新型コロナウイルス感染症の拡大が、日本の放送に何をもたらしたのか
【コロナ禍のテレビ放送、そして「ポストコロナ」のテレビ放送。今、放送に何が問われているか。メディア論を専門とする上智大学音好宏教授による論考。】
音 好宏(上智大学教授)
コロナ禍は、放送に何をもたらしたのか
2020年1月、日本で最初の新型コロナウイルス感染症の患者が発見されて以来、私たちの社会生活は、感染症対策の名の下に、これまで経験したことのない辛抱を強いられ続けている。今年に入って、日本国内でもワクチンの供給が始まったものの、優先的に接種される医療従事者や高齢者を経て、一般の人たちの接種が終了するまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
これだけの長期間に渡って、コロナ禍への対応を求められたことで、これまで自明のこととされていた社会的なルールや慣習、常識が少なからず見直され、変更を迫られてきたと思う。もちろんそれは放送界も同様で、これまでの業界の慣習や約束ごとといったものの変更が強いられ、また、それが長期化することで、新たな秩序化が起こりつつあるのではないか。本稿ではその変化の一端を振り返りながら、ポストコロナに向けて、放送に何が求められているのか考えてみたい。
コロナ禍で霞んでしまった2020年の放送サービスの新展開
コロナ禍によって放送に求められた変化について検討をする前に、コロナ禍にみまわれた2020年という年について触れておきたい。
2020年は、放送界にとって、いや、日本社会にとって、重要なメルクマールの年のはずであった。2013年9月、ブエノスアイレスで開催されたIOCの総会で、2020年のオリンピック・パラリンピックを東京で開催することが決定した。立候補にあたって当時の安倍首相は、東京オリンピックの開催により、東日本大震災から復興した日本の姿を世界に示すことを掲げた。他方で、そのプレゼンテーションでは、この震災で甚大な被害を受け、国際的にもその環境被害が懸念されていた東京電力福島第一原発の放射能汚染の被害についても、その安全性を強調。オリンピックの開催を、日本のイメージ刷新に当てようと目論んでいたことは間違いない。
もちろん放送にとってオリンピックは、その技術的な可能性を示すまたとないショーウィンドウである。歴史を振り返っても、1936年のベルリン五輪ではテレビ中継の実験が試みられた。1988年のソウル五輪では、NHKが次世代のテレビの姿としてハイビジョンを世界にアピール。もちろん、1964年の東京オリンピックでも、その開催に向けて、日米衛星中継の回線が整えられるなど、最新の放送技術の実用化の場となった。また、この東京オリンピックが、日本におけるカラーテレビの普及に貢献したことは、周知の通りである。
2020年の東京オリンピックはと言えば、2018年にスタートしたBSー4K/BSー8K放送の普及の場となることが期待されていたし、また、NHKのかねてからの念願であったインターネット上での同時配信に関しても、2019年の通常国会での放送法の改正によって、実施に向けた環境が整ったわけだが、これも翌年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を睨んでの制度整備であった。新型コロナウイルスの感染拡大が、日本のみならず、世界的に進むなかで、2020年夏に開催を予定していた東京オリンピック・パラリンピックを1年後に延期するという判断は、致し方なかっただろう。ただ、このことによって、オリンピックをメルクマールに進められてきた放送サービスの新たな展開に味噌がつき、その勢いが削がれたことは確かだ。
コロナ禍によって、オリンピックという世界的なイベントは延期になったものの、サービスをスタートさせることができたのが、NHKによる地上テレビ放送のインターネット上での同時配信である。この同時配信サービスのスタートは、NHKの悲願でもあった。NHKは、総務省の認可を得て、2020年3月1日から動画配信の試験サービスを開始。4月1日から、「NHKプラス」として本配信のサービスを開始したことは周知の通りである。広告モデルで事業を続けてきた民放においては、同時配信事業のマネタイズ化には不透明な部分も多いことから、その本格的な取り組みに躊躇の声もあったが、「NHKプラス」のスタートなどの動きを受けて、民放も同時配信をより意識した姿勢を示し始める。6月には民放公式ポータルサイトのTVerの出資構成に占める民放各局の比重を拡大するとともに、社長には龍宝正峰・TBSテレビ取締役が着任。同年10月から年末にかけ、TVer上で日本テレビが、一部の番組を試行的に同時配信を行うに至った。
