テレビの概念を変える~TVerの挑戦~(後編)
龍宝 正峰(TVer取締役会長)
前回、TVerの順調な立ち上がりから、やや踊り場になってしまい、新たに株式会社TVerとしてリセットすることになったところまでのお話をさせていただきました。今回は、そうして立ち上がった新体制のスタートからの2年間について、振り返ることとします。
2020年度 新体制のスタート
2020年7月に新体制が始まりました。この時までのプレゼントキャスト社は40人くらいの所帯でした。そこに、放送局や広告会社から多くのメンバーを一気に出向させて70人規模になって新体制がスタートしました。しかし、前回説明のように完全に準備が整ってのスタートではない上にコロナの影響もあり、不安材料が山積したスタートでした。
最初の全社会議で自分が強調したのが、①ユーザーファースト、➁スピードアップ、③チームワークの3つでした。
これまでのプレゼントキャスト社による運営では、どうしても放送局に気を使わざるを得ないことが多かったので、ユーザー視点の前に放送局の意思が優先される傾向がありました。そして、その放送局との調整に時間がかかり、変化のスピードがとても遅い、というのが大きな課題でした。それを解決するためにこの体制にしたことを、新・旧のメンバーがしっかり理解してもらわないといけないという思いでした。
中でも最も大事にしたかったのがチームワークでした。今回各所から出向者が集まりました。放送局・広告会社・プレゼントキャスト社のプロパー社員という出身の違いだけでなく、放送局の中でもデジタル系・放送技術系・営業系・編成制作系等、これまでの知識や価値観が異なるメンバーの集合体です。
さらに、それに加えて新生TVer社でもプロパー採用を進めないといけません。こういった多種多様な価値観を持ったメンバーが一体感を持ってサービス拡大に挑まなくてはいけない、そういう思いが強かったため、チームワークを最重視したいと思いました。
そして、サービス拡張のために重視したのが、配信視聴データの利活用と地上波放送の同時配信の準備でした。
新しいTVerは、キャッチアップのためのサービスから脱却し、広告付き配信のマネタイズを本格的に進める会社です。そのために新体制を作ったのですから、これらの推進に必要なシステム改修が最初の課題になります。自社サービスの視聴データを使ってTVerの広告価値を高めていくこと、そして、NHKの同時配信戦略に対抗した民放の同時配信の準備、この2点を急ぎ進めないといけません。
といっても開発は時間がかかるものです。この時は1年後の2021年4月から7月ごろのローンチをめどに開発を進める前提で議論を開始しています。ところがこれがなかなか想定通りにいきません。結果として、今はリアルタイム配信と呼称している同時配信ができるようになるのはそれよりさらに1年遅れ、2022年の4月になったのは皆さんご存じの通りです。
さらに、セールス体制の構築もこの時の大きな課題でした。各局から集まった営業経験者たちが、これまでのセールスで培ってきた知見を活かしながら、「TVerアドプラットフォーム」を作り上げました。こちらのほうは、なんとか2020年の11月にトライアルセールスを始めることができました。その後も売上数字は着々と増え続けています。
そして、懸案の放送局とのビジネスモデルの調整も詰めに入ります。どのようなお金のやり取りにするか、放送局ごとに不公平がないよう、各局の意見を聞きながらの調整です。
この議論も時間を要し、年内いっぱい、さまざまな論点で調整をせざるを得ませんでした。法的な知識が乏しかったこともあり、各所にいろいろな知恵を頂きながらの作業となりました。ようやくルールが確定できたのは、2021年度の予算決定の間際でした。各局の代表者にも、常にTVerのグロースに前向きな姿勢で協力してもらい、なんとか一定のルールを確定させることができ、皆様に感謝したことを思い出します。
並行して、株式会社としての運営の課題にも取り組んでいました。新体制になってそれまでの40人規模の会社が70人規模に増えました。社員の数はそれでも全く足りないため、積極的に中途採用を行い、年度末には80人規模、現在は115人規模まで増員しています。
当初、TVerのサービスをどうするか、という視点でしかなかったために、運営のベースとなる人事などのコーポレート組織の重要性への理解が足りず、その整備が大変だったことが想定外で、新体制スタートに伴う年度予算の修正やそもそもの会計システムの改修に加えて、以前からの課題だった在阪局の増資作業も並行して進めることとなり、コーポレート関連業務も多忙を極めました。
