2024年の放送界展望
音 好宏(上智大学教授)
はじめに
2024年がスタートした。
日本で放送が始まって99年目にあたる今年、日本の放送界はどのような展開をするのか、その展望を語ってみたい。
2024年、放送事業の見通し
放送事業、特に広告収入を主たる財源とする地上民放のビジネスモデルは、マクロ経済連動型であり、日本経済の動向に大きく左右される。日本経済が堅調であれば、放送局の経営環境も安定的というのが、これまでの姿だった。
では、2024年の日本経済の見通しはどうであろうか。毎年、年末に組まれる景気動向を予測する紙・誌面を見ると、2024年の日本経済の成長度合いは1.0%と鈍化傾向に向かうと見る経済評論家、主要企業の経営者は多いものの、消費回復などで上向きを維持するとの見方が大勢で、インフレ率も2%台との予想が多い。
岸田政権が唱える「賃上げ」がどこまで達成されるのかは、見方の別れるところではあるが、内需拡大への期待が高いのは確かである。では、それら消費回復を見込んだ広告費の伸びが、そのまま広告放送に流れるのかといえば、そう甘くはないというのが実情である。
近年、日本の放送事業を取り巻く環境は、大きく変化を遂げている。その最大の要因は、インターネットの伸張であり、急速に進む視聴者の「テレビ離れ」は、言わば、インターネットへのシフトということになろう。
大手広告主におけるメディア・プランニングは、インターネットを中心に据えた出稿計画に移行する傾向にあり、勢い広告出稿先がインターネットにシフトしていく状況がある。
電通が発表する「日本の広告費」では、2021年以降、インターネット広告費が、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌のいわゆる「4マス」の広告費の総額を上回っており、日本経済の回復が、そのまま放送への広告増につながるとは言いがたい状況にある。
その分、TVer、Radikoといった広告モデルに立ったオンデマンド・サービスの拡充を図りつつ、VOD事業や、番組のDVD化、映画化、海外展開といったコンテンツのマルチ展開化は一層加速するであろう。他方において、イベント連動型の事業など、非放送系事業の拡充が進むことが予想される。
NHKによる動画配信の本来業務化は
一方、NHKにとってもメディア利用者のインターネットへのシフトは、その存在を揺るがすものであり、NHKは、自らを「公共メディア」と称して、オンラインでの番組提供、情報提供の本格化に向け動いてきた。
昨年、総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」で、放送番組のオンライン上での同時配信を本来業務とする方向が示され、その具体的な制度整備が検討されている。このNHKの同時配信の本来業務化に向けた議論は、この夏を目途に一応の決着がつくことになるだろうが、NHKと競合関係にある新聞業界、民放業界からは「民業圧迫」との声は強い。
特に部数減による経営環境の悪化が叫ばれている新聞業界からの反発は激しく、NHKの本来業務化に向け、制度整備が進むにしても、新聞業界などから、細かな注文がつくことは避けられないだろう。
確かにインターネット上での動画配信は、利用者からすれば、既存のテレビ、ラジオと何ら変わらないばかりか、スマートフォンの普及により、いつでもどこでもアクセス出来るサービスとして、その利便性において、若者を中心に、よりユーザーフレンドリーなサービスになってきている。
しかし、私たちの社会生活において、インターネットを通じて提供される情報への依存が高まることで生ずる課題として、エコーチェンバー、フィルターバブルといった情報接触の偏在化、分散化による社会認識の共有度が低下する事態が生じていることはもとより、フェイクニュースの増加も社会問題化しつつある。
特にAIの進展により、ディープフェイク情報が散見されるようになっている。2023年11月には、岸田首相の偽動画がネット上に出回るという事件も発生している。AI技術がますます高度化すれば、偽動画の精度は上がり、ホンモノとの見分けが更に難しくなるであろう。
