連載「放送と配信が区別できない世界で―個人情報保護の観点から―」
大平 修司(弁護士)
矢内 一正(TBSテレビビジネス法務部)
〈本連載の構成〉
第1回 「放送ガイドラインの世界」
第1 はじめに
1 本連載の背景と目的
(1)本連載の背景
放送と通信の融合が世界中で進んでいる。
アメリカでは、リニア配信(ひとまず「テレビ放送的なものをインターネット動画配信で」という理解でよい。)の分野で「vMVPD」という新しいサービスが台頭している。これは“virtual Multichannel Video Programming Distributor”の頭文字を取ったものだが、頭の“virtual”を省いた「MVPD」は、従来のケーブルテレビ(CATV)等を指す。すなわち、ケーブルテレビをインターネット経由で「仮想的に」行うものが「vMVPD」だということになる。このような近時の動向を象徴するものとして、「コード・カッティング」という用語がある。ケーブルテレビのコードをカット(ケーブルテレビ局との契約を解約)して、テレビにインターネット回線を接続する(いわゆるコネクティッドTV化する)ような視聴者の動向を言い表すもので、有り体にいえば、アメリカではケーブルテレビが徐々にインターネット動画配信サービスに置き換わっているのである¹。
イギリスでは、2007年に早くも英国放送協会(BBC)が地上波放送と同じ番組をインターネットでリアルタイムに配信するサービス「BBC iPlayer」(30日間の「見逃し配信」を含む。)の提供を開始している。イギリス最大手の民間放送局であるITVも、2010年に「ITV Player」(現「ITV Hub」)という同様のサービスの提供を開始したが、最近では、官民一体でアメリカ発のインターネット動画配信サービス(NetflixやAmazon Prime Videoなど)に対抗する動きを見せている。ITVとBBCがアメリカで設立した「BritBox」はその急先鋒であるが、このような動きが見られるということも、世界的に通信が放送を駆逐しつつあることの傍証であるといえよう。
(2)本連載の目的
日本では、イギリスを約10年遅れで追いかけるかたちで、2022年4月に「NHK+」と「TVer」において放送番組のリアルタイム配信・見逃し配信のサービスがスタートした。時を同じくして、令和2年・令和3年改正個人情報保護法(以下単に「個情法」という。)が施行されるとともに、放送番組のインターネット配信について、放送分野における個人情報保護の規律を定める「放送受信者等の個人情報保護に関するガイドライン」(令和4年個人情報保護委員会・総務省告示第1号。以下「放送ガイドライン」という。)と同様の規制を及ぼすための検討が開始された。我が国の放送分野における個人情報保護の規律を定めるものとしては、後述するとおり、放送ガイドライン以外にも、一般財団法人放送セキュリティセンター(以下「SARC」という。)の定める認定団体指針が存在するほか、放送業界のソフト・ロー(自主規制)の役割を果たす「オプトアウト方式で取得する非特定視聴履歴の取扱いに関するプラクティス」(以下単に「プラクティス」という。)などが存在するが、如上のような状況を踏まえて放送分野における個人情報保護の在るべき姿を検討した論考は、管見の及ぶところ、ほとんど存在しない²。
本連載では、そこで、第1回において放送ガイドラインの特色を明らかにし、第2回においてSARCの認定団体指針とプラクティスの特色を点検したいと思う。
本連載第3回では、電気通信分野における個人情報保護の規律を定める「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」(令和4年個人情報保護委員会・総務省告示第4号。以下「電気通信ガイドライン」という。)を取り上げ、その特色を浮き彫りにしたいと思う。そして、最後の第4回では、放送分野における現在の規律と電気通信分野におけるそれとの異同を浮き彫りにしたうえで、放送と通信の融合が進展する令和の時代において、我が国の放送分野における個人情報保護の在るべき姿について、いささか筆者らの私見を述べたいと思う。
2 我が国の法令等の構造
我が国の放送と配信にかかる個人情報等の保護に関する法令等を図示すると、以下の図1のとおりとなる。仮に放送と配信の境界線がなくなる場合、放送ガイドラインと電気通信ガイドラインの優劣あるいは適用関係等が問題となる。
第2 放送ガイドライン
1 放送ガイドラインの特色
放送ガイドラインは、以下のような特色を有している。
(1)規制方法の特殊性
放送ガイドラインは、専ら「受信者情報取扱事業者」を名宛人としている。その「受信者情報取扱事業者」とは、「放送受信者等³の個人情報データベース等⁴を事業の用に供している個人情報取扱事業者⁵」等をいう⁶。そうすると、平たくいえば、放送視聴者の個人情報をビジネスで取り扱う者であれば、総務省から放送免許を得て放送事業を行う放送局でないとしても、放送ガイドラインの適用を受けるという規制の仕方になっている。例えば、放送事業者から放送受信者等の個人情報を取得したインターネット動画配信事業者が、その個人情報にかかる個人情報データベース等を事業上利用するに至った場合には、放送ガイドラインの適用を受けることになるのである。これに対し、他の分野のガイドラインは特定の分野に属する個人情報取扱事業者を規制対象としている⁷。このように、その事業者が属する事業分野ではなく、その取り扱うデータの性質から規制対象を画している点が放送ガイドラインの最大の特色の1つである。なお、放送ガイドラインには他分野のガイドラインにはない「域外適用」の規定が設けられているが⁸、これはその規律の仕方の違いによるものと思われる⁹。