新体制になって半年ほど経ち、会社が落ち着き始めた2021年1月頃、新体制としてのMISSIONを定めようという議論が始まりました。難しい成り立ちの会社だからこそ、全社員が一体となって進めるための指針が必要です。外部のコンサルタントにも相談して、全社員が参加して議論を進める方式を選びました。
この時に、さまざまな意見に触れることになります。一番堪えたのは、放送局のコンテンツを届けるサービスであることは認識しながら、社員の多くに「テレビ」という単語にネガティブな印象がある事で、テレビ局から出向しているメンバーさえも同様の意見だという事がわかりました。この時は、このような若手の考えを尊重したうえで「テレビ」との共存をどう進めるべきかという議論を進めました。
その結果できあがったMISSIONは「テレビを開放して、もっとワクワクする未来を ~TVerと新しい世界を、一緒に。」というものです。
ネガワードだった「テレビ」をあえて入れ込み、それを開け放してワクワクする未来を一緒に作っていこう、これまでのテレビの常識に囚われずに、ユーザーファーストのサービスを作っていこうというものです。
そして、同時にそのMISSIONを達成するためのベースとなるVALUEを「挑戦・仲間・プロ意識」に定めました。この3つの意識をもってMISSIONの達成を図る、一気に増えた全社員の共通言語を共有したいという思いです。この作成に至るプロセスは非常に有意義で、議論を重ねて意見を整えていったことは大きな財産だと思っています。
サービスの方の話に戻ります。この新体制になって、2020年度末までに月間のユーザー数をこれまでの2倍近い数字にまで持ち上げるという目標を掲げました。内々は達成困難な目標値だと思っていましたが、コロナの巣ごもりによる影響もあり、想定以上にサービスが拡大し、その高い目標を1月に達成することができました。
これ自体は喜ばしい事です。しかし、巣ごもり効果はほかの動画配信サービスも同様です。YouTubeとの差はさらに拡大しました。また、この時点ではマネタイズの目標は設定できず、まだまだスタートにも立っていない状況は変わっていません。目標設定のためには、多くのユーザーが定期的に利用するサービスにしないといけません。
そこで、2021年度の目標(22年3月時点の目標数値)は週間のユーザーを増やすことにして、2021年3月時点のWUB(週間のユーザー数)を1.5倍以上にする目標を設定しました。ここでも、新しいMISSIONができたことで、全社一丸で達成すべき高い目標設定ができるようになったと感じ、その効果は大きかったと考えています。
このように、スタート初年度は、様々な問題を抱えながらそれでも何とか離陸することができて、翌年度のID開発や同時配信を含めたリニューアルで一気に拡大させるという意識を持てた1年でした。しかし、そんなにうまくは行きません。2021年度は苦戦の1年になることになります。
2021年度 1年に2回のオリンピックとサービスリニューアル
2021年度に入りました。最初に取り掛かったのが、株主各社へのこの1年間の成果の説明です。
最初の1年目を振り返り、2年目をどうするか?在京5社の窓口となるメンバーにも相談し、年度目標を定めました。そして、在京5社の社長にアポイントを取り、その目標の説明を実施しました。
この4月にフジテレビの配信が個社のアプリ(FOD)に飛ばすのではなく、TVerで直接見ることができるようになりました。これは大きな成果で、ユーザビリティは格段に向上しました。サービス全体の評価も上がったと思います。
2021年度の最大課題は、前年にコロナ拡大によって実施されなかった東京オリンピックの対応です。さらに、2月には北京冬季五輪もあり、同一年度に2回のオリンピックという年になります。この2つのオリンピックの配信をトラブルなく運営すること、これは民放連から委託されている状況では最優先とせざるを得ません。
それに加え、秋にスタートを予定していた新システムの開発です。結果として遅延することになるのですが、春の時点ではここから新しいTVerが始まる年になるという気持ちで、同時配信への対応とサービスのリニューアルを無事スタートさせることがオリンピックの成功と合わせて、この年の大きな目標だと思っていました。
この後、新システム開発の遅延が発覚し、この1年のほとんどはその対応に追われることになりました。リニューアルの遅れはまだしも、民放の同時配信の遅れは、世間の注目もあり許されないような雰囲気でした。タイトなスケジュールの中、ぎりぎりの判断をしながら作業を進めていくしかなく、放送局とのコミュニケーションも非常に緊密な1年でした。
この時期にコロナ対応も一番厳しい時期が訪れます。新体制で一番つらかったのは、出勤がままならず社員の仲間とのコミュニケーションが取りにくかったことです。