他方で、2020年春から、視聴率調査の調査方法が変更され、個人視聴率重視のデータ整備がなされた。各民放キー局は、「コア・ターゲット」(NTV)、「ファミリーコア」(TBS)、「キー特性」(フジ)といった視聴者構成を重視した視聴分析にシフトした。
このような民放の対応がより積極的になった背景には、人々のメディア利用行動におけるSNSなど、ネット系メディアへの接触の比重の高まりがある。毎年春に電通が発表する「日本の広告費」の2020年3月発表データによると、2019年の日本の総広告費は6兆9381億円、媒体別広告費では、1975年から首位を続けてきたテレビ広告費が、インターネット広告費に抜かれたことが明らかになった。このことは、数年前から予想されていたことではあったが、メディア・パワーの変化を象徴する出来事でもあった。もちろんその背景には、インターネット広告がメディア特性のレスポンスを瞬時にデータ化できることにある。
つまり、新型コロナウイルスの感染拡大に直面した2020年は、テレビ放送にとって、自らを取り巻くメディア環境のドラスティックな変化に直面し、ネットとの親和性を積極的に強めていこうとしている時期でもあったわけである。
では、新型コロナウイルスの拡大は、上記のようなテレビ側から進めていたネットとの親和性強化という改革にどのように影響したのか。この点については、後に改めて触れることとして、テレビの現場が新型コロナウイルス感染症の拡大とどう向き合ったのか見てみたい。
コロナ禍に向き合う番組制作現場
テレビ制作現場は、コロナ禍でどのような影響を受けただろうか。
ニュース番組・社会情報番組では、この1年あまり、コロナ関連の話題を取り上げない日はないほど、「コロナ」一色に染まってしまったと言わざるを得ないだろう。
NHKを除けば、全国紙のように科学部や科学を専門とする記者を置かない民放テレビ局にとって、新型コロナウイルス感染症のようなテーマは、扱いにくいやっかいなテーマと言わざるを得ない。もちろん、NHKや全国紙であっても、感染症の専門記者はおらず、外部の専門家の解説に頼るケースが増えたことが、コロナ報道の特色と言える。スタジオに招いて解説してもらう専門家は、報道・情報番組であっても、テレビ的であることが求められる。与えられた時間内で、簡潔にコメントできる専門家が重宝がられることになる。当然、出演できる専門家は限られ、なかには、レギュラー出演者と思わせるほど、連日、複数の番組に出演し続ける専門家も現れた。新型コロナウイルス感染症が世界的な広がりを見せるなかで、各国の研究者がその治療に向けた研究を急ピッチで進め、その知見が専門の電子ジャーナルで提供され、専門家に共有される状況にあって、連日、複数のテレビ番組に出演する専門家は、どこで新たな医学情報を得、それを吟味してテレビに出演しているのかと、揶揄する声も少なくなかった。
2002年にアジアやカナダで感染拡大したSARS(重症急性呼吸器症候群)や、2012年にアラビア半島や欧州で流行したMERS(中東呼吸器症候群)に対して、日本は水際で侵入を食い止めることが出来たこともあり、全国規模な感染症対策の経験値が少ないなかで、政府の対応の遅さを疑問視し、感染リスクを訴える専門家の方が、視聴者の関心を引き、視聴率に結びついたのも確かである。
ただ、科学報道に象徴される専門的な情報提供をどのように行っていくのかについては、今回のコロナ報道は、日本のテレビに多くの課題を投げかけたことは間違いない。
他方で、制作現場も「三密」を避けるために、これまでのような形で出演者をスタジオに迎えることに慎重にならざるを得ず、出演者の間にアクリル板を立てたり、一部の出演者にはリモートで出てもらうなどの方策が一般化した。また、制作スタッフに関しても、スタジオ内の密を避けるべく、一部のカメラを、カメラマンなしのリモートカメラや据え置きカメラにして、制作スタッフの数を減らすといった方策がとられた。
ニュース番組や社会情報番組など、各局の生の帯番組では、制作スタッフ内での感染者の発生に備え、曜日によって制作スタッフや、使用するスタッフルームを分けるなどの措置も取られたという。このような感染症シフトとも言える制作体制が徹底されるきっかけとなったのは、昨年4月初旬に、テレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスター・富川悠太氏の新型コロナウイルス感染発覚と、その対応に、同番組が制作体制を組み替えざるを得なかったことが大きいだろう。
