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バラエティ(番組)とは何か

【バラエティ番組って何だろう?「オレたちひょうきん族」「ぴったしカン☆カン」「欽ドン!」など数多くのヒット作を手掛けた筆者による考察】

高橋秀樹(放送作家・発達障害研究者・ Webメディア「メディアゴン」主筆)

「バラエティ」を日本語にすると・・・

 (文中敬称略)放送作家に転身してまもなくの昭和53年(1978)頃、第1世代に属する大先輩の作家、奥山侊伸に「バラエティって日本語にすると何でしょうか」と、尋ねた事がある。奥山は言下にこう答えた「歌舞音曲だね」。つまり、歌と踊り、そして音曲とは寄席で本芸として演じられる落語以外のすべての雑芸、コント、浪花節、漫談、漫才、奇術、曲芸、俗曲、紙切り、声色、物真似、腹話術などをさす。初期のテレビバラエティはまさしくそうだった。

 台本作家第1世代には、綺羅星の如き人々の名前が並ぶ。井上ひさし、青島幸男、永六輔、小林信彦、阿久悠、五木寛之、大橋巨泉、前田武彦、河野洋、塚田茂、津瀬宏…。
 彼らが作っていたのは、まさしく歌舞音曲、アメリカで分類されるところのテレビショウである。ジャズ界からテレビに居場所を変えたディレクターと、新しいメディアの可能性に魅力を感じていた作家によって、日本風に翻案されたアメリカのテレビショウ。その代表番組が『シャボン玉ホリデー』(NTV・1961~)だ。ザ・ピーナッツによる外国曲のカバー、クレージーキャッツが演じる台本作家が書いたコント、日本人がやるにはいささか無理があると思えるダンスにも果敢に挑戦した。バラエティと言えばテレビショウを指した時代だった。僕ら、構成作家の第3世代は、これらの番組を見て育った。

 ところが、時代は、次第にテレビショウの存在を許さなくなってくる。歌は歌番組として独立し、踊りはフレッド・アステア&ジーン・ケリーにかなうはずもなく、コントは作り物として現実感に欠けるとして衰退してゆく。

 後々まで、テレビショウの牙城を守ったのは『今夜は最高!』(NTV・1989年終了)だったが、主役のタモリが自ら演じるコントの中で「コントで笑いを取る時代は終わりました」と言っているのは象徴的だ。

「テレビは夢、ファンタジー」「テレビは全部ドキュメンタリ」

 台本作家第2世代の旗頭大岩賞介に、なんの作家になりたいか聞かれたとき、僕は「コント作家です」と答えたが、その時大岩に「じゃあドラマ書きたいんだね」と言われて返事に窮した事がある。意味がわからなかったからだ。今はわかる。コントは設定と、登場人物のキャラクターと芝居を書くという意味においてドラマと同じという意味だ。作り物だということでもある。
 大橋巨泉には「テレビは、夢なんだよ、ファンタジーなんだよ」と言われた。僕らの作るバラエティは、見る人のこころに夢やファンタジーを生じさせているだろうか。
 同じく、萩本欽一門下の詩村博史(第2世代)には「テレビは全部ドキュメンタリだから」と言われた。どんなジャンルであろうが、画面の中で、今何が起こっているか鑑賞するのがテレビだということだ。その後、師匠の萩本欽一には「テレビは、今何かが起こっているから見るのではない。何かが起こりそうだから見るのだ」と教わった。そう言えば、浅間山荘は…。

構成作家?放送作家?

 こういった、難しい条件をクリアしてバラエティ番組を作っていかなければならない時期に直面したのが、僕ら、第3世代の構成作家であった。

 ところで、構成作家、台本作家、放送作家と、色々な呼び名をこれまで使ってきたが第3世代の僕らは、放送作家とは呼ばれなかった。放送作家は脚本家の異称でしかなかった。歌の並び順を考えてばかりいるわけではないので、構成作家と呼ばれるのは嫌だ。
 かといって、近頃はコントを書くことも少なくなったし台本作家でもない。まあ、「ホン屋」とでも読んでくださいというのが本音であった。

