「ラヴィット!人気の秘密」を番組の「強み」から読み解く
中野 俊成(放送作家)
番組のゲストに俳優の伊藤淳史さんが来た時のことだ。オープニングでMCの川島明さんがいつも初めてのゲストを迎える時にする「ラヴィット、ご覧になったことはございますか?」という質問を投げかけた。伊藤さんは「僕、ホントよく見てるんですよ」と番組のファンであることを伝え、好きなところを「なんか明るくて、楽しい番組だなと思っていて…」と、話しながらも徐々に言葉に詰まり、遂には「申し訳ないんですけど……よく覚えてないんです」と謝った。その一言でスタジオは爆笑に包まれた。すかさず川島さんから「よく覚えてないはおかしいでしょ!」とツッコまれ、伊藤さんはたじたじになりながら「なんか今日も頑張るぞ!という気分にさせてくれる…という番組だということだけは覚えています」と苦し紛れに付け加え、また爆笑。このやりとりを見ながら、僕はこの伊藤さんの感想が「ラヴィット!」という番組のすべてを物語っていると思ったのだ。
好きでよく見ているが、覚えていない。
これ以上の番組の「強み」はない。僕は人の「好き」の最上級は「なんか好き」だと思っている。好きな理由を具体的に挙げられるうちはまだ並の「好き」である。最上級の域には至っていないのだ。例えば、口説こうとしている女性から「私には今、他に好きな人がいる」と言われたとしよう。相手の男に対抗意識を燃やし、どんなところが好きなのかを尋ねると、彼女が言うのだ。「ん〜よくわかんないけど、なんか好きなんだよね〜」。もうお手上げだ。「なんか好き」には太刀打ちできる術はない。「あなたは、色んなことを教えてくれるし、考えもしっかりしてるし、面白いけど、なんかその人の方が好きなんだよね〜」。もし自分が裏番組をやっていたとしたら、手強い相手を敵に回してしまったと焦るに違いない。
これに類した例は他にもある。それは「幼稚園児たちにラヴィットが人気」という現象だ。知人の子どもたちにラヴィット好きが多く、番組づくりの参考にしようと「どんなところが好き?」と聞くと、やはり困ったような顔をして、「なんかね〜おもしろいとこ!」と答えになってない返答をする。園児に明確な理由を求める方が無茶かと思いながらも、逆に明確な理由が無いまま、園児たちは「ラヴィット!」に惹き付けられているのだ。
ラヴィット、なんか好き。
今回、「ラヴィット!人気の秘密」というお題で原稿依頼を受けて困ったのは、まさにこの「なんか好き」という「ラヴィット!」の強みをどう説明すればいいのかということだった。「ラヴィット!」のヒット分析自体は数多くのテレビ評論家(自称含む)の皆さんが様々な理由を挙げている。「川島明のMCとしての手腕」「陰鬱としたコロナ禍でも笑いに徹した姿勢」「SNSを効果的に使った番宣」「水曜日のダウンタウンのあのちゃんドッキリ企画で注目されたことが大きい」「1時間を超えるオープニングが戦略的」「朝番組にしてはVTRにしっかりと笑いがある」などなど、後付けも含めてどれもが的を射た分析だと思う。しかしながら、これらはあくまでも要因であり主因ではない。では、主因は何かといえば、やはりこの「なんか好き」なのである。それを生み出す方法論を説くのはかなり困難だし、具体的に解説した時点で「なんか好き」からこぼれ落ちていく。一体、「なんか好き」というのはどんな状態なのか。乱暴に喩えるならば、「縁日」に惹かれるあの気分に近いのかもしれない。出店が立ち並ぶあの華やいだ通りを歩いている時の高揚感。特別な仕掛けが施されているわけでも、豪華な装飾がされてる訳でも、貴重な体験が用意されている訳でもないのに、醸し出される空気感に気分は高まる。しかし、翌日、いざ何が楽しかったかを思い出そうとしても余韻が残っているだけで具体的な理由が思い浮かばない。
さらに、話を別の角度から進めよう。
僕は40年近く放送作家を生業としてやってきて、ここ10年ぐらい番組作りで強く意識していることがある。それは、番組の「点」や「線」に囚われることなく、まずは「面」を創り上げるということである。ヒット番組には共通して、独自の「面」がある。通りすがりの視聴者は「面」が気になり、引き寄せられる。細部に神が宿るという真理もあるが、ことテレビにおいては「面」が大事だと思っている。具体的に説明すると、例えば、テレビマンは少しでも視聴率を上げようとサイドテロップの一字一句に頭を悩ませる。「潜入!」と入れた方が緊張感が出て視聴者は食いつくんじゃないか。「このあと女優〇〇が大激怒!」とブランクにしておけば興味がそそられるんじゃないか。しかし、そのテロップで視聴率は刹那的に微増するかもしれないが、番組に根本的な強度は生まれない。サイドテロップは「点」でしかないのだ。「企画」も視聴率に繋がる大切な要素ではあるものの「線」にしか過ぎない。立ち止まってしっかりと見てようやく「企画」の中身が伝わるものだからだ。面白ければ次回への視聴習慣には繋がるが、通りすがりの視聴者にとっての視聴動機にはならない(稀に圧倒的な企画が「面」になることもあるし、『水ダウ』のように「線」が織り成すアラベスクのような「面」になることもあるが、それらは稀だ)。では一体、「面」とは何なのか。それはどこか得体の知れない漠然としたものである。誤解を恐れず抽象的な表現をしてしまえば、テレビ番組の「人格」であり、その人格から放たれる「オーラ」である。