業務に関しては、リモートでスムーズにできるようになり、働き方の変化にしっかり対応できましたが、業務以外のコミュニケーションが取れなかったことは大きかったと思います。
特に夏と冬のオリンピック時期は、オリンピック担当者以外は出勤を禁止し、コロナ対策を徹底するほどでした。このような対策も功を奏し、オリンピックに関しては、夏・冬の2回とも大きな問題を起こさず、安定した配信実績を残すことができました。コロナのへの厳重な対応も含め、ぎりぎりの体制で無事に運営してくれたことに、メンバーには心から感謝しています。
ゴールデンウイークも明ける頃になって、新たにログイン機能として搭載準備を進めていた「TVer ID」に関連するシステムの開発遅延が明らかになります。結果としてこのことが、同時配信を含めたリニューアル全体の遅延に結びつきます。
この頃ですでに1週間で1000万近いユーザーが使っているサービスです。広告スポンサーも増え、リニューアルでサービスが動かなくなるということは絶対避けなくてはなりません。今回はTVer IDの導入に始まり、地上波放送の同時配信(新たにリアルタイム配信という名称にしました)だけでなく、バックグラウンドの全面変更、アプリの開発ベンダー変更やそもそもの使い勝手の変更など、多岐にわたる開発を同時並行で行ったこともあり、様々なプレッシャーが開発チームに加わったと思います。
このようなプレッシャーの中、また、限られたリソースでの開発になっている中、開発メンバーは本当に必死に頑張ってくれました。しかし、想定外のことも多々発生し、結果としてはスケジュールコントロールが上手くいかず、残念ながら、この秋以降は、新システム開発の遅延対応に追われることになり、ユーザー・放送局・広告主・広告会社等すべてのステイクホルダーに迷惑をかけることとなりました。
動画市場で様々な新しいサービスが展開される中、ここからのTVerの拡大の可能性のポイントがTVer IDの有効活用とリアルタイム配信にあると思っていたので、それを確実にスタートさせるとともに、それらのサービスを跨った有効なIDの数を早く獲得していかないといけないはずでした。開発の遅延によりこういったサービスの成長施策が少しずつ遅れていってしまったことが非常に残念でした。
このように、リニューアルの遅延への対応など多忙を極めた1年だったのですが、その一方で、総務省からも注目され始めた年になりました。
放送のネット対応、個人情報の取り扱い、ローカル局対応など、様々な場面でTVerの名前が出るようになり、その対応も必要になってきました。存在感が増すことは嬉しいのですが、対応するリソースがなく、タイトな体制での作業が続きました。
この年度末には、総務省の実証事業を請け負った三菱総研とともに、ローカル局の配信の推進のために何をすべきか、という事を考えるための調査を行いました。ローカル局の配信事業をどう推進するか、これは直近の大きな課題だと感じています。
まずは、このような状況把握に始まり、どうすればTVerをローカル局にとっても有効なサービスにできるか、昨年度に実施した調査を受け、今年度にはその具体的な活動を始めようと考えています。2022年度はローカル局との共生のスタートになる1年になると思います。
さて、リニューアル対応を続けながら、2回のオリンピックや総務省の調査活動などを並行して進めた1年も終了しました。年度始めに目標として掲げた週間のユーザー獲得に関しては、下期からリアルタイム配信が始まることやそれに伴う大々的なプロモーションがずれたこともあり、残念ながら達成はできませんでした。
しかしながら、年初からは150%強の拡大に成功した非常に充実した1年だったといえます。営業活動に関しても、放送局のセールスも順調に拡大した上に、初めてTVerの営業部隊として1年間のセールスを実施した手ごたえも感じられる1年でした。あとは、本当にリニューアル・リアルタイム配信をスタートできるかという事にこの1年の成果がかかっているという状況になってきました。
そして、2022年4月1日、無事にリニューアルスタートが出来ました。その後、4月11日に民放5系列揃ってのリアルタイム配信がスタートしました。
この頃は出勤規制をしていた時期ではありましたが、開発に携わったメンバーのみが出社し、この日の19時前に、初めて民放5系列揃ってのリアルタイム配信のサービスを送り届けることができたときに、社内に自然と拍手が起こり、会社全体に何とも言えない一体感が広がりました。
放送ではなく、ネットで放送コンテンツと同じものを送り出す。ある意味歴史が変わる瞬間だとも言えます。開発遅延はあったものの、開発チームの必死の追い込みにより、なんとか予定日に新しいスタートが切れたことに心が震える思いでした。最後まで頑張ってくれた開発メンバーには心から感謝しています。
