見出し画像

「データ」で見る元首相の銃撃死と国葬 未熟さ示したテレビ・ジャーナリズム

【安倍元首相の銃撃から、国民的議論を呼んだ国葬まで。テレビは何をどう伝え、どう機能してきたか】

水島 宏明(上智大学教授)

はじめに

 2022年、日本の政治と社会を大きく揺るがしたのが、参議院選挙の最終盤で起きた安倍晋三元首相の銃撃暗殺事件だった。

 賛否が激しく分かれるなかで政府が「国葬」を実施したが、2022参院選、イギリスで行われたエリサベス女王の国葬、安倍元首相の国葬という一連の出来事でのテレビ放送の「データ」を使って、テレビ・ジャーナリズムの現在点を示してみたいと思う。筆者はテレビ報道を専門にしているため、国政選挙や国葬、五輪など、テレビというメディアの役割が問われるようなイベントで、テレビ報道についての評価を活字メディアから求められることがしばしばある。

 そうした折りにどんな評価をしたのかを振り返りながら、安倍氏の国葬までのテレビ報道を総括していきたい。

 筆者が参考にしたのが、「TVメタデータ」だ。これは地上波やBSテレビ局で放送されたテレビ番組やTV―CMをテキスト・データ化して構築した株式会社エム・データの商品である。いつ、どの局のどんな番組で、誰が、どんな話題が、どのくらいの時間、どのように放送されたのかなどを、独自のデータ収集システムを使用して生成している。筆者は今回、同社の協力を得て、2022参院選、安倍元首相の銃撃事件、イギリスのエリザベス女王の国葬、安倍元首相の国葬の「TVメタデータ」を元にテレビ報道を分析した。

 日本の近現代史で、ごくわずかの例外を除いて例がなかった政治家の「国葬」。それはテレビでどのような流れで放送されたのか。

参院選終盤の報道で「公正・中立な選挙報道」をゆがめた感情的な番組

 2022年参院選の報道で特筆すべきことに、選挙戦の最終盤の7月8日(金)に起きた安倍元首相の銃撃事件と死去がある。同日、昼前に奈良市内で候補の応援演説をしていた安倍氏が近づいた男に手製の銃で狙撃され救急搬送されたもののその後に死亡が確認された。

 NHKは総合テレビで「ニュース」を拡大して緊急放送をしたほか、民放各局も軒並み特番体制を組んで「参院選の遊説中に起きた惨劇」を伝えた。この報道は同日夕方の死亡確認の後も続いた。7月8日(金)は選挙期間中における投票日前の平日最後の放送日である。通常、夕方や夜のニュース番組では平日最後の放送日でシリーズの選挙特集の最終回を放送するのがならいだが、この日はどの局のニュース番組も選挙特集の最終回を放送することはなく、元首相の銃撃死というかつてない出来事を伝えることに終始した。

 安倍元首相のニュースは土日も続いた。参院選の開票結果が固まった7月11日(月)の夕方・夜ニュースは安倍氏の通夜の様子が中継され、翌12日(火)は告別式やその後に遺体を載せた車が国会や首相官邸などで「最後のお別れ」をする様子をヘリコプターなどが追跡して生中継で伝えた。感情的な国民行事のように報道されて「メディア・イベント」(メディア研究における概念で、「メディアに媒介されたイベントのこと。多くの場合はテレビ中継されて、人々の集団的な記憶や統合意識に関与する」)と化した。

 安倍元首相の銃撃事件では容疑者の犯行の手口、動機や背景、現場の警備体制のあり方、憲政史上最長の8年8か月首相を務めた安倍氏の政治家としての実績や憲法改正への意欲、突然の死を悼んで献花に訪れる人々、お悔やみを伝える岸田首相ら政権や自民党の幹部、野党や経済界、文化界、スポーツ界、芸能界、外国政府などの姿や言葉が継続して放送された。

 国政選挙の投票直前で「政治的な公平」がふだんの放送以上に重視されるべき選挙期間中と投票日当日の投票締切の直前まで元首相の銃撃や故人を悼む番組が断続的に放送され続けた。

 特に7月10日(日)の投票日当日の午前中に放送されたフジテレビ「日曜報道THE PRIME」は投票日における報道番組としては政治的公平性という観点で大きな疑問符がつくものだった。「安倍晋三元首相を悼む 安倍氏の軌跡と日本の今後」をテーマに掲げ、「改憲」を求める活動で安倍氏の盟友とされるジャーナリストの櫻井よしこ氏が安倍氏の「遺志」を継いでいくと発言するなど、放送法や公職選挙法に抵触しかねない番組内容だった。

 【図1】は7月8日(金)、9日(土)、10日(日)の投開票直前の3日間における「参院選」報道と「元首相」をめぐる報道について内容をデータ化したものである。「TVメタデータ」を加工して、筆者が個人的に録画した番組を元に情報を加えるなど修正している。「安倍銃撃」をめぐる放送の時間がいかに長かったかがわかるはずだ。

