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札幌の「住宅地」にヒグマ出現、そのときメディアは

【クマが出没するなど考えられなかった住宅地にヒグマが現れ、被害が発生した。その時、地元の放送局は何を、どう伝えたか】

山﨑裕侍(HBC北海道放送 報道部編集長)

ヒグマ出没の第一報

 悪い目覚めだった。午前4時14分、枕元に置いてあるスマートフォンの着信音がけたたましく鳴った。

 「札幌市東区の路上にヒグマ出没」

 泊まり勤務の記者からの連絡だった。僕はこの日ニュース番組の編集長だった。札幌でもクマの目撃情報は頻繁にある。しかし周囲に山林のない東区の住宅街でヒグマの出没なんて聞いたことがない。何かの間違いではないかと思った。

 最初の通報は午前3時半ごろ。東区北31条東19丁目の路上で「クマが歩いている」との通行人からの110番だった。現場は札幌駅から北東に3キロの住宅街。学校や幼稚園、地下鉄の駅があり、高速道路も走っている。人口の多い地区だ。まだ市民からの通報のみで、警察が実際にヒグマを確認しているわけではないという。

 約197万人が暮らす札幌では去年31頭のヒグマの生息が確認されている。目撃情報が100件以上に上る年も多いが、山林に接している南区や西区に集中している。僕たちもそのたびにカメラを出すが、多くの場合、ヒグマはすぐに山へ戻ってしまう。見間違いと思える通報も少なくない。

 午前4時半ごろ、泊まり勤務だった大内孝哉カメラマンが現場に着いた。タクシーに乗ったまま目撃通報があった現場を走るが、ヒグマの姿は見当たらない。

 大内カメラマン
 「ヒグマが出た住所が札幌の中心部でとても信じられなくて、最初は誤報じゃないかと思いました」

 僕は泊まり記者に「もしヒグマがいる可能性が高いなら空撮を出して」と指示し、会社へ行く準備をした。続けてもう一人に連絡をとった。幾島奈央記者だ。ヒグマ取材の経験豊富な記者で、万が一本当にヒグマが住宅街をウロウロするようだったら彼女の力が必要だと思った。「いつでも出られる準備をしておいて」と告げると、彼女は大して驚きもせず「わかりました」と短く答えた。

 幾島記者
「ヒグマは札幌の住宅街にいつ出てもおかしくないと思っていたので、すぐに準備して現場に向かいました」

ヒグマ発見

 午前5時半、会社に着いた僕は現場のカメラマンが中継機材を持っていかなかったことを知り、急いで手配した。ローカルで朝の生番組を放送している他のテレビ局が「クマ出没」のニュースを伝えているが、ヒグマの映像を流しているところはまだなかった。

 午前6時すぎ、現場の状況を聞こうと大内カメラマンと電話でやりとりしていたときだ。電話口から突然「いた!いた!」という声が聞こえた。

【引き続き「緊迫するヒグマ取材現場」に続く】

緊迫するヒグマ取材現場

 大内カメラマン
 「大型商業施設の前を通りかかったとき、近くを走っていた車が10秒ほど大きくクラクションを鳴らしたのです。その瞬間、『クマだ』と思い、カメラの録画ボタンを押しました。ファインダーには商業施設の駐車場を走るヒグマの後姿が映りました。するとヒグマが走っていった先に人がいて、直感的に危ないと思い『逃げて!』と叫びました」

画像①② 商業施設駐車場を走るヒグマ

商業施設駐車場を走るヒグマ

 大内カメラマンは最初のヒグマ撮影に成功した。本社に送られてきた画像を使い、HBCはインターネットニュースで速報し、テレビやラジオでも断続的に伝えた。現場に他のテレビ局のカメラマンが続々と集まってくる。ヒグマは商業施設と小学校の間にある茂みに身を潜めて出てこなくなった。どうしてもヒグマを撮影したい他社の記者やカメラマンは車から降りて、周囲を歩きまわる。しかし大内カメラマンは安全を最優先し、車から出なかった。HBCでは3年前に南区でクマの出没が相次いだときから、安全確保が万全でない場合、取材は基本的に車内で行うようにしている。

 大内カメラマン
 「安全な車の中で撮影していても、ヒグマが車に突っ込んでくるのではないかという恐怖心がありました。もしカメラマンが外に出て撮影すると、襲われてしまう可能性がありました。他社のカメラマンに『危ないですよ』と声をかけたのですが…」

 午前6時半ごろ、幾島記者が合流した。彼女も大内カメラマンと同じ意見だった。

 幾島記者
 「ヒグマの報道で大切なのは、自分たちは命を守るために取材しているということを忘れないことです。私たちがヒグマを追い回すことでヒグマを興奮させて、それが住民の被害につながったりすることもあり得るので、安全確保は大切にしていました」

 午前6時40分ごろ、現場に中継機材が届いた。本社につながった中継映像には、ヒグマが潜んでいるとみられる茂みの前で他社の報道陣が人だかりになっている様子が見えた。これではヒグマが姿を現しても、うちのカメラには映らない。僕は幾島記者に電話した。

