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〈ラジオ 長寿番組の研究①〉IBCラジオ 大塚富夫さん『ラジオとともに半世紀』

【全国のラジオ局には魅力ある長寿番組が多く存在する。第1回は自身の名を冠した番組をほぼ半世紀続けている岩手放送の大塚アナウンサーにお話を伺った】

調査情報デジタル編集部

 大塚富夫さんはIBC(岩手放送)のアナウンサーだ。1973年にIBCに入社、以来ラジオ番組とともにアナウンサー歴50年を迎える今年も、毎週土曜日、『大塚富夫のTOWN』というラジオ番組を続けている。

 当人はラジオ・パーソナリティと言われるよりアナウンサーと呼ばれるほうがしっくりくるという。この番組の前身にあたる『大塚富夫のワンダーランド』はIBCで初めてアナウンサーの名が冠につく番組となり、それを引き継ぐTOWNと合わせると大塚富夫さんの名を冠した番組は49年目を迎えたことになる。

 コロナ禍が続いていることもあり、リモートで大塚富夫さんから長寿番組の秘訣からラジオの持つ魅力に至るまでお話を伺った(取材日2022年12月20日)。

長寿番組の秘訣

編集部 大塚さんは新年2023年にアナウンサー歴50年を迎えられます。今日は、ラジオとともに半世紀番組を続けられてきた秘訣を様々な角度から伺いたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。

大塚 何でしょうね。半世紀というのは結果論ですからね。別に半世紀を目指していたわけでもないし、目指すものでもないでしょうし、気がついたらという言い方もあれですけど、毎年数え上げていれば、3年目になったなとか、4年目になったなとか、その延長ですよね。

 みんなほかの連中は、「今日は僕らの500回目記念です」とか、節目のことをやったりしているんだけど、私が今まで携わってきた番組は全部、回数がわからないんですよ。

 ディレクターもいいかげんと言うと怒られちゃうけど、「今日は何回目の放送です」というのは考えたこともないんです。僕一人の力じゃないですし、ディレクターに恵まれていたり、相棒に恵まれていたりしているのです。あと、一番の要因は、葉書をくださる方が途絶えなかったというのがよかったんですね。番組に対する思いは、四十何年前と大して変わってないんです。

 僕はもともとラジオが大好きで、それこそ久米宏さんの放送だったり、大沢悠里さんの放送だったり、すばらしいなと思いながら育った部分がありますからね。ラジオはいい。

 実際にやってみて、テレビはあまりにも制約が多過ぎて、話術と言うと大げさだけど、話に専念できなくて嫌だなという気があった。その点、ラジオは気分的には寝そべっていたり、横になったり、あぐらをかいたり、そういうようなスタンスがとれるんですね。

 自由度がすごく広いし、皆さんの想像力に頼る部分が多くて、それはラジオのよさだな。一番のラジオのよさというのは、何かしながら聞けるということです。最初、リスナーとの距離感をどうするとか、そんなことは何も考えなかったです。私の身辺雑記でおもしろおかしいことがあったときに、それをおもしろおかしく伝えるという感じでしたね。

編集部 毎週、大塚さんはTOWNに寄せられる8センチから9センチの厚さにもなるお便りに全部、目をお通しになって番組に臨まれるそうですね。

(編集部注:『大塚富夫のTOWN』は1974年から始まり、バート・バカラック作曲の映画『明日に向って撃て!』の劇中歌がオープニングに使われているのが印象深い。定時の岩手日報IBCニュース以外は、大塚さんが一人で番組を進行、リスナーから届くお便りを読み、それに大塚さんがコメントを入れていくことを骨格とした番組だ。リスナーからの孫自慢の便りと大塚さんのリアクション、歌手の名を当てる『タウンラッキークイズ』での大塚さんのヒントの出し方はTOWNの名物になっているといっていいだろう)。

大塚 とにかく葉書を読もうということから始まって、「TOWN」という名称は街ですけれども、きれいなところだけじゃない。街というのは、わい雑な部分がたくさんあって、放送でもそういう皆さんの思いを取り上げようじゃないかというところから始まったんですね。

 ですので、簡単に言ってしまうと、皆さんからの投書をとにかく読み上げていく。コメントは別に制限がないので、コメントしてもいいし、しなくてもいい。そのような形で自由にやらせてもらっているので、長続きしているのかなとも思いますけどね。

編集部 番組を拝聴しますとお便りの中にはシリアスな内容のものもあって、その時の大塚さんの受け答えが腫れ物に触るようでもなく、ベタベタされているようにも聞こえませんでした。大塚さんはうそを言わない人だなというのがよく伝わってきますが、どのような姿勢で番組に臨まれているのでしょうか。

