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コロナ禍のもとでのメディア・リテラシー

【コロナ禍のもと、メディアは何をどう伝えるべきか。メディアと受け手の「逆転」とは? 世界情勢に精通し、広い視野から世界と日本で生じる数多くの問題に切り込んできた堤伸輔氏の論考】

堤伸輔(コメンテーター、「フォーサイト」元編集長)

“虚偽発言“も伝えるのか

 「こんなもの、ちょっとした風邪だ」と、新型コロナウイルス感染症を軽視する発言を続けてきたブラジルのジャイル・ボルソナロ大統領も、とうとう姿勢転換を迫られている。いまやブラジルは、本稿執筆時点で1日の新規感染者が9万人を超え、死亡者の数も連日4千人を上回る。世界で最も感染拡大がひどく、感染爆発中と形容すべき国になってしまったからだ。
 いくつかの州の知事がそれぞれ導入したロックダウンも、ボルソナロ氏はこれまで厳しく批判してきた。コロナ感染症の死者より、経済的に追い詰められて自殺者が増えることのほうが問題、という理屈だ。みずからは昨年さっさと感染し回復したこともあって、ワクチンの効果にも一貫して懐疑的。ブラジルのワクチン導入は国民の期待ほど進んでいない。
 感染爆発を目の当たりにして、ようやく対策を強化する方向に転じたのが今年の3月下旬。しかし、その後も大統領の姿勢を疑問視する閣僚の辞任があり、さらに陸海空3軍の司令官がそろって辞表を突きつけた。ボルソナロ氏は陸軍出身で、軍は最大の支持基盤のひとつ。そのトップ3人が見放したのだから、非科学的・独断的なコロナ対策を、周囲がどんな目で見ているかよくわかる。
 問題は、こんな為政者の言葉を、メディアは“伝えなければならない“ことだ。ただの風邪、マスクは不要、外に出て働け、ワクチンの効果は疑わしい––繰り返される発言を、メディアはそのまま報じなければならない。「カギカッコの中には、手を加えてはいけない」というルールをこの際だからと無視はできないからだ。たとえニュース全体は大統領に対し批判的なトーンで伝えるとしても、強烈なコロナ軽視コメントは、そのまま視聴者・読者に届く。決選投票で55%を超える得票で大統領に当選したボルソナロ氏の支持者たちの中には、いまだにその言葉を強く信奉する人たちも少なくない。アメリカのトランプ前大統領の支持者と同じように。
 「ポスト・トゥルース」の時代、真実なき時代が始まったと言われたのは、2016年だった。アメリカ大統領選の予備選から本選まで、候補者本人の口からフェイクニュースが乱発された。EU(欧州連合)からの離脱の是非を問う国民投票が行われたイギリスでも、「離脱後のバラ色の未来」が、根拠薄弱のまま投票キャンペーンを彩った。特に離脱派の宣伝文句の中には、のちにフェイクと断定されたものもあった。
 それから5年。世界を襲ったコロナ禍の中で、国家のトップたちの声、政府スポークスパーソンの発表を、まずはそのまま伝え、然るべき論評を加えるという、メディアとしては当たり前の“作法“が、それでいいのかという大きな疑問を突きつけられているように思う。科学的根拠の薄弱な自説、あるいは明らかな“誤情報“を、権力者が口にする場面があまりに多いからだ。ブラジルで、大統領交代前のアメリカで、東アフリカのタンザニアでと、実例は枚挙にいとまがない。タンザニアのジョン・マグフリ大統領は、コロナは「祈りと薬草を蒸した蒸気で治る」との持論を唱え続け、政府は感染対策を放棄。感染者数の発表すら行ってこなかった。ワクチン輸入も拒否している。そのマグフリ氏自身が3月に死去し、死因はコロナ感染だったと国際報道は伝えている。皮肉な結果だが、しかし、この種のフェイクの拡散は、各国民の命に直結する。あらためて、コロナ禍の時代のメディアの“作法“を、問い直す必要があるだろう。
 2017年に大統領となったトランプ氏は、米メディアのカウントによれば、退任までの4年間で3万回以上の事実に反する発言を重ねた。それは従来型のメディアで広く伝わり、またTwitterなどのSNSでも拡散した。明らかなフェイクであっても、大統領が語ればトップニュース。この問題の解決法を、まだ誰も見つけていない。