このような状況に対応するため、健全な社会生活の維持のために、信頼性のある情報にアクセス出来る環境をどう担保していくかについては、メディア利用者個々人のリテラシーの向上に期待するのみならず、信頼性のある社会情報が国民に確実に届くための制度整備を早急に進めるべきとの声も多い。現に日本を含む西側先進諸国では、プラットフォーム規制に関する論議が続いており、その流れは今年も一層活発化するであろう。
他方において、ネット環境において信頼性が担保された生活情報へのアクセスを一定程度担保するための環境整備(プロミネンス制度)については、英国ですでに制度整備が進んでおり、日本においても、昨年末より放送の同時配信における視聴履歴等の取り扱いの適正化を図る実証実験が動き出した。
OTTの伸張などのなかで、CTV(コネクテッドTV) へのシフトはより一層進むとして、既存の放送事業者においても、オンラインとの連動、展開の一層の深化に対応したサービスを提供しようとしつつあるのは先に触れた通りであるが、これらの実証実験を通して、特に埋没感が懸念されているローカル放送局のプレゼンスがどう維持、展開されていくのかは注目されるところである。
衛星放送を取り巻く改革の動き
NHKのネット配信業務の検討と連動する形で、前田晃伸前NHK会長時代に、NHKのスリム化策として示されたのが、BS放送の減波である。昨年末、既にBS2は、サービスを終了。停波の準備に入った。
他方で、昨年11月には、BS放送の右旋円偏波に新たに、3事業者の認定が発表された。昨年3月に行われた申請受付には、3つの認定枠に5事業者が申請を行ったものの、2事業者が申請を取り下げるといった事態に至る。
ネット上での動画配信サービスが本格化するなかで、1990年代以降、約30年間に渡って日本の放送の多チャンネル化を牽引してきた衛星放送サービスのありようが改めて問われていると見ることも出来よう。
昨年11月、先に上げた「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」の下に、衛星放送ワーキンググループが設置され、衛星放送の将来に向けた具体的な対応について議論が始まった。ワーキンググループでは、衛星プラットフォームの共同衛星・共同管制によるインフラコストの低減、4K放送の普及や難視聴地域などに向けた地上放送の代替サービスに左旋空き帯域の有効活用など、衛星放送にかかる具体的な方策が検討されることになっている。
それらの議論は、メディア環境変化のなかで、衛星放送事業に何を求めていくのか。当然それは、この30年に渡って衛星放送と共に多チャンネル放送サービスを担ってきたケーブルテレビのあり方を問うこととも、連動することになろう。その意味では、今年は、いわば、メディア間秩序を改めて検討することにもなるのではないか。
「働き方改革」と2024年問題
他方において、いま、放送現場が直面する大きな問題は、その担い手の確保であり、また、その労働環境の整備である。
放送業界といえば、就職活動をする大学生の人気業種であり、「狭き門」というのが定番であったが、近年は、人気業種であることには変わりはないものの、その求人倍率も以前と比べ低下傾向にある。特に、制作会社におけるAD不足は常態化しているとの声は多い。「放送現場は3K職場」との認識が払拭されないままでいることが、大きな原因の一つとされる。
そのようななかにあって、放送現場においても働き方改革が強く求められている状況がある。周知の通り、働き方改革関連法に伴い労働基準法が改正され、一般的に時間外労働は、原則月45時間、年間360時間と規定され、大企業では2019年4月、中小企業では2020年4月から施行されている。
現在、放送現場は、放送局社員とともに制作会社のスタッフや、派遣や契約のスタッフなどによって支えられているのが実情である。組織運営上、働き方改革のしわ寄せが、外部スタッフにおよびがちであることは容易に想像がつく。
この問題に関しては、総務省などでも、制作取引の適正化の問題とも絡んでしばしば指摘されてきたところである。特に今年は、働き方改革関連法において、事業や業務の特性上、運用が猶予されていた物流・運送業界においても、この猶予措置が終了し、4月以降はトラック運転手などの残業規制が強化される。これにより、物流界での労働力不足が懸念されている。