大塚 パーソナリティが無理をすると、きっと続かないんですよね。ちょっとつらい葉書を読んだときに、「何でコメントを言わないんだろう」と言われることがあるわけです。でも、それが私の限界ですからしようがないという形で…。

 葉書は前日にディレクターから回ってくるので、全部、下読みはするんです。最近、メール、ファクスの時代になってからは、後半の何分かは、「今日来たもの」というので、初見で読まなきゃならないので、ちょっとビクビクしながらの部分はあるんですけれども。

 昔は、読むものはほぼ全部、下読みしていました。そのときに、これはこういうリアクションをしたらいいかなとか、これはこういうおもしろい話に発展できるなとか、前日に1枚1枚に対しての話は一応考えるんですね。そのとおりなかなかいかないですけどね。

凄い先輩たちに支えられた

編集部 先ほど、ディレクターや相棒に恵まれていたというお話をされましたが、具体的なお話をよろしければ聞かせていただけませんでしょうか。

大塚 今やっている「大塚富夫のTOWN」という番組の前は、「大塚富夫のワンダーランド」といって、IBCでは初めてアナウンサーの名前を冠した番組ができたんですが、「大塚富夫のワンダーランド」のディレクターも、とても目のつけどころのいいディレクターでしたし、その上にいた「IBC TOP40」、それから今の「TOWN」をつくった北口(惇夫)というディレクターは、それに輪をかけてという言い方でいいのかな、それよりもびっくりするぐらい超ビッグなディレクターでした。

 ニューミュージックが台頭し始めたころの音楽番組をつくっていたディレクターなので、今で言うTHE ALFEEもそうだし、さだまさしさん、松山千春さん、この間、引退宣言した吉田拓郎さん、あの辺はみんなIBCの北口というと、知らない人はいないくらいの人です。

 その北口さんに長い話を短くまとめるということを訓練させられました。「IBC TOP40」というランキングの番組がありまして、これはほとんどフリートークなしで、フリートークの部分がちょっとでも長いと、赤いランプがピカピカと光って、「冗長だ、冗漫だ」と鍛えられましたから。ディレクターに褒められたい一心でやっていたという部分があるんです。

 多分いろいろなアナウンサーにも、「あの人が笑っていれば、全員笑ってくれるだろう」というような人がいると思うんですね。「あのディレクターが笑っているんなら、ラジオの向こうのリスナーもきっと喜んでくれている」。そういう指標になるような、私が尊敬というより敬愛ですけど、そういう人がいつもそばにいたんですね。

 みんなもう引退されたりしていますけれども、これはとても幸いだったですね。やっているうちに、そういうディレクターに恵まれた。アナウンサーにも、女性で一人、男性で一人、これは抜けるかな、追いつけ追い越せというけど、追いつけないかもしれないなという人が二人ほどいました。

 岩手という何の縁もゆかりもないところに来たときに、「片田舎の放送局で何をやっているんだろうな」みたいな非常に傲慢な考えで来るわけですよ。ところが、とんでもない巨人がいたわけですね。それで、「いやいや、この放送局、ちょっと侮れないな」という部分がすごくあった。

 亡くなった北口ディレクターの顔が今でも浮かんで、「今喜んでくれているだろうか。ダメ出しされているだろうか」という思いは常にあります。さっきも言ったように、そのディレクターを喜ばせることは、リスナーを喜ばせることにつながるという思いがあるからです。

 こっちの耳は自分の声を聞きながら、こっちの耳は自分がラジオを聞いている立場であるというのを50年間ずっと持ってきた。そういうのはほかのアナウンサーもみんなそうなのかな。

僕の朗読の基礎は落語

大塚 まだテレビができる前、ラジオが一家に一台たんすの上にあるころというのを僕は知っているわけです。おやじがテレビで言えばチャンネル権を持っている。おやじがチューニングしたところの放送を一緒に聞いているわけです。

 うちの父親は、落語、漫才、浪花節みたいなものが割と好きでした。今思えば、落語、漫才をよく聞いていたというのは、私の話のもとになっているんです。ですから、朗読も役に立つことがあるのですが、どちらかというと、落語を聞いているほうが役に立つんです。

 落語は1人で演じ分けながら、女だからといって、女の声を出したりするわけでもなく、ちゃんとおかみさんになっていたり、地の文は地の文として非常にわかりやすくまとめている。落語は僕の朗読の基礎みたいになっている。