また、放送ガイドラインは、大別して、①受信者情報取扱事業者に対して一般の個人情報取扱事業者と同内容で課せられる規律、②受信者情報取扱事業者に対して課せられる放送ガイドライン特有の規律(③に該当するものを除く。)、及び③受信者情報取扱事業者が後述の「視聴者特定視聴履歴」を取り扱う場合に課せられる規律を有しており、この点も特徴的である。
このうち①は個情法一般と同内容のものであることから、ここでは立ち入らないことにして、以下、②と③の規律について順番に点検していきたい。
(2)受信者情報取扱事業者に対する規律
受信者情報取扱事業者に対して、個情法による規制に上乗せして課せられる規制(いわゆる「上乗せ規制」)は、以下のとおりである(このうち一部は、正確には「放送事業者」に対する規律であるが、便宜上ここで取り上げる。)。なお、いずれの上乗せ規制についても、その趣旨は「放送視聴者の個人情報保護」にあると考えられるので、例えば、「インターネット動画配信視聴者の個人情報」については、たとえ受信者情報取扱事業者に該当するとしても、以下のような上乗せ規制を課せられることはない。
しばしば誤解のあるところだが、個人情報の第三者提供の同意を得るにあたり、個情法上「その第三者とは具体的に誰か」を明らかにすることまでは求められていない¹⁰。しかし、放送受信者等の個人情報の第三者提供を利用目的とする場合には、上記のとおり、「その第三者の名称等を客観的に特定できる表示」を具体的に明らかにしなければならないとされる。
放送受信者等の個人情報の取得主体は放送受信者が視聴した放送番組にかかる放送事業者以外の者(スポンサー等)の場合もあることから、放送視聴者の誤認を避けるため、上記②及び③の義務が定められている。それぞれの条文を意訳すると、②「放送局でも、番組スポンサーでも、誰でも、放送視聴者の個人情報を本人から直接取得するのであれば、『私があなたから取得しています』というように、自らの氏名や名称を明示しなければならない」、③「放送局は、放送視聴者が自局の番組を視聴している際に、その個人情報を誰かに取得させるのであれば、番組中で『この人があなたの個人情報を取得します』というように、わかりやすく明確に伝えるよう努めなければならない」である¹¹。
(3)視聴履歴に関する規律
受信者情報取扱事業者が視聴者特定視聴履歴を取り扱ううえでの規律は、以下のとおりである。なお、「視聴者特定視聴履歴」とは、視聴者個人情報¹²であって、特定の日時において視聴する放送番組を特定することができるものをいう¹³。これは個情法にはない放送ガイドライン独自の概念である。
視聴者特定視聴履歴を取り扱うにあたっては、要配慮個人情報¹⁴を推知等することのないよう注意しなければならないとされている。なお、この規定は2017年4月に告示された放送ガイドライン(平成29年総務省告示第159号)によって導入されたものであり、おそらく日本で最初のプロファイリング規定であるといわれている¹⁵。
放送ガイドラインによる最大の上乗せ規制である。
受信者情報取扱事業者は、あらかじめ本人の同意を得ないで、①受信料金等の支払請求の目的、②統計作成目的、③匿名加工情報作成目的のために必要な範囲を超えて、視聴者特定視聴履歴を取り扱ってはならない。ここで「取り扱う」とは、取得、保有、利用をいい¹⁶、「利用」とは、取得及び廃棄を除く全般を意味するとされている¹⁷。そのため、結局、上記①から③までと廃棄以外の目的で視聴者特定視聴履歴を取り扱うためには、仮名加工情報¹⁸作成目的の場合も含めて、あらかじめ本人の同意の取得が必要となる。
個人情報に関する同意の取得は、インターネット上のサービスであれば、サービス利用に先立って利用規約やプライバシーポリシーとそれに同意する旨のチェックボックスを提示し、ユーザーがそれにチェックを入れる等の方法により行われるのが一般的である。放送サービスにおいて同意を取得する方法としては、サービス利用に先立って(一番最初にテレビの電源を入れた際に)利用規約に同意させる方法や、番組放送中にテレビ画面にデータ放送による同意取得画面を表示させる等の方法が考えられるが、いずれも実施が容易ではないため¹⁹、この規制は放送事業者にとって高いハードルとなっている。
なお、本条は個情法の上乗せ規制であるから、個情法が例外的に同意不要としている場合――例えば、個人データの第三者提供については原則として本人同意が必要であるが、例外的に学術研究機関に対し学術研究目的で提供する場合²⁰は同意不要となる――であっても、同意の取得を要請するものと理解すべきである。もっとも、「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」²¹のように極めて高い公益性ゆえに同意不要とされる場合には、例外的に本条による同意も不要と解すべきように思われる。そうすると、結局のところ、個情法上例外規定が存在する場合の本条による同意の要否については、例外規定の趣旨や同意取得の困難性等を総合的に考慮して決するしかないと思われる。
受信者情報取扱事業者は、放送受信者等が上記②(第42条第2項)の同意をしなかったことを理由として、放送の受信を拒み、又は妨げてはならないとされている。放送が国民に最大限普及されることを目的とする放送法の趣旨を踏まえ、上記②の同意が放送受信の要件とされる事態を避けるための規定である。
2 残された検討課題
放送ガイドラインの改正について検討している総務省「放送分野の視聴データの活用とプライバシー保護の在り方に関する検討会」においては、今後見直しを検討すべき事項として、①放送分野特有の上乗せ規制の在り方、②オプトアウト方式による視聴者非特定視聴履歴の取得の在り方、③配信サービスにおける視聴者の個人情報の取扱いに関するガイドラインの適用関係が挙げられている²²。今後の検討会においてこれらについて検討がなされ、その結果を反映させる方向で放送ガイドライン改正がなされるものと思われる。
(次回に続く)
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