 結果として参院選の報道が、安倍元首相の銃撃と死去という衝撃的な事件をめぐる報道にすっかり「乗っ取られた」かたちになっていた。

 本来は「政治的公平」「公正」「中立」などに細心の注意をすべき選挙期間中や投票日当日の放送で、安倍元首相を悼み、自民党の総裁・首相としての功績を称え、憲法改正を強く意識した「元首相の“遺志”を継ぐ」などという発言を不用意に流すものがあったことは、テレビというメディアにとって選挙報道のあるべき姿とはどうあるべきなのか改めて問いかけるものになった。

 【図2】は7月10日の投開票日の「投票締切前」に放送されたテレビ各局の安倍元首相に関する報道と参院選の報道時間の比較である。

 「元首相の“遺志”」はかつて安倍氏が悲願だとしていた「憲法改正」と結びつけて理解するのが永田町の常識だ。テレビ報道に従事する人間は、肝に銘じてほしい。選挙期間中に起きた銃撃事件が有権者の意思決定に「公正」「公平」「中立」と言えないかたちの影響を与えていた可能性は大きい。

 冷静な視点での検証や議論、自己反省が求められる放送内容だった。

イギリスでの「国葬」での放送データが物語るものは?

 イギリスのエリザベス女王の「国葬」は、9月19日(月)NHKが看板ニュース番組である「ニュース7」で冒頭から10分近く現地の生中継の様子を伝えた。日本列島に台風が迫りつつある中での放送だったため「本末転倒」との批判も起きて、筆者のところにも新聞や週刊誌等がコメントを求めてきたほどだった。筆者はイギリスの国葬を伝える意義を強調して説明した。

 エリザベス女王の国葬に関する報道は、現地で国葬が行われた日本時間9月19日(月)と翌20日(火)にニュース番組や情報番組で放送され、地上波ではNHKが、3時間4分55秒、民放キー局5局が14時間3分50秒放送した。

 民主主義と王室、軍と王室、国家と宗教のありようの歴史を可視化させるような中継だった。「テレビ的」で「画になる」というだけでなく、第二次大戦以降の歴史を振り返る、報道としての価値も高いイベントだった。まさに中継する「意味」がある国葬だった。コメンテーターに注目するとNHKが現地の特派員などが解説したのに対して、民放は英国王室ジャーナリストの多賀幹子やハリー杉山が登場して解説。また、王室を離脱したヘンリー王子について、暴露本を出すとか軍服を着るかどうかという細かい点については、スキャンダル的だと嫌ったのかNHKは伝えず、民放が情報番組などで積極的に伝えたのが特徴的だった。
 そうした違いはあっても、エリザベス女王の国葬は20世紀から21世紀の歴史の流れに一つの節目のメディア・イベントとして人々の記憶として長く語り継がれるものとして日本でのテレビでも中継された。

 エリザベス女王と比べれば、その後に行われる安倍元首相の国葬は地味な内容でテレビが中継するイベントとしては圧倒的に見劣りするものになるだろうというのが筆者の見立てだった。それゆえ各局が中継するとしても、「政府の行事なのだから報道機関の役割として報道はするが、高い視聴率が期待されるわけではないから、あまり力を入れないだろう。もし力を入れるようだったら『安倍氏の遺志』を継ぐべきだ、など報道機関として政治的公平性・中立性で問題がある放送になる可能性がある」と若干の危惧を示して筆者はコメントした。

元首相の「国葬」

 安倍元首相の国葬についての放送はどうだったのか。

 筆者は、国葬が行われる当日と翌日、その前の土日も国葬の是非を問う放送があると想定して、9月17日(土)から国葬が行われた9月27日(火)を含む、翌28日(水)までの12日間で放送時間を調査した。

 安倍元首相の国葬に関する放送時間は62時間43分56秒。うちNHKが11時間40分04秒、民放は合計で51時間03分52秒。儀式そのものに歴史的に複雑な意味があるイギリスと比べると、日本武道館で行われることや皇室の挨拶、現役の首相らの挨拶と、際立った特徴はない。

 当初、筆者が懸念した「安倍氏の遺志」を受け継ごうというような、ジャーナリズムとして危うい報道番組は結果としてはなかったと評価できる。

 「メディア・イベント」としては、おそらく、参院選の結果が明確になった7月11日(月)に安倍家が私的に行った通夜で遺体を載せた霊柩車をヘリコプターなどで報道カメラが中継したことや翌12日(火)の告別式がニュース番組や情報番組でも全局で報道されたことで、メディア・イベントの条件である「感情」を揺さぶり「国民の集合的な記憶」に結びついた映像という意味では「国葬」を超えるインパクトがあった。7月11日(通夜)はニュース番組内での短い扱いが多く、合計で1時間38分06秒しかない。しかし総理官邸の玄関に到着した元首相の遺体を載せた車に対して、岸田文雄首相が頭を下げた場面は時代を象徴する1シーンとして記憶に残るものになった。