「全員集合」と「ひょうきん族」

 そんな「ホン屋」の多くが憧れていたバラエティ番組がまだ、存在していた時代があった。『8時だョ!全員集合』(TBS・1969〜)である。ヒット歌手を迎えた歌があり、ザ・ドリフターズのコントがある。しかも、大劇場を使った公開で、工夫をこらした大仕掛けのセット、アメリカにもない日本独自のバラエティである。最盛期には40% 〜 50%の視聴率を稼ぎだした。

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 その後、バラエティでは同じ土曜日20時枠で、僕も脚本を書いた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ・1981〜)がはじまり、ビートたけし・明石家さんまのコント「タケちゃんマン」を中心としたバラエティが健在ぶりを示していた。よく、両番組は仲が悪かったのかと聞かれるが、全くそんなことはない。むしろ、スタッフは互いに笑いに賭ける同志だと思っていた。2つの番組合わせて70%の視聴率。笑いを見てくれる人がこれだけいるなんて、素晴らしいことではないか。

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 萩本欽一の存在を忘れるわけにはいかない。浅草松竹演芸場での公開収録『コント55号のなんでそうなるの?』(NTV・1973~)『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ・1968〜)で暴れまくっていた萩本欽一と坂上二郎。萩本の勢いは衰えを知らず『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ・1981〜)で頂点を極め、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレ朝・1976~)『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS・1982〜)と合わせて、バラエティ番組の視聴率100%男と呼ばれた。

コント番組の衰退

 そんな隆盛のコント番組がなぜ衰退していったのか。まず、できる演者がいなくなったことである。萩本欽一、志村けん、明石家さんま、ビートたけし…コントは演者の力量が肝心だ。人々は「作り物よりマジが面白いこと」に気づいた。コントで、いくら周到に伏線を仕掛けて転ぶにしても、マジで、転んでしまうドキュメント映像の面白さにはかなわない。

 さらに、情報や、報道番組が、視聴率の良いバラエティにすり寄ってきた。僕ら「ホン屋」は、ある種の気概を持っていて、「視聴率はバラエティがとるから、報道や情報はちゃんと真面目にやってくれ」と思っていたが、テレビ局の懐事情はそれを許さなくなっていた。「ドラマはいくら人気が出てもワンクール(10本から13本)で終わるよ。テレビ局が元気になるには、バラエティのヒット作を持っていることが絶対条件だよ。当たっているクイズ番組があるって?知識なんか競ってどうするの、だったら笑えるクイズ番組作ろうよ」僕ら「ホン屋」はついでにクイズ番組の氾濫もディスっていたものだ。

 その後も、コントがあるバラエティ番組は『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ・1991〜)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ・1990〜)、宮迫博之や山口智充など、コントのできる芸人を擁した『ワンナイR&R』(フジテレビ・2000〜)など、フジテレビを中心に生き残っていく。僕はその時代のコントを『ワンナイR&R』しか見ていない。面白くなかったからというと語弊があるなら、描かれるコントの世界観についていけなくなったからだ。時代が求めるバラエティも「マジが面白い」ドキュメンタリ系の番組に移っていった。フジテレビは『火曜ワイドスペシャル』(1971〜)という単発特別番組枠をゴールデンの時間帯に持っており、ここでは、実験的な企画を、それなりの豊富な予算を得て作ることができる剛毅な局であった。僕も3%の視聴率を食らった沢田研二演ずるフェイクキュメンタリ番組を作らせてもらった。その『火曜ワイドスペシャル』の企画がある時、通らなくなった、これまでに成功した実績のある企画しかやらなくなったのである。思い返せば、あれがフジテレビ凋落の始まりだったような気もする。

時代が求めたバラエティ

 時代が求めるドキュメンタリ系のバラエティ番組に話を戻す、その嚆矢は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(NTV・1985~)ではないか。番組コンセプトは「くだらないこと」。
 「平成口ゲンカ王決定戦」など、今も真似される尖った企画が誕生し、都築浩、村上卓史、田中直人、そーたになど、第4世代のバラエティ作家を輩出している。