また、2020年春の番組改編直後に、最初の緊急事態宣言が発出されたことで、ロケの途中だった番組制作も、その予定の変更を迫られた。連続ドラマの制作は中断を余儀なくされてしまい、5月に入ると、苦肉の策として、ドラマ枠は再放送で埋めたり、海外ロケをウリにした旅行番組やバラエティ番組を中心に、「名作選」といった形で過去に放送した映像を使って再構成する「総集編」で乗り切ろうとする番組が目立った。
ただ、過去の名作ドラマの再放送は、思いの外、視聴者の反応も良かった。特に、1995年放送の「愛していると言ってくれ」(TBS) や、2000年放送の「やまとなでしこ」(フジ)のように、地上テレビ放送がまだアナログ放送だった時代、つまり、「地デジ化」以前に制作・放送されたドラマも再放送されたが、その反響は大きく、作品の出来がよければ、画像の粗さをカバーして余りあることを示す結果となった。
職場での会議や大学の講義など、オンラインでのやり取りが私たちの生活のなかに染み込んでいったこともあって、生活シーンのなかで、解像度の低い映像に接する機会が増えたのは確かである。そのことと考え合わせれば、画質よりも作品の出来の良さが視聴者を捉えたということになろうか。新型コロナウイルスの感染予防という誰もが逃れられない禍いによって、人々の映像のクオリティに対する許容の幅が広がったのは確かだろう。
密着取材ができないコロナ禍のジャーナリズム
新型コロナウイルスの影響は、報道における取材活動にも少なからず変化を強いることになった。現場で取材競争を繰り広げる記者たちにとっては、新型コロナウイルスの感染拡大が取材活動に与える影響は深刻だ。対面での取材を嫌がる取材対象が増える一方で、新型コロナウイルスの感染防止を理由に、定例の記者会見が延期になったり、会見の場が極端に減らされるといった状況が生まれた。
昨年春に都内の新型ウイルス感染症患者数の拡大から、連日、都のコロナ対策についてコメントを求めて、記者たちが小池百合子都知事に詰め寄ることが増えたが、小池知事は、元テレビニュース・キャスターらしく、ワンフレーズで感染対策を求めるなど、そのアピールが上手い。小池知事は「密です」と連呼し、ぶら下がり取材での知事との距離を空けるよう記者に求める様子が、連日、報じられた。記者たちが小池知事に群がるシーンが連日報じられたことが、7月の都知事選において、現職知事である小池百合子候補に少なからず追い風となったことは容易に推察されよう。
もちろん、中には、取材を受けると都合の悪い時に、コロナを理由にして、取材を避けたがるといったケースもあったと聞く。
ただ、日本の記者にあっては、対面取材至上主義と言ってよいぐらい、対面取材を重視する傾向にあるのも確かだ。取材相手の表情やしぐさ、語り口から情報の真実性により近づけるという意味で、対面取材が重要というのは、現場の記者たちの共通の認識だろう。対面取材であれば、話の中身は正しくても、取材対象者が話を膨らませていないかどうかの見分けもつきやすい。また、取材先に何度もアクセスすることで信頼関係をつくり、取材相手に「食い込む」手段でもある。
その典型的な取材方法が、「夜討ち朝駆け」といった取材手法だろう。新米記者時代に対面取材を積み重ねることで、取材対象に食い込むという醍醐味を知り、場合によっては、他社に先んじて独自ネタを手に入れ、報道につながったという経験は、その後の記者人生に大きな影響を与えることになるのではないか。
ところが、コロナ対応を理由に、取材対象から「密です」と避けられてしまうと、これまでの取材手法や経験則が通じなくなり、対応に苦慮するという状況がうまれているのではなかろうか。
ただ、欧米の報道現場に目を向けてみると、もともと「夜討ち朝駆け」といった取材手法は取られていない。もちろんだからといって欧米のジャーナリストの取材能力が日本の記者よりも低いとの評価を聞いたことはない。問われているのは、新型コロナウイルスの感染予防を理由にして生じている、これまでの取材手法への忌避にどう向き合うかだろう。そのことで言えば、今こそ、現場の知恵の出しどころのはずだ。
ポストコロナ ~ いま、放送に何が問われているのか
それよりも気になるのは、冒頭で述べたように、近年、インターネットの伸長に追い立てられ、その対応を迫られていた放送事業が、コロナ禍によって、その対応が加速せざるを得なくなったことのように思う。
先に紹介した電通「日本の広告」の最新版が、2021年3月に発表されたが、それによれば、2020年の日本の広告費は、6兆1594億円。2019年の88.8%にまで縮んでいる。加えて、新聞、ラジオ、テレビ、雑誌のいわゆる4マスが軒並み前年比減を示すなかで、インターネット広告だけは伸長。インターネット広告は、全広告費の36.2%を占め、4マスを足し上げた広告費が占める36.6%に肉薄するまでになっている。