ある時期から「ラヴィット!」は、明らかに独自の「人格」を形成していった。その「人格」が醸し出す空気感が、冒頭の伊藤淳史さんが感じる「なんか明るくて、楽しい」という印象だ。
番組のチーフプロデューサー小林弘典氏は、新番組の記者発表の際、「この番組はニュースやワイドショーを一切扱わない」と脱報道を宣言した。「ラヴィット!」を「視聴者の日常が今より楽しくなる情報を“笑い”とともにお届けするバラエティー番組」と位置付け、「日本でいちばん明るい朝番組」と目指す方向性を示した。この明確なコンセプトと強い意志が起点となり、「ラヴィット!」はスタートした訳だが、それだけで即座に「人格」が立ち上がるかといえば、そう簡単なものではない。当初は、いわゆる数字を持っている(とされる)題材を採り上げ、様々なジャンルのプロが教えるという説得力を利用しながら、情報バラエティとして少しでも視聴者の興味を引くための試行錯誤を重ねたが、それらはすべて「線」でしかなく、決定的な変化が生まれたのは、その延長線上ではなかった。では何がキッカケだったのか?それは、スタッフが出演者と向き合い、信用し始めたことである。信用するということは、相手に役割を持たせ、任せるということだ。
番組プロデューサー辻有一氏は、インタビューで「ロケ中に芸人がとことんボケまくったものを、恐る恐る使ってみた」ことが番組の分岐点になったと語る。「本来、情報バラエティでは編集でカット」しがちな芸人たちの笑いをすべて入れ込み「振り切ったVTR」をスタジオに投下。それによって当の芸人は勿論のこと、スタジオの出演者たちの反応にも変化が生まれたという。芸人をはじめ、芸能人たちは様々な番組で「自分の発言や頑張りをカットされる」という苦々しい経験をしている。だからこそ、それらがしっかり使われることは、イコール、認められたことになる。辻氏は「こんなに芸人が熱くなってくれる経験はなかった」と話し、「出演者が乗ってくれるとVTRも面白くなるし、スタジオも面白くなる」という気付きを得る。以来、「(朝番組の)常識に捉われず、芸人さん達の笑いをできる限り生かす編集」に転換し、スタジオも出演者を最大限に活かす展開を強めていった。この新たな方針によって、ディレクターたちのディレクションの方向性も明確になり、「みんなが番組作りを楽しむようになった」という。「日本でいちばん明るい朝番組」というコンセプトが、視聴者だけではなく、出演者、そして制作スタッフ共通のものになったのだ。
自分には長年バラエティ番組をつくってきた上での持論がある。出演者が生きていなければ、どんなに優れた企画でも番組は成功しないという持論。番組MCを筆頭に、出演者たちの存在感と企画がマッチしていなければ上すべりする。そういった意味で、出演者たちが各々の役割を得て番組に前のめりになることで、徐々に「ラヴィット!」に独特な「人格」が形成されていったのだと思う。そして、ひと度、「人格」が出来上がると、番組が独り歩きし始めるのもテレビづくりの面白いところで、そうなると、主語が「ラヴィット!」になり、企画を決める際にも自ずと合う合わないが見えてくる。今や、これも「ラヴィット!」の強みである。
さらに、もう1つ「ラヴィット!」の強みがある。それは「朝番組」ということである。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、実はこのことは意外とプラスに作用している。過去、「朝番組だから」という常識に囚われてきた同枠の歴史の中で、それを逆手にとって「朝番組なのに」という覚悟でやってきた「ラヴィット!」にとって、「朝番組」をフリに使えるのは大きな武器なのだ。「朝番組なのに、ニュースやスキャンダルを扱わない」から始まり、「朝番組なのに、大喜利のようなクイズをやっている」「朝番組なのに、漫才やコントで笑わせている」「朝番組なのに、スタジオで本気の音楽ライヴで感動させている」「朝番組なのに、ゴールデン帯で3時間の生放送をやる」。これまで「朝番組らしからぬこと」に挑み続けきたことが功を奏して、今や番組の「人格」のコアな部分に組み込まれ、フェーズが一段上がった気がする。今後は、ジャンルを飛び越え、「朝番組なのに、本気の音楽フェス『ラヴィット!ロック』を開催する」や「朝番組の曜日企画だったのに、ゴールデンでお笑いコンテスト『耳心地いい-1グランプリ』を開催する」などが予定されている。
いよいよ、人々の記憶ばかりか、テレビ史に刻まれるような番組になってしまうのかもしれない。
この記事に関するご意見等は下記にお寄せ下さい。
chousa@tbs-mri.co.jp