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データからみえる今日の世相~信じる・信じないはあなた次第、ですが……~

【夏のお盆で帰省できないのは、いろいろな意味で残念なこと】

江利川 滋(TBS総合マーケティングラボ)

 いよいよ夏本番。久々に帰省や旅行で羽を伸ばそうと、お盆休みの計画を立てるべくカレンダーとにらめっこ。今年(2022年)は8月15日が月曜日なので、どういう風に休みを取るかが思案のしどころ……。

 というのは、コロナ禍も小康状態かと思われた梅雨頃の話。
 7月になって、政府の新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長曰く「感染拡大で第7波に入っている」(2022年7月12日、朝日新聞)とのことで、ガッカリ感もひとしお。
 お盆の辺りに休みは取りますが、帰省などは難しそうです。

 ところでなぜお盆に帰省するのでしょうか。本来の目的は先祖供養のお墓参りという仏教行事ですが、今では久しぶりに一族が夏のひとときに集まる口実、といったら言い過ぎでしょうか。

 お盆にお墓参りするかと思えば、年末にクリスマスを祝ったり、年明けに初詣でおみくじを引いたり……、といろいろな宗教行事をカジュアルに(節操なく?)生活に取り込んでいる人も多いはず。
 その上で「あなたが信仰する宗教は何ですか?」と問われれば「特にない」と回答