 ドキュメンタリ系バラエティは、今も全盛を極めている。かつてはショートカットして無銭世界旅行をしたり、ガチンコの意味を違えていたり、食べ物の好き嫌いを戒めたり、今となっては、バイクで充電したり、住人が5人から3人に減ったり、風呂に入ったり、屋上で叫ばせてみたり、グルメを食い尽くしたり、外人に何をしに来たのか問い詰めたり、ニッポンの自慢をしたり、ドッキリを仕掛けたりはめられたり、人に殆ど作ってもらった料理を紹介したり、山中の一軒家にたどり着いたり、池の水を抜いて外来生物を駆除して正義を謳ったり、あれとこれを比べたり、芸能人が遊びまわるのを延々と中継したり、東大生にクイズを仕掛けて人生に迷わせたり、バスで蛭子能収が怒ったり、社長にべんちゃらを言ったりと大忙しである。

ドキュメンタリ系バラエティの問題点

 ドキュメンタリ系バラエティの問題点は、撮影される事象がドキュメンタリそのものではなく、ドキュメンタリを装ったコントないし、ヤラセに陥ってしまうことだ。バラエティがドキュメンタリを装うのは、マジのほうが笑えるからだ。そんなに笑いがほしいか笑いの亡者め!と思ってしまう。この落ち度でいくつかの番組が終わったが、その傾向は今後も止みそうにもない。岡村隆史や加藤浩次の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ・2018年終了)は番組全体が笑いの包装紙でくるまれているので、中のドキュメンタリには少々のヤラセがあって構わないという思想で作られているのではないかと、僕はずっと思っていた。

 これら、ドキュメンタリ系バラエティはアメリカではリアリティ・ショウ(Reality Show)というジャンル分けに入る。役者が演じるドラマではなくて、一般人の現実の様子やプライバシーを撮ったホームビデオで構成される低予算のテレビ番組(英辞郎Web)と定義される。つまり日本人がイメージするリアリティ・ショウである恋愛覗き見だけを指すのではない。芸能人結婚式中継などは、人権的に考えられない国が多いのではないか。僕は、小室哲哉とKEIKOの結婚式中継の台本を書いてしまったことを時々後悔する。

 恋愛覗き見の方のリアリティ・ショウを、電通の人に見せられたのはいつだったろうか。オランダのテレビであった。即座に「これは日本じゃできないでしょう」と言ったが、大外れ、日本人も、スポンサーも好きだったのだ。今も生き延びる。

情報系バラエティ、ひな壇バラエティ

 情報系バラエティというのも流行りだ。爆笑問題とデーブ・スペクターの『サンデージャポン』(TBS・2001〜)。『ワイドナショー』(フジテレビ・2013〜)では、松本人志がコメンテーターを務めている。この番組にも構成作家がついているが、松本のコメントの内容でも考えているのだろうか。構成作家がいなくても成立するバラエティ番組はこれからどんどん増えていくだろう。

 いわゆるひな壇芸人を大量に使う番組は芸能事務所にとってはありがたい。トーク系バラエティも全盛である、この専売特許は明石家さんまにあげたいが、さんまは特許料を取るつもりはまったくない。トークを回させたら、俺にかなうものはいないという自信の現れである、お断りしておくが、これは皮肉ではなく褒めているのである。さんまのトークの文法に多くの芸人が唯々諾々として従っているのが物悲しい気もする『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ・2015〜)である。さんまが『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ・2009〜)を引き受けたのを知ったときは本当に驚いた。僕の知っている明石家さんまは「超然として情報に背を向け、笑いのみに進む人」だったからである。僕は明石家さんまのバラエティ番組を3本も失敗しているので、これが失言ならどうぞお許しを。

 バラエティでの表現のし方も微妙になってきた。「ジェンダー平等」である。容姿で笑いを取るのがだめなら消えていく芸人は何人もいる。だが「男やもめにウジがわく」もやっぱり使ってはいけないのだろうか。この言葉には裏に掃除や片づけは女性がするものという思想が居座っているからなあ。兎にも角にもバラエティも「ジェンダー平等」を乗り越えなければならない。

さて「バラエティとはなにか」
かくして、もともと、歌舞音曲と訳すことができた日本のバラエティ(番組)は、今や「その他」と訳すしかない混沌なのである。

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<執筆者略歴>
高橋秀樹(たかはし・ひでき)
 1955年、山形県生まれ。放送作家。発達障害研究者。Webメディア「メディアゴン」主筆。早稲田大学第一文学部中退。修士(人間科学)。北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科博士後期課程在学中。「ぴったしカン☆カン」「オレたちひょうきん族」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「はやく起きた朝は…」など、作・構成多数。

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