさすがにわかりませんでしたが、車が動いているのがわかります。街が動いていることは十分に感じ取ることができました。72年前にここから放射線が広がり熱線が人々を焼き、爆風が街を破壊した。それらの害厄はこんな至近距離から放たれていたのかということを感じました。
地上から見上げても原爆さく裂点は特定できないので、惨劇を想像するには限界があります。しかし、逆の視点から見たときに命を奪われ破壊される対象は目の前に広く広がっていました。
この時の映像は2017年8月9日のニュースで放送しました。現在もYouTubeでご覧いただくことができます。
ドローン映像の新たな可能性を模索
ドローンの取り組みを始めた2016年はドローンそのものがまだ珍しく、映像の新鮮味もありました。現在ではドローン映像の陳腐化も指摘されていますが、タイミングを見極め、撮り方を研究し、地上の映像だけでは表現できないニュース映像やトピックス映像を放送すべくいまもいろいろ模索しています。普及したドローン社会で新たな鉱脈をみつけようといろいろ考え続けています。
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