 「うちももっと近くで撮影できないか?」

 「クマは時速50キロで走ってきます。100メートル離れていても10秒もかかりません。いつ茂みから飛び出してくるかわからない状況で車から下りて取材したら自分たちの安全を確保できません」

 僕は自分の認識の浅はかさを恥じた。「他社と映像的に見劣っても、安全を最優先しよう」という羽二生報道局長の指示もあり、現場の判断を尊重した。

 ヒグマの取材現場は、災害と同じだった。災害取材では、時に逃げてくる住民に逆らい、危機が迫っている現場に僕たちは向かう。そのとき何よりも大切なのは、メディアが救助される側になってはいけないということ。もし僕らが救助される事態になってしまったら、本来なら救われるべき人の救助の機会を奪うことになる。だからといって“取材するな”という意味ではない。災害への知識、経験、安全対策をどこまで講じて取材に向かうかが問われているのだと思う。本社の報道フロアはかけつけた記者やデスクでごった返し、ホワイトボードに現場の人員配置などが書き込まれ、怒号が飛び交う。現場も本社も、災害報道の様相だった。

住民がヒグマに襲われる

 恐れていた事態が起きた。午前6時すぎ、警察署に詰めていた記者から「クマに襲われてけが人が発生らしい」との一報が届いた。午前5時55分、最初の目撃から約1キロ南の場所で、ごみ出しをしていた70代の男性と80代の女性が相次いで襲われていたのだ。2人は幸い軽傷で済んだが、これで危険度のステージは一段階あがった。人を襲ったヒグマは、再び人を襲うリスクが高まる。

 ヒグマは商業施設横の茂みから抜け出した。道路を走ったかと思うと、住宅の庭に入り込み姿を消す。刻一刻と入る目撃情報をつなぎ合わせるとすごいスピードで北上しているのがわかる。そして午前7時15分ごろ、地下鉄新道東駅近くの路上で通勤途中の40代の男性会社員が襲われた。男性は背中などをひっかかれ、ろっ骨を折る重傷を負った。幾島・大内クルーの車が現場を通りかかり、歩道で倒れている男性の姿が中継映像で飛び込んできた。服は血に染まり、警察官が懸命に呼びかけている。

画像③クマに襲われた男性

ヒグマに襲われた男性

 大内カメラマン
 「倒れていた人を見たときが一番やばいと思いました。撮っている最中とても葛藤しました。報道カメラマンは一番いい画を撮りたいと思って撮影しています。けど、けが人を見てからは、ヒグマを撮影しながら注意喚起をしなくてはという考えに咄嗟に変わりました」

 撮るべきか否か悩んだ幾島記者と大内カメラマンは、住民に注意を呼びかけながら取材を続けることにした。自らがヒグマを追いかけて興奮させるような行動はしない、パトカーを優先させる、このことを心がけた。他のテレビ局は取材車両でヒグマを追い回すような映像を何度も繰り返し流していたが、幾島・大内クルーは「報道か人命か」という取材現場が背負う課題にどうにかして調和しようともがいていた。

住民に伝わりづらかったヒグマ情報

 HBCは全国放送やローカル放送の生番組内で中継をしたり、インターネットでライブ配信したりするなどヒグマ出没の報道を続けた。だが情報が届かなかった住民も多かった。警察もパトカーで巡回しながら「クマがいるので外に出ないでください」と拡声器で住民に呼びかけるものの、鞄を手に駅へ歩くサラリーマン、自転車で通学する子どもたち、ごみを出す主婦、普段とかわりない光景が広がっていた。

 幾島記者
 「パトカーが呼びかける音声が反響し聞きづらかったです。住民も『こんなところにヒグマが出るはずない』と思っているのか、すぐに認識できない人が大勢いました」

 大内カメラマン
 「普通に通勤している風景が目の前にありましたが何かがまったく違いました。上空にはヘリが飛んでいるし、遠くからパトカーや救急車のサイレンが聞こえる。災害現場みたいな、今まで経験したことのないような札幌の街の風景でした」

画像④走るヒグマ(視聴者撮影)

走るヒグマ(視聴者撮影)

 午前7時55分、ヒグマは陸上自衛隊丘珠駐屯地で正門を警備していた自衛官を襲ったあと敷地内に入り、近くの茂みの中に隠れた。午前8時、HBCのヘリが駐屯地と滑走路を併用する札幌丘珠空港から離陸した。数分後、滑走路上にヒグマが現れ、空港は急きょ滑走路を閉鎖した。出遅れた他社はヘリを飛ばせなかった。HBCは時に悠々と歩いたり、時に逃げ回るように走ったりするヒグマの様子を上空から生中継で放送した。これまでの取材経験で、ヒグマは自分の身を隠したがるため、茂みに入ってしまうことが多いことを知っていた。そうなると上空からしか姿をとらえられない。いち早い準備が功を奏した。