この2024年問題は、労働市場全体に少なからず影響をもたらすとされている。放送界に関して言えば、制作会社や派遣・契約スタッフを含めた働き方改革の徹底が求められることになろう。
総務省が設置した放送コンテンツの適正な製作取引の推進に関する検証・検討会議においても、昨年末より、放送コンテンツ製作取引適正化ガイドラインの改定作業に向けた検討が進められているが、2024年の改定作業においては、著作権の帰属、適正な製作費の検討とともに、この就業環境の適正化が問われることとなろう。
この1年のスケジュール ~ スポーツと政治
最後に、この1年、メディアが注目する主な出来事を確認しておこう。
昨年、開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、スポーツイベントがいまもって多くの視聴者を魅了するコンテンツであることを証明したが、そのWBC、そしてメジャーリーグで大活躍した大谷翔平選手は、今シーズンからは、ロサンゼルス・ドジャーズに移籍する。昨年秋に右肘手術を受けたこともあり、投打の二刀流が見られるのは今年の秋か、来年からかも知れないが、その二刀流復活も含め、日本のメディアはその動向を追い続けることになるのではないか。
また、7月にはパリ五輪が開幕する。パリ五輪に向けた参加種目の日本代表選出戦は既に始まっているが、これらの代表選出の試合も、視聴者を引きつけるスポーツ・コンテンツとなるだろう。昨年のWBCの中継で明らかになったように、ネット系メディアの伸張にあっても、スポーツ生中継は、いまだ放送におけるキラーコンテンツとなりうるのは確かである。
また、今年は、国内政治も大きく動く年になるかも知れない。
この9月に岸田首相の自民党総裁の任期が満了となるが、総裁選を乗り切るために、総選挙に打って出て、首相続投のカードを得ようとする可能性は少なくない。ただ、岸田政権は、昨年来、支持率の低下を続けているのに加え、昨年末から続く自民党安倍派議員を中心とした派閥パーティ券収入の不記載問題は、政治不信を加速させるのは必至で、岸田首相は難しい政局運営を強いられることになろう。
他方で、7月には、小池百合子都知事も任期満了を迎える。小池都知事は、2017年の第48回衆院選総選挙にあたり「希望の党」を立ち上げ、野党の結集、政界再編を目指した小池旋風を起こした。2017年の総選挙では、小池知事の失言などもあり、希望の党は、結果的には失速。2020年の都知事選では、東京五輪の主催都市の首長となるべく、都知事選に立候補、再選されたものの、小池氏に国政復帰の意欲がなくなったとは思えない。元テレビキャスターで、メディア・パフォーマンスに長けた小池知事でもあり、その動向は政局となり得る可能性を孕む。
海外でも、今年は日本に少なからず関係する選挙が続く。
主なものを挙げると、1月に台湾総統選挙、3月にはプーチン大統領の続投を決めるロシア大統領選挙がある。4月には、韓国で総選挙がある。現在、少数与党のため厳しい議会運営を強いられている尹錫悦大統領にとって重要な選挙であり、この結果は、日韓関係にも少なからず影響しよう。そして11月には、米大統領選挙が予定されている。
2022年2月から続くウクライナへのロシア軍の侵攻は、いまだ停戦の兆しが見えない。他方、昨年10月のイスラム原理主義組織・ハマスによるイスラエルへの大規模攻撃に報復する形で始まったイスラエル軍のパレスチナ人の住むガザ地区への攻撃も、国際社会から非難を浴び続けながらも、引く気配はない。
岸田首相は、1月に始まる通常国会をどう乗り切るか、また、6月にイタリアで開催されるG7サミットなど国際的な政治交渉の場で、日本のプレゼンスをどう示すことが出来るのかによって、秋以降の立場を決めることになろう。
そのことからすると、国民に実情をどう伝え、その判断にどう資することが出来るのか。戦争報道、調査報道を含め、放送ジャーナリズムの存在意義も問われることになろう。
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