【引き続き、「書き換えられた“リテラシーの教科書”」に続く】

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書き換えられた“リテラシーの教科書“

 金沢工業大学の虎ノ門大学院で、私は2012年から「メディア・リテラシー」を講じてきた。講じたというより、社会人の大学院生たちと一緒に、メディア状況の急速かつ根源的な変化を眺めてきたといったほうが正しい。20世紀においては、やや乱暴にまとめていえば「新聞の読み方」だったメディア・リテラシーの授業を、変化に合わせてどう修正していけばいいかを、この9年、模索してきた。
 メディア・リテラシーの教科書の完全な書き換えが必要だと感じたのが「ポスト・トゥルース元年」の2016年頃だが、前述のようなフェイクニュースの蔓延だけが理由ではない。その前から、情報の送り手(sender)と受け手(recipient=audience)の関係そのものが変化し、情報の流れも一方向ではなくなっていたからだ。
 たとえば2013年、エジプトでクーデターが起こった。「アラブの春」で成立した政権を放逐するために軍の幹部が主導したクーデターだが、その号令はSNSで発せられたのだ。国防相が自らのFacebookに「最後の時」というタイトルの投稿をしたのを合図に、軍は動いた。それを見た各メディアが報じることで、世界に情報が伝わった。
 伝わり方はそれ以前と特に違わないと思われるかもしれない。しかし、違うのだ。その国防相のSNSをもしフォローしていれば、たとえば日本にいる中東専門家も、現地と同時にクーデター発生を知ることができる。専門家でなく、一般人でも。
 かつてのパターンなら、あくまで一例として、次のような順序で情報は流れただろう。
  ●首謀者(国防相)→軍の広報担当者→通信社→テレビ局・ラジオ局・新聞社→専門家・一般人(sender→media→audience)
 それが、極端に言えば、こうなったのだ。
  ●首謀者→一般人(sender→audience)
 メディアである通信社や放送局などが“中抜き“にされた構図だ。「メディア(媒体=仲立ち)の中抜き」という、言語矛盾的状況が生まれたわけである。そしていまや、各国の為政者や権力者、政府高官が競ってSNS発信をするようになり、こうした構図はごく日常的なものになりつつある。メディアはその発信を追いかけている。現状では、追いかけざるを得ないと言うべきか。(注1)
 さらに、ITの広がりによって、sender/mediaとaudienceの関係が、瞬時にして逆転するようなことも、頻繁に起こる。両者の間の境界(boundary)が完全に消失しただけでなく、立場の入れ替わりも生じているのだ。以前は、たとえ専門家であっても、メディアからコメントや寄稿を求められなければ、自分の専門知識や見解を発表することは容易ではなかった。たとえば、国際的な企業買収業務に携わっている弁護士が、新聞の経済記事に間違いを見つけたとする。「国境をまたぐM&A(合併・買収)に関する国際法規の理解が違う」と新聞社に連絡しても、訂正記事が掲載されるとは限らないし、訂正記事中でその弁護士名が言及されることもまずないだろう。しかし今は、自分のブログに書くこともできれば、SNSで世の中に拡散することもできる。訂正されるべき新聞記事にリンクも貼りながら。
 コーポレート・ジャーナリズムと呼ばれる企業メディアの中にいる「専門記者」にとっては、以前に増して緊張感を強いられる時代だと言える。みずからの発するニュース、特に解説記事が、外部の専門家の検証に耐えられるのか––そういう問いを、専門家がsender側に回って訂正や批判を発することが容易になった現状が突きつける。こうした状況の到来をいち早く予測したのは梅田望夫『ウェブ進化論––本当の大変化はこれから始まる』(2006年、ちくま新書)だった。(注2)