すでに民放界では、2021年度の予算策定にあたり、経営サイドから、これまでの予算建ての抜本的な見直しによるコストダウンの強い要請が、各部局に求められたところが多いと聞く。それに呼応するように、NHKにおいても、「三位一体改革」というNHK的事情から2021年からの3カ年計画が示され、受信料の値下げや放送波の削減を含む抜本的なスリム化策を提示。2021年の通常国会では、このスリム化を後押しするような放送法改正も行われることになっている。
放送界は、組織の無駄を見直し、体質改善を掲げる改革が進められようとしているのである。いわゆる組織の筋肉質化である。ただ、はたしてそれらの体質改善が、視聴者に支持される放送サービスの質的改善につながるのかは、注意深く見ていく必要があろう。
先に見たように、コロナ禍で編み出した制作手法をコストカットを目的に継続してしまわないか心配だ。「これで視聴者も許してくれるのなら」と、リモートによる質の低い映像提供が常態化したり、底の浅い取材を認めていくことにならないか。スタジオの「密」を避けるために始めた制作スタッフの削減が、制作コストのカットのためだけに機能する状況が生まれ、コンテンツのチープ化を是認していくことにつながっては行かないだろうかという危惧である。歴史的に制作費圧縮のための調整弁という役割を担わされてきた外部の独立系テレビ制作会社からは、すでに制作費カットを突きつけられたとの声も聞く。
2020年の広告市場の縮小の打撃は、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災による打撃に匹敵、または、それを上回る打撃と言えよう。思い出すのは、リーマンショックの際に、時の麻生太郎首相が「100年に一度の危機」と強調していたことだ。
冒頭で述べたとおり、放送事業、特に民放テレビ経営は、マクロ経済連動型である。これまでの未曾有の経営危機と叫ばれながらも、景気回復と共に経営環境が急速に改善されてきた事例が何度もある。そのことで言えば、「喉もと過ぎれば」その危機感を忘れがちなのも、民放経営が歩んだ道である。すでに、一部の民放経営者からは、「ワクチン接種開始のニュースで、強含み感が高まっている」との声すら上がり始めている。
しかし、他方において、昨年6月末には、新潟のFM PORTと愛知のRadio NEOという2つのFMラジオ局が停波となった。また、この3月末で、札幌のFM NORTH WAVEは、経営権を通販会社・北の達人に引き継がれる。インターネット広告の伸長により、旧来型の広告モデルにのみ依存する放送事業者は、市場でのプレゼンスの弱いところから、厳しい経営判断を迫られる状況にあると見るべきではないか。
コロナ禍で見えにくくなった感があるが、電通「日本の広告費」でインターネット広告が伸長し続けることが示すように、テレビがいま行わなければならないのは、ネットとの親和性を積極的に強め、総合的な媒体価値を高めていくことにある。放送事業では、放送サービス提供の技術的な安定性・継続性や、放送番組審議会の設置に象徴されるような番組の質管理といった固定費が当然のように発生する。Netflixに象徴されるように、動画配信事業では、先の固定費への出費が、ごく僅かということになる。その分、コンテンツ制作に資金を投入できることになる。放送事業においては、先の固定費が信頼につながり、それが視聴者の支持を得、それが接触につながるという循環が自明のものとされてきたが、今後、動画配信事業と競合するなかでも、その信頼をマネタイズしていけるのか。
コロナ禍で在宅率が高まったこともあって、テレビ受像機への総接触時間や映像コンテンツへの接触時間の増加は、多くの調査が示しているところである。しかし、日本のマクロ経済の落ち込みでテレビ広告市場は縮小を余儀なくされた。その間のウェブ系メディアの伸長を重ねて考えてみるとき、コロナ禍は、テレビに対して、ネットとの親和性をより強めるよう求めることになったのは間違いない。これまでのように、「喉もと過ぎれば」とは言えない環境になってしまっていることを肝に銘ずるべきだろう。
<執筆者略歴>
音好宏(おと・よしひろ)
上智大学新聞学科・教授
1961生。民放連研究所所員、コロンビア大学客員研究員などを経て、2007年より現職。衆議院総務調査室客員調査員、NPO法人放送批評懇談会理事長などを務める。専門は、メディア論、情報社会論。著書に、「放送メディアの現代的展開」、「総合的戦略論ハンドブック」などがある。