編集部 ラジオでのお話の仕方に落語のリズムやテンポがお出になるときがあるように思います。

大塚 よく言われます。私は一時期、偉そうに、「話術から話芸にというのが僕の目標です」なんて言っていたんですけれども、敬愛するそのディレクターから、「大塚、話芸には無理だよ」、「何でですか」、「話芸というのは金が取れる。それだけで金を取って暮らしていける人が話芸だ。おまえのは話術までだよ」と言われたことがあるんです。

 でも、何とか話芸にできないものだろうかみたいなことを考えたことがありますけどね。それを発揮できるのがラジオですね。テレビは無理です。まず自分の顔が映るというのが嫌ですからね。

編集部 音だけの方が想像が働きますし、非常に文学的なメディアだなと思いますね。

大塚 そうですね。アナウンサーの基本的な情景描写力というのがありますが、テレビは全部映っちゃうので、情景描写もくそもないという部分がかなりあるんですね。「ご覧のとおり」で済んじゃうんですね。

 ラジオは「ご覧のとおり」は使えない。だけれども、そこのあんばいがすごく難しいんですよ。事細かに言わなきゃならない部分と言えば言うほどわからなくなるというところがあります。

 事細かに言えば言うほどわからなくなるし、簡単に言えば全部がわかるかというと、わからない。そこをつなぐのがリスナーさんの想像力です。リスナーさんの想像力に頼っているという部分もまたラジオの一つの特性です。その想像力をどうやって刺激できるかというのが話術になっていくんだと思います。それが一番的確にできるのが落語かなと僕は思っているんですね。

編集部 間とかはどうですか。

大塚 間というのも大事ですよね。僕は葉書を読むスピードが結構早いんです。というのは、一枚でも多く紹介したいという単純なことなんです。ただ、そのときに、早口でまくし立てても、わからなければしようがない。

 一番気にしているのが、間とプロミネンス(文中のある部分を強調して目立たせること)です。どこを立てるか。この話の内容の肝はどこかというところです。それは文節ごとにある場合もあるし、全部の文脈の中でというのもある。その点検というか即座に判断はしますね。ですから、僕は読みは早くてもわかりやすく読む。読みをゆっくりして、わかりやすく読むというのは、普通のアナウンサーならできると思うんですけどね。

 そういうのは久米宏さんが参考になりました。あれだけ早口でちゃんとわかるというのは何でだろう。わかりづらいところは、ほんのちょっとでいいから、普通、1秒の間を取るところを、1.5秒間を取ればいいんだ。間を取ると、次の言葉が強調されるとか、そういうのを自分なりに全部計算したというか、書き上げたわけですよ。

 間というのは、どういう役目があるのかとか、我々の時代は1分間に330字と言われていましたけれども、今は450字ぐらいでも十分伝わる。それが伝わるのはどうしてかというと、大事なところを立てる。この立て方も種類があって、高低とか、強弱とか、これは全部アナウンスメントの基礎ですね。何かを読むというのは、アナウンスメントの基礎があるかないかで、わかりやすさが全然違ってくる。

 役者さんで時々、物すごく上手な人がいらっしゃいます。役者さんも多分、間ということを物すごく考えているんだろうなという気はしますね。あと、せりふなんかでも、これはどこが大事なのか。ここは流していいところなのかみたいなのを計算しているんじゃないかと思いますね。

 最近は音読に毛が生えたようなものでオーケーという部分が多いんじゃないですかね。ディレクターがアナウンサーを育てようというのが、今ローカル局ではだんだん薄くなっていますよ。何でかというと、生え抜きがいなくなり、外部ディレクターは遠慮がありますから、アナウンサーにこうせい、ああせいと、なかなか強く言えないんです。

 僕の頃は、いきなり入ってきた大塚というアナウンサーをどうやって育てていこうかということに腐心してくれましたので、本当にそういう人のおかげですよ。あとは、先輩のアナウンサーのいいところを何とか盗めないかとか、そんな感じで50年ですね。

寄り添うということについて

編集部 東日本大震災のときはさぞ大変だったんじゃないでしょうか。「TOWN」の放送は続いたのでしょうか。

大塚 違いますね。震災特番です。ふだんの番組を全部潰して、108時間だったかな、コマーシャルも一切なしで、安否情報から何から、いろんな情報を、オールナイト、オール生で読み続けました。

編集部 大塚さんもそのシフトの中に入って。

大塚 そうです。そのときに僕は一日だけ家に帰っていいよという日があったんですね。家に帰っても、停電ですから、まあ寒いこと寒いこと。周りは全部真っ暗です。だからといって、隣同士と身を寄せ合うわけでもない。

 そのときにラジオから、一生懸命、震災報道している同僚の声が聞こえてきたわけです。そのときの安心感というのは不思議ですよね。自分がその身でありながら、一人、孤独の中で、真っ暗い中でラジオから聞き慣れた声が出てくる。