TVerのこれから
何とかリニューアルを実施しましたが、それでも一部のユーザーからは不評だというご意見も多くもらいました。これまで慣れ親しんでいた使い方を変えるのですから、反発があるとは思っていながらも、ネット上での非難は心が痛くなる思いでした。
自分でさえそうですから、実際にデザインや開発に携わったメンバーは本当に辛かったと思います。今は、ユーザーや放送局の修正要望には可能な限り応えるという方針でシステムの改修を進めています。もちろん、サービス改善にはゴールはありません。より使いやすい、より便利なサービスに向けて、日々改善の努力は続いていくことになります。
この4月にはリニューアルやリアルタイム配信に合わせて大々的なキャンペーンを実施しました。TVerというサービスが始まって以来、最大の規模です。
競合となる動画配信プラットフォーム各社がいろいろなキャンペーンを展開する中、TVerはこれまであまり大規模のキャンペーンを実施していませんでした。これも新体制になったからこそできることで、放送局からの許諾をもらう作業を経ずに予算を確保し、キャンペーンを実施することができました。
そして、放送局から見ると少し図々しかったかもしれませんが、「放送局と一緒に変わる」というメッセージを届けることにしました。この表現に関しては各所からいろいろな意見をもらい、反省する部分も多々ありましたが、大筋のコンセプトとしてはいい狙いだったと思っています。
現場のメンバー主導でこういうメッセージにたどり着くことができたのも、MISSIONを共有できたからだと思います。このように、単にリニューアルするだけでなく、この作業を通じてチームワークを固めることができれば最高だと思って進めました。もちろん、簡単なことではないと思いますが、全社の一体感も芽生え始め、少しは手ごたえを感じることができました。
そして、このような作業がようやく落ち着いてきた6月末に自分は社長を退任することとなりました。わずか2年でしたが、ここまでの説明のようにかなり実の詰まった2年でした。
しかし、サービスグロースをスピードアップさせる、ここまでの5年の成長をこの1年でもっと加速させるという最初の意気込みは、そこまで順調に行ったとは言えません。リニューアル開発の遅延、放送局とのルール作りや社内の土台整備など想像以上に困難な問題が次々と起こった2年でした。
何よりコロナの影響で働き方の変容を伴ったこと、これが大きな要因だったのかもしれません。第一歩を踏み出すことはできたのですが、第二歩目に向けて歩き出すところまではいけなかったのではないかと反省しています。
でも、そのような厳しい状況の中、社員やスタッフ、そしてTVerを支えてくれた放送局の窓口の皆様、さらには広告会社やシステムベンダーの皆様と一緒にTVerの拡大のために頑張ってこられたことは、本当に幸せでした。これも、これに携わった方々の努力のおかげです。協力いただいた皆様にはどれだけ感謝しても足りない思いです。
TVerでやりたいことは、制作者の強い思いが詰まってできた安心・安全な放送局由来のコンテンツを、放送波だけでなくインターネット上でも視聴者・ユーザーに送り届けようということです。
テレビを持たない若者が増えています。チューナーレステレビも発売されて、「テレビ」というハードの定義も揺らいできています。
そのような環境下でも、国内最大のコンテンツプロバイダーである放送局の使命は、優れたコンテンツを制作することであり、それを国民に送り届けることです。TVerは、それをネット上で展開するプラットフォーマーであり、サービス提供者としてもっともっと多くの人に使ってもらえるサービスに拡大させていきたいと思っています。
まだまだ過渡期で、やるべきことはたくさんあります。この6月からTVerは若生伸子新社長の元、これまで以上の拡大を目指して作業を進めていくことになります。自分も引き続き、お役に立つべく支援していく所存です。
「テレビの未来」を考える、まさにテレビの本業の課題解決の一つであることを、今、これを読んでいただいている放送関連の皆様にはぜひ理解していただき、自分だったらTVerをどうしたいか、どうできるかという事を考え、トライしてもらいたいと思います。
自分はこれからのTVerにもっともっと期待ができると信じています。読者の皆様、この稚拙な文章を読んでいただきありがとうございます。そして、TVerのこれまでをご理解いただき、さらにこれからのTVerに是非ご支援をいただきたく、よろしくお願いいたします。
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