 最初の目撃通報から8時間後の午前11時11分。空港敷地内の茂みに逃げ込んだヒグマに向かって、札幌市から駆除の要請を受けたハンターが発砲した。乾いた5発の銃声が初夏の青空に響いた。息絶えたヒグマがブルーシートに包まれ運ばれていく様子をヘリは上空から伝えていた。体長161センチ、体重158キロの5,6歳のオスのヒグマだった。

 大内カメラマン
 「クマが射殺されて、安心感も少しあったけど、何ともいえない複雑な気持ちでした」

画像⑤クマ地図

 予兆はあった。5月29日、東区で出没した場所から北東へ約10キロの茨戸川緑地付近でヒグマが目撃されていた。その後も連続してフンが発見された。その北には、ヒグマの生息地である増毛山地が続く。専門家は、繁殖期を迎えたヒグマが、山から河川敷や河畔林、水路を伝って市街地までやってきた可能性が高いとみている。水路が地下溝に潜り込む場所で先に進めなくなり、行き場を失ったヒグマが住宅街に出てしまった。そして人間や車を見てパニックになり、見かけた人を次々と襲ったと思われる。解剖した結果、胃の中はほとんど空だった。食べようと襲ったのではなかった。

 大内カメラマン
 「ヒグマも驚いていた様子だった。普段、山にいるはずがこんな都会に来てしまって。ヒグマは逃げ回っているように見えた」

今後への教訓、報道に課せられた使命

 5月下旬に目撃通報があった段階で、水路をふさぐなど、行政は何らかの対策ができたはずだ。あるいは住宅街に出没したとき、災害時の特別警報で使う緊急速報「エリアメール」で注意喚起できなかったのだろうか。

 僕にも後悔がある。最初の目撃通報からけが人が出るまでの2時間半、クマが出没している可能性が高いとわかった時点で、速報テロップを出せばよかった。もし一人でも多くの住民が速報を目にしていたら、4人もの重軽傷者を出さずに済んだかもしれない。人々の生命財産にかかわる重大な事態を報道する責任を果たせたとは今も思っていない。

 その日の夕方のニュース番組はヒグマ一色となった。現場のドキュメントだけでなく、専門家にインタビューしたほか、旭川市旭山動物園の小菅正夫名誉園長をゲストに招き、ヒグマとの共存をスタジオで考えた。そして奇しくも当日予定していた特集が、幾島記者が取材した「父はクマに連れ去られた…息子の共存への決意」だった。父親がヒグマに連れ去られ行方不明だという男性を取材し、その男性がヒグマへの憎しみではなく、共存を考えるに至った心模様を描いた内容だ。幾島記者はこの日のことを次のように振り返る。

 幾島記者
 「今回、けが人が出るのを防げなかったのは、私たち報道が伝える力が足りなかったからだと思って反省しています。そこでもし、災害のように注意喚起ができていたら、みんなが出歩くことをやめていたかもしれない。また常日頃からヒグマについてもっと伝えていれば、道民の意識も変わったのではないかと思います。そこは反省点です」

 去年、北海道でのヒグマによる死傷者は12人。1962年の統計開始以来、最多となった。人口減少と過疎化で里山が減ったことで、人間と野生動物の距離が近くなり、市街地に多く出没するようになっている。今後はさらにヒグマ出没を取材する機会が増えてくるだろう。僕たちは果たしてヒグマの生態をどこまで知っているのだろうか。安全対策は個人に任せっぱなしになっていないだろうか。住民への注意喚起の報道は十分か。人間とヒグマとの関係性が変わっているなか、報道のありようも変化を求められている。

 2020年度、北海道で捕殺されたヒグマは930頭と最多となった。

<参考動画>
【特集】札幌の住宅街にクマ「まるで災害現場」北海道のニュース検証① 2021年12月22日放送
【特集】「父はクマに連れ去られた」 息子の共存への決意 2021年6月18日放送
<執筆者略歴>
山﨑裕侍(やまざき・ゆうじ)
1971年生まれ。94年、東京の制作プロダクション入社。98年、「ニュースステーション」専属ディレクターとして、死刑制度、少年事件、犯罪被害者、未解決事件などを継続取材。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者取材で報道局長賞受賞。
2006年、HBC入社。12年、道警キャップ。14年、道政キャップ。16年、特集担当デスク。19年、統括編集長。21年、企画統括の編集長に担務変更。

主なディレクター作品
『命をつなぐ~臓器移植法10年・救急医療の現場から~』2007年11月25日
『赤ひげよ、さらば。〜地域医療“再生”と“崩壊”の現場から~』2009年5月29日
『凍えた部屋~姉妹の“孤立死”が問うもの~』2012年5月26日

主なプロデューサー作品
『“不幸な子ども”を生きて~旧優生保護法がもたらしたもの』2018年5月27日
『ヤジと民主主義~小さな自由が排除された先に~』2020年4月26日放送
『ネアンデルタール人は核の夢を見るか〜“核のごみ”と科学と民主主義〜』2021年11月20日放送

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