 これに比べると、国葬そのものはイギリスと比べて、さして新しい情報や人々の感情に訴える要素が多いわけでもなく、友人代表として弔辞を読んだ菅義偉前首相の話の内容くらいしか注目すべき点はなかった。

 9月17日(土)から9月28日(水)までの期間に、安倍元首相の「国葬」について放送された時間は、62時間43分56秒。うち国葬に反対するデモや集会を取材して報道したものは20時間09分06秒を占めている。また、旧統一教会に関連する放送が15時間15分59秒ある。安倍氏の国葬でもっとも放送時間が長かった著名人は首相の岸田文雄氏が37時間17分10秒、前首相の菅義偉氏が19時間27分17秒。夫人の安倍昭恵さんは13時間11分36秒。秋篠宮が9時間03分23秒、天皇が6時間54分04秒になっている。

 一方で政府が国葬実施の名目に使った「外交」で政府が最重要のパートナーと位置づけるアメリカのバイデン大統領も放送は2時間36分17秒にすぎない。「国葬」は外交のためというより、むしろ内政的な目的が大きかったことが放送のデータからも明らかだ。国葬を伝える報道のなかで、弔問に訪れた人たちを報道した「弔問」の放送時間は「外交」よりも多く、10時間32分47秒にも及ぶ。

 「半旗」を掲げて弔意を示した機関などについての放送は、5時間15分06秒。

 報道テレビ各局が特別番組か、あるいは通常番組内での特別コーナ−を組むなかで、筆者が注目したのはコメンテーターの顔ぶれである。

 TBSが国葬中継の際に登場させたのが、憲法学者の木村草太・東京都立大学教授だった。かつて、テレビ朝日の「報道ステーション」などにコメンテーターとして頻繁に登場していた人物である。第二次安倍政権で2014年の衆議院議員選挙前に自民党からNHKや民放キー局各社に対して出された「公正・中立・公平」を求める要望書の後にテレビ各局で、賛否が分かれる問題で憲法学者などの専門家や識者のコメントを放送しない傾向が一気に進んだ。木村氏も憲法学者としての立場から集団的自衛権の解釈を変更した政府を批判するコメントをテレビで表明していたが、2016年3月に「報道ステーション」を降板して以降、テレビでコメントする機会はすごく減っていた。政権や安倍氏や官房長官だった菅義偉氏への「忖度」だと思われた。

 テレ朝に限らず、憲法がかかわるような重要な政治問題を伝える際に憲法学者がスタジオでコメントする機会はこの数年めっきり減っていた。

 こうした中でTBSは9月27日の「国葬」中継でコメンテーターに木村草太氏を起用した。国葬を実施することの是非を憲法学の視点でコメントをしていた。「安倍国葬」をめぐる一連の特番では、安倍氏の「功績」ばかりを強調するのではなく、負の側面も含めて「功罪」を伝えていこうという姿勢がNHK、民放ともに明確だった。「国葬」の当日、繰り広げられた反対運動も各局が報道していた、少し前の安倍氏の存命中であれば考えられない事態である。

 安倍元首相、さらに菅義偉前首相と続いたメディアに対する「強面政権」でテレビの側が抱いていた自民党に対する「恐怖」、「萎縮」や「忖度」。その呪縛が皮肉にも安倍氏の死去、国葬というタイミングでなくなり、本来あるべきテレビ報道と政権とのあるべき緊張関係が戻りつつあるようにも見える。

 他方で、安倍政治について「功罪」を伝えようとする放送が見られるようになったとはいえ、トピックごとの放送時間でいえば、さほど長い時間をかけていない。

 安倍氏の功績とされる「東京五輪」でも1時間29分15秒。「アベノミクス」が1時間41分52秒。「罪」の方の代名詞である「森友」問題は、1時間33分18秒。「加計」問題は、0時間43分19秒にすぎない。

 この程度の長さでは、とても「功罪」を総括する番組とはいえず、あまりに短い。

 戦後最長政権となった「安倍政治」とは何だったのか? 

 「国葬」はその総括をするための唯一の機会だったはずだ。

 テレビジャーナリズムは、それができないまま、中途半端なかたちで幕を引いてしまった。

<執筆者略歴>
水島 宏明(みずしま・ひろあき)
1957年生。東京大学法学部卒。
札幌テレビ、日本テレビで報道記者、ロンドン・ベルリン特派員やドキュメンタリーの制作に携わる。生活保護や派遣労働、准看護師、化学物質過敏症、原子力発電の問題などで番組制作をしてきた。
「ネットカフェ難民」という造語が「新語・流行語大賞」のトップ10に。またドキュメンタリー「ネットカフェ難民」で芸術選奨・文部科学大臣賞を受ける。
2012年より法政大学社会学部教授、2016年より現職

この記事に関するご意見等は下記にお寄せ下さい。
chousa@tbs-mri.co.jp