データからみえる今日の世相~データで追いかける“不適切”の半世紀~
江利川 滋(TBS総合マーケティングラボ)
TBSテレビ系では今年(2024年)の1月から、金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(毎週金曜よる10時、略称『ふてほど』)が放送中。
番組サイトに曰く、「最高のキャストでお送りする意識低い系タイムスリップコメディ!!」「昭和のダメおやじの『不適切』発言が令和の停滞した空気をかき回す!」。
ドラマでは、阿部サダヲ氏演じる“昭和のおじさん”の主人公・小川市郎が、タイムスリップで1986(昭和61)年と2024(令和6)年を行ったり来たり。市郎の発言は令和では“不適切”な極論ながら、コンプライアンスで縛られた令和の人々に考えるキッカケを与えていく、というコメディです。
本作主演の阿部氏と脚本・宮藤官九郎氏、TBS磯山晶プロデューサーは、過去にも多くのTBSドラマに参加。『池袋ウエストゲートパーク』(00年)、『木更津キャッツアイ』(02年)、『タイガー&ドラゴン』(05年)と、好きな人は本当に好きな作品ばかり(かく言う筆者もその一人)。
放送のたびにSNS界隈をざわつかせている本作、ぜひ一度、金曜よる10時の放送やTVer、TBS FREEの無料見逃し配信をご覧ください。
86年当時、筆者は高校生で、本作の登場人物でいえば市郎の一人娘・純子ぐらいの年頃。そのため、テレビの前では「昔こんなのあったなあ!」とか「昔こんなのあったかなあ?」とか、ツッコむことしきり。
今の目で見ると「これはいかがなものか」という言動が、毎週毎週、次から次へと画面で繰り広げられます。
例えば第1話。中学教師の市郎が職員室や路線バス(乗合バス)の中でタバコを吸うシーンに、我が家では「確かに当時は先生が職員室でタバコを吸っていた」「観光バスには座席に灰皿があったが、路線バスには当時もなかった」などの証言あり。
あるいは第3話。昭和のテレビに『早く寝ナイトチョメチョメしちゃうぞ』なる架空のお色気深夜番組が登場。こちらも「あの番組か、この番組か」と元ネタを想像しつつ「もっと過激な番組もあった」との思い出も。
こうした“不適切”なアレやコレが、当時はどうで今どうか。今から当時の世相を云々するのは、それこそタイムスリップでもしないと無理そうですが、そこを可能にするのがTBSの誇るTBS総合嗜好調査です。
1986年はおろか、70年代から人々の「好きなもの」を毎年調べ続けているTBS総合嗜好調査を駆使して、本作でも扱った2つの“不適切”事案、「喫煙」と「お色気」を考えてみます。
喫煙者、昔4割、今2割
まずは「喫煙」。本作の昭和パートではやたらとタバコが吸われます。
ちなみに現在は全席禁煙の東海道新幹線も、1964(昭和39)年の開業当初は全席喫煙可能でした。その後、76(昭和51)年にこだま号が禁煙車を1両導入したのを皮切りに、健康志向の高まりで徐々に禁煙車が増え、07(平成19)年運行開始のN700系では喫煙ルーム設置の代わりに全席禁煙化。そして今年春、喫煙ルームの廃止も決定されました(注1)。
ことほどさように喫煙者は肩身が狭くなる一方ですが、そうした状況はTBS総合嗜好調査の結果をまとめた次のグラフでも見て取れます。
75~88年は「ふだん吸うタバコの銘柄」、92年以降は「1日あたりの喫煙本数」の結果を20~50代で集計。非喫煙者の選択肢は各々、前者が「タバコは吸わない」、後者が過去の経験も絡めた内容となっています(注2)。
グラフを見ると、70年代後半には4割を超えていた喫煙率が直近(23年)では2割弱で、およそ半世紀の時間をかけて半減。
また、直近で禁煙転向者が3割、「吸ったことがない」人が約半数と、世の中の8割が非喫煙者。そうした今から振り返ると、職場や公共交通機関で自由に喫煙していた昭和は確かに異世界です。
嫌われていく「性的な話題」
もう一つの“不適切”事案が「お色気」。
それらしい雰囲気を出している本作昭和パートの深夜テレビも、当時を知る身としては相当おとなしい印象です(令和のプライムタイムに放送するドラマだから当たり前ですが)。
深夜テレビは65(昭和40)年開始の『11PM』(日本テレビ系列)がその先駆けと言われますが、80年代は土曜深夜に各局が刺激的な番組でしのぎを削っていました。
キッカケは『オールナイトフジ』(フジテレビ系列、注3)。83(昭和58)年開始のこの番組は、素人の女子大生を多数出演させ、生放送のハプニング性を強調して、若者を中心に爆発的な人気を獲得。
「すべてが作り込まれた番組ではなく、いかにも本当っぽい、リアルな面白さがある」点が受けたのではないか、とはコラムニストの泉麻人氏の言(泉、2017年)。また、ウィキペディア曰く、開始当初はアダルトビデオ紹介や性風俗店探訪といった性風俗を扱ったコーナーもあったとか(注4)。
すると『オールナイトフジ』の成功に刺激された他の民放キー局が、より過激な切り口から性風俗情報を扱った番組(日本テレビ系『TV海賊チャンネル』、テレビ朝日系『ミッドナイトin六本木』、テレビ東京系『夜はエキサイティング』)を84年10月に一斉スタート(注5)。