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突きつけられるふたつの課題 

 こうして、情報の流れる経路も、送り手と受け手の(一方向性だった)関係も、大きく様変わりした中で、メディア・リテラシーは、とうに「新聞の読み方」ではなくなっただけでなく、「一般人がいかにしてメディアを正しく見る/読むか」すなわち「主として受け手側の問題」でもなくなった。受け手にとっても送り手にとっても、等しく重要な問題となったのである。かつて一般常識の試験で「メディア・リテラシー=メディア(従事者)のリテラシー」と答えれば大きなバッテンがついたが、いまやそれは「ほぼ正答」になりつつある。
 特に、ディープフェイクとも呼ばれる、巧妙に作られた「フェイク動画」の広がりは、メディアにとって最重要のリテラシー問題だ。ここでは詳しく触れないが、各テレビ局が視聴者からの投稿映像をニュースなどで使用する流れが普通になる中で、どこかで立ち止まって使用基準を検討しておく必要がある。最も精巧なディープフェイクは「CIA(米中央情報局)でなければ見破れない」と言う専門家もいるほど、悪い意味での高度化が進んでいるからだ。
 そして、まさしくコロナ報道でも、「メディアのリテラシー」が試されている。ここでは大きくふたつの点をあげておきたい。
 ひとつは、「政府発表」の類をどう伝えるか。首相や担当大臣、さらには知事らの発言を、あるいは文書による発表を、どう電波や紙面にのせるか、である。
 ふたたび海外の実例から入る。昨年春、トランプ氏は抗マラリア薬ヒドロキシクロロキンのコロナ感染症予防効果を喧伝し、自分も服用していると明かして、「ゲームチェンジャーだ」とまで言った。その後、米FDA(食品医薬品局)が深刻な副作用の可能性について注意を喚起し、WHO(世界保健機関)は今年に入ってこの薬を予防薬として使わないよう「強く勧める」と発表した。しかし、トランプ発言は広く世界に流れ、トランプ氏に倣って服用を試みた人も少なからずいたようだ。
 日本でも、安倍前首相が国会で特定の薬品名を挙げて医薬品医療機器法に基づく承認への期待感を示すなど、コロナ禍で多くの人々が不安感を抱き、治療薬の出現を待ちわびるムードの中で、ややもすれば勇み足と見られる政治家の発言が、一再ならずあった。そして、それを多数のメディアがそのまま報じた。多くの場合、固有名詞を隠すこともなく。
 もちろん、未知の感染症への対応で、誰の知識や見解も十分なわけではない。感染症の専門家をはじめ皆が手探りで対応策を考え、感染やその拡大を防ごうとする中で、政治家もメディアも一般国民も、必ず正しさを前提に発言せよと言われたら、口をつぐむしかない。しかし、政治家が発する言葉は、影響力において他の比ではなく、勇み足は慎むべきだし、メディアも、人間の健康や命に直結する現在の状況下では、十分に注意深くなければならないだろう。別の病気用に開発された薬の転用が今回さまざまに試みられているが、本来の処方に沿った使用においても副作用の可能性が少なからず指摘される薬品については、発言・報道は特に抑制的であるべきではないか。たとえ承認済みであっても、どの薬も同じには扱えない。