 これは震災後の投書でもいろんな方に言われましたが、いつも聞き慣れているあの人が、ふだんどおりの生活をしながら放送してくれていることが、とても身近で励みになったというのをよく聞きました。僕自身も、「あいつが読んでいる。冗談言っているあいつが一生懸命伝えている」というのが励みになった。これは自分でも新鮮な驚きでしたね。

 それからラジオを聞き始めたという人も多いですね。それまではラジオをあまり聞かなかったんだけれども、テレビが見られないので、しようがないからラジオをつけて、「ラジオっていいな」と思ってくれたりした。

 IBCはJNN各局さんからの協力ももらって、携帯ラジオを何千個だったか、かなりの数を被災地に配ったんですね。そんなこともしていたり、ラジオのよさは、緊急のときだけじゃなくて、一段落してから、いつものおばかな放送に戻ったときに聞いて、「ラジオっておもしろいな」と思ってくれた人がいたと思いますね。

 NHKは災害報道をすごくやっているんだけれども、四六時中ローカルの放送じゃないわけですね。「この後は東京から」というふうになっちゃうわけです。IBCはほとんど身内の放送をやっていましたから。それと、ふだん聞き慣れている声。内容よりも声に励まされることがあったというのはわかりますね。

編集部 どのぐらいの期間ですか。

大塚 震災放送以外に何にもやらない、曲もかからないというのは、トータルで108時間ですからね。最後の締めが、ちょうど僕だったんです。これはディレクターからの指名です。

 16日の午前3時に「震災報道は、通しでの放送は一応終わりますけれども、この後は、いろいろな情報を、各番組で伝えられる限り伝えていきます」というのを最後の締めで言った。

 そこで、「IBCラジオは皆さんと一緒に乗り越えていきたいと思います」みたいなことを話して、そのときに「寄り添う」という言葉を使ったかな。いずれにせよ「頑張ってください」という言葉は使ったんです。「頑張ってくださいといわれても、これ以上頑張れないじゃないか」という話があったりする。あのときの「頑張ってください」はよかったんだろうか、どうなんだろうかと、僕はいまだに思っているんです。

 自分の中では、あそこでは「頑張れ」としか言いようがない。真っ暗な中、寒い中、もうちょっと頑張れば、支援の手がどんどん伸びてくるから、それまでのちょっとの辛抱、頑張れとしか言いようがないだろう。あそこで頑張らないと、みんな死んじゃうんじゃないかという気がしていましたからね。

 メンタルが弱っている人に対して「頑張ってください」と言うのは禁句だというのは、いわゆる専門家の方も言っています。「頑張ってください」の使い方は、僕はすごく神経質になっています。あのときの最後の放送、生放送ですから、台本があるわけじゃない。でも、やっぱり最後にここは頑張ってもらわなきゃしようがないという思いで言ったので、それは許されるんだろうなという気が今しています。

 そういう簡単な言葉の一つ一つというのは、ここぞというとき、ラジオというのは胸に刺さるんですね。テレビでは、言葉というのは、いろんな視覚的な情報の中の一つですけれども、ラジオというのは耳からの言葉だけですからね。

 一回だけだったかな、「僕は寄り添えません」と言ったことがあるんです。そんな簡単にねえ。例えばせいぜい頑張ってやったってできるのは女房に寄り添うぐらいです。それなのに、あなたにも、あなたにも、あなたにも寄り添いますって。

 震災のときに「IBCラジオはとにかく寄り添う。でも、僕個人として、あなたに寄り添うということはできないから、ラジオに過大な期待を寄せてはいけない」ということを言ったことがあるんです。これはやっぱり僕の本音で、リスナーの皆さんにいつも寄り添いますなんてことは、僕のキャパではできないと思っているんですね。

 でも、その後があるんですけどね。「寄り添いたいという気持ちはなくしません」ということは言うんですね。よく大見えを切って、「いつも寄り添ってます」と言う人がいるけども、寄り添うということは、いつもそばにいることなんだよ。隣にいてくれることなんだよ。手を伸ばせばさわれるんだよ。そんな距離感はとても保てませんので、それをわかってくれているんでしょうね。でも、寄り添えないけれども、その距離の近さは、多分キー局の何万人というリスナーを相手にしているところとは根本的に違うと思いますね。

トップレベルの募金額を誇るIBCラジオ『ラジソン』

編集部 大塚さんは『ラジソン』には出られるのですか(1978年より毎年12月24日の正午から25日の正午までの24時間、生放送で行われてきたIBCラジオ・チャリティ・ミュージックソンの略称。体の不自由な方への基金募集を目的とし、当初から2009年まで大塚さんがメインパーソナリティを務めたIBCのクリスマス恒例イベントで募金額は全国トップレベル)。

大塚 今回は夜の部で、24日の7時半か8時ぐらいから11時ぐらいまで受け持たされています。ラジソンにまつわるお話とリクエスト曲を皆さんから募集して、それを女性のアナウンサーと二人で進めて読んでいく。そういうような割と軽いところでの役目です。

 メインパーソナリティみたいなのをやっていたときは、ずっとスタジオで、最初のころは24時間しゃべりっ放しでした。非常にハードだったんですけど、だんだん楽になりました。

 メインを外れてからは、今度は現地からということで、陸前高田あるいは釜石、要するに被災地ですね、被災直後はそこから、それにまつわる話を届けたりしています。割と体に無理を来さないようなところに配置をしてもらっています。今年第45回ですから、45年間やっています。

 僕が入社して何年目だったかな、先輩アナウンサー方が並みいる中で、メインパーソナリティみたいな形で、交通整理役を仰せつかったんですね。僕らとしては何年続くのかな、1年、2年やるのかなというような感じだったんですけれども、反響は物すごく大きくて、第1回は2000万円を超えたのかな、すごい募金額が集まったのです。ニッポン放送を除けば、募金額が毎年ほとんど1位なんですよ。大阪も札幌も抜いて、収入の少ないこの岩手県が1位を取るというのはすごいなと思うんですね。

 震災のときも、自分たちが被災者でありながら、あっという間に億を超えたんです。そういういざというときの協力ぶりというのがある。ラジソンで言えば、IBCラジオとリスナーさんとの距離の近さというのもあるのかもしれないですね。

大塚 今はコロナでダメですけど、ボランティア募集も、本当に無償で20時間とか24時間とか、「手伝いまぁす」と言って来てくれます。

 そういう意味では、投書をくれる人だけが聞いているわけではないですからね。いざというときに、「僕、投書なんかしたことないですけど、協力します」みたいな人がぞろぞろ出てきてくれる。そういうのは、AM局1局しかないというのもありますし、親しさというのは、僕らが思っている以上にあるんだなと、ラジソンのときはそれを感じますね。

編集部 やっぱりリスナーとラジオの紐帯は強いですね。

大塚 かもしれないですね。ただ、僕は今ラジオだけですけれども、IBCはラテ兼営で、「この人はラジオだけしか出てない」、「この人はテレビだけしか出てない」というわけではないので、リンクしているので、ファンの方々からの「〇〇アナウンサーいいよね」、「〇〇アナウンサーおもしろいよね」という結びつきは、AM1局のローカルならではというのはあるかもしれないですね。

編集部 長い時間、おつき合いいただきまして、ありがとうございました。

大塚 こちらこそありがとうございました。

<大塚富夫氏略歴>
大塚富夫(おおつか・とみお)
1949年(昭和24年)東京都生まれ。
1973年 東洋大学経営学部卒業、IBC報道部にアナウンサーとして入社。

1974年からラジオ番組「IBC TOP40(フォーティー)」を15年間担当、地域の伝説的番組となる。土曜日午後のワイド番組(現在は「大塚富夫のTOWN」)は43年続いている。
ラジオでの食べ歩き取材は8年間、400店に及んだ。

朗読「ラジオ文庫」は11年担当(2年目から復活)。現在の朗読活動の基礎となる。

他に「ワイドステーション」を週に1回担当、年末恒例「ラジソン」のメインパーソナリティを第1回から第32回(2009年)までつとめる。

2009年9月定年退職するも、業務内容変更なく再雇用、その5年後、契約社員として現在にいたる。

「おでって」「盛劇」「風のスタジオ」などでの舞台朗読にも意欲的に取り組み、公演回数は100回を超え、2004年からは、東京のA-STEP(アステップ)朗読公演にも参加している。
飾らぬ軽妙な話術と端正なナレーションを武器にIBCアナ最長不倒記録更新中。
現在の所属はIBC岩手放送報道制作局アナウンス部
         
これまでに、JNN,JRN系アノンシスト賞7度受賞(98年度TV-CM部門は最優秀賞)〈アノンシスト賞・・・系列局アナウンサーのコンテスト〉

趣味は写真(絵はがき作り)、テニス、スキー・・・etc

現在の担当番組(ラジオ) 
 木 PM1:00~4:50「ワイドステーション」
 土 PM 3:00~5:00「大塚富夫のTOWN」
 月 PM 0:45~1:00「ラジオ文庫」

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