その内容があまりに過激で、翌85年2月の第102回国会衆議院予算委員会で質疑が行われたほど。ここには書けない“不適切”な番組内容は、ネットで議事録を検索してみてください。
TBS総合嗜好調査には、いろいろな意見・態度から、自分にあてはまるものをいくつでも選択する質問があり、そこに次の選択肢が入っています。
セックスなどの話題は露骨すぎてきらいだ
セックスなどの話題は時と場合によってはかまわない
この「話題」を猥談(わいだん)ととるか、性教育の話ととるかは回答者次第。ちなみに猥談とは「自分の性的関心を誇示すると共に、ことさらに相手の性的関心を挑発するような露骨な話」(新明解国語辞典第八版)。
これらの選択率の推移を、男女別に示したのが次の折れ線グラフです。
この約半世紀の間、男女とも、この「話題」は「露骨すぎてNG」という拒否派より、「時と場合によってはOK」という容認派のほうがマジョリティながら、両者の間は接近中。また、常に女性より男性で容認派が多く反対派が少ないですが、男性のほうが「性的関心を誇示」しがちだというイメージ(個人差があります)に合致する結果ともいえます。
折れ線グラフの動きをもう少し細かく追ってみると、70~90年代後半は、容認派が男性で6割前後、女性でも5割くらいで推移。対する拒否派は女性が2割強、男性が1割~2割弱程度と、圧倒的に容認派が多く、『ふてほど』が描く86年も含めて、昔はこの「話題」に寛容でした。
しかし、90年代末頃から男性の拒否派が微増傾向を見せ始め、「草食男子」という言葉も出た00年代後半に2割弱に到達してそのまま推移。
これに対応するように、男女の容認派も徐々に減少。00年代後半以降は女性が4割で横ばい、男性も4割に年々接近中。
昔は時と場合をわきまえればOKとされた性的な話題も、今や“不適切”として敬遠する人が増えてきています。
“昭和のおじさん”も減っていく
喫煙、性的話題と2つの“不適切”事案について、時代の変化を眺めてきましたが、もう1つご紹介したいのが、人々の態度や人柄についての変化。
筆者が『ふてほど』の主人公である“昭和のおじさん”に抱く印象は、良くいえば「融通が利く」、悪くいえば「いい加減」。そして他人に対して遠慮なくモノをいい、積極的に関わっていくタイプに見えます。
TBS総合嗜好調査から、そうした特徴を表現していそうな選択肢について集計したのが、次の折れ線グラフです。
80~90年代には、10~50代の3人に1人が、自分を「多少の不規則は気にならないほう」だと認めていました。しかし、世紀が変わる頃からそうした人がだんだん減っていって、今では5人に1人ほど。
一方、「して良いこと悪いことの区別を、態度・行動ではっきりさせる」(広辞苑第七版)という「ものごとにけじめをつけるほう」。80年代前半まで不規則容認派を上回って4割近い時期もありましたが、その後は減少の一途で今は1割程度。
不規則を容認するわけではないが、けじめをつけるほどでもない。何か脱線気味の事態に出くわしたら「嫌だなあ、でもわざわざ言うのもなあ」とためらう感じの人が増えている、ということでしょうか。
同様に減少傾向なのが「他人に対する関心が強いほう」な人。人の噂話が好きだったり、おせっかいだったり、というイメージもしますが、『ふてほど』で描かれた80年代後半の3割弱がピークで、その後緩やかに減少中。
逆に地味に数字が伸びているのは「他人のことには無関心なほう」。元々70年代後半に4割超えでしたが、約半世紀後の現在は5割弱をキープ。
これが「他人がどうでも知ったこっちゃない」薄情者の増加なのか、はたまた「他人の事情を尊重して、外野が余計な口出しをしない」という忖度(そんたく)なのかは気になるところ。
「アレも“不適切”、コレも“不適切”」が不適切
喫煙と性的話題という2つの“不適切”事案は、「昔OKだったのに、あるとき急にNGになった」のではなく、半世紀近い時の中で徐々に変わっていったというのはデータが示す通り。
喫煙は、健康に対する影響への理解が広がって、今は「吸いたい人は場所を選んで吸い、吸いたくない人に吸わせない」のが常識。
性的話題も、80年代半ばのテレビや90年代後半以降のインターネットなどで、主に異性愛者の男性の性的関心だけに応えた露骨な表現がところ構わず目に入る状況に、嫌気がさす人が増えたのかも。
今は「そうした表現が正しかったり、誰もが受け容れたりするわけではない」と認識をアップデートして、一定の指向を押しつけず、様々な指向の存在を尊重するのが常識。
『ふてほど』の主人公・市郎は、身に染み込んだ昭和の常識のままにモノを言い、行動します。それが令和の今日で受け容れがたくなったのには理由や経緯があり、「昔は緩くて良かった」という話ではありません。
人にはいろいろな事情があるので、不用意に踏み込まず、必要とされるときに関わるのが理想。しかし、そこを丁寧に扱う余裕がなかったり、面倒だったりするのが現実。
そこで、コンプライアンスを盾に保身を図り、「多様性の尊重」といいつつ敬して遠ざけ近寄らない。アレも“不適切”、コレも“不適切”と言うだけなのが今どきなら、これは相当薄情な世の中なのでは?
他人にどう関わると不適切で、どう関わらないと不適切なのか。面白おかしく『ふてほど』を楽しみつつ、そんなことも考えさせられそうです。