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 長い間、最も情報が正しく伝わらなかった問題の代表例が、PCR検査をめぐる厚生労働省の発信だ。昨年の感染拡大期、PCR検査は「37.5度以上の発熱が4日以上続いた場合」でなければ、なかなか受けられなかった。厚労省が、これを「目安」として、全国の保健所などに通知していたからである。目安はいつしか遵守すべき「基準」と受け取られるようになり、検査する側も、受ける側も、それに縛られた。家族が検査を受けるよう勧めても「(ルールを破って)迷惑をかけたくない」と日が経つのを待ち、容態が急に悪化して亡くなった方もあった。
 ようやっとこの目安が改められるに至った時、次のように言い放った加藤勝信厚労大臣(当時)の発言に、私は耳を疑った。「(37.5度以上・4日以上がひとつの基準のようになっているのは)われわれから見れば誤解ですけど」と。誰が誤解していたと言いたかったのだろうか。検査業務に携わる保健所の職員? 実際に検体をとる医療従事者? 検査を受ける側の国民? 例によって言質を取られないような言い方になっているので、誰を指すのか定かではないが、しかし、ここに挙げた以外に「誤解」した者はいないはずだ。あるいは、目安だか基準だかはっきりさせないままに報じ続けていた数多くのメディアも「誤解」していたと?
 そもそも、お役所用語の目安と基準がどう違うかも明示しないまま何カ月も曖昧な状態を放置した厚労省・大臣の責任は重い(注3)。そしてまたメディアも、こうした問題に関して正しく政府を問い詰め、国民の理解を高める役割を果たしたかと言えば、首肯はできないだろう。
 もうひとつ、感染症学、疫学、ウイルス学、免疫学などの専門家の言葉、臨床の医療従事者の言葉、さらには海外のコロナ関連情報を、どう伝えるかという課題もある。現在、メディア従事者は、誰もが感染症について、新型コロナウイルスについて、ワクチンについて、新たな知識を取り入れながら、文字通り手探りで日々の報道に携わっている。専門性の高い科学部や医療担当の記者であっても、未知のパンデミックが相手であるがゆえに、手探りの度合いは他と大きく違わない。十二分な勉強と取材を求められる、大変な状況だ。そんな中で目にする、丹念な取材に基づくテレビ番組や新聞記事には、いつも敬意と感謝を覚える。一方で、日本の報道全般を見ていて感じるのは、「難しいことにはなかなか踏み込まない姿勢」である。たとえば、今年に入って、日本でもウイルスの変異株に関する報道が徐々に増えていった。イギリスではゲノム解析に携わる専門家グループが論文やレポートを出し、仮説も含めてさまざまな詳細情報を提供していた。それを現地メディアは当初からかなり詳しく報じた。たとえば、N501Yという変異が、従来型ウイルスより感染力が強まる原因となっている、などだ。しかし日本では、個々のメディアによって差はあるものの、N501Yのような“専門用語“が画面や紙面に出てきたのは、イギリスでの報道よりかなり遅かった。用語よりさらに踏み込んだ変異の詳細の解説報道となると、1カ月以上、現地報道とタイムラグがあったように思う。
 メディアには、確かに“省略“も必要である。視聴者や読者に、あまり詳細な情報を伝えようとしても、逆効果で、結局、理解を遠ざけてしまうという考え方がある。「読者・視聴者にお勉強を強いてはいけない」と、この世界ではよく耳にする。しかし、今回のような専門家に近い知識は、結局いずれ必要になるのだ。それは、国内でも変異株の詳細が報じられ始めた3月下旬以降の状況が、はっきりと示している。だとしたら、詳細情報の伝達は、より早いほうがいいのではないか。しっかり「勉強」したくないのは、視聴者・読者ではなく、メディアのほうではないのかと思えなくもない。
 もちろん、前述の治療薬に関する勇み足のように、むしろ注意深く抑制的に報じたほうがいいと思われる部分もある。しかし、検証を重ねた上での詳細情報の提供は、ためらうべきではない。日本政府の情報収集力の不足が、海外のワクチン開発状況の把握とワクチン入手の遅滞をはじめとして、感染拡大対策の遅れに直接響く状況の中、メディアの役割はなおさら大きい。専門家の協力を仰ぎながら海外の主要なコロナ関連論文を読み解く「メディア・リテラシー」の発揮も、今こそ求められている。(4月12日記)

(注1)SNSがメディアであり、中抜きは起こっていないという理屈は、ここでは採用していない。

(注2)『ウェブ進化論』は、私が編集長を務めていた月刊誌「フォーサイト」掲載の梅田論考をベースにしている。

(注3)厚労省の通知には、3月13日通知(目安は一律に適用せず、該当しない人でも状況を踏まえて柔軟に判断するように自治体に伝える)、3月22日通知(「37.5度4日以上」「強いだるさ」の両方そろわないと相談できないわけではなく、どちらかに当てはまれば受診の調整をと自治体に伝える)などがあるが、しかし、目安の文言そのものは2月17日から5月8日までずっと変えなかった。

<執筆者略歴>
堤 伸輔(つつみ・しんすけ)​
新潮社「フォーサイト」元編集長。1956年熊本県生まれ。1980年東京大学文学部を卒業、新潮社に入社。『週刊新潮』編集部に所属、作家・松本清張を担当、国内・海外の取材に同行する。2004年から2009年まで『フォーサイト』編集長。その後、出版部編集委員として『ドナルド・キーン著作集』を担当。2020年末をもって退社しフリーランスに。現在はBS-TBSの報道番組「報道1930」にレギュラー出演中のほか、情報番組に数多く出演。金沢工業大学虎ノ門大学院でメディア・リテラシーについての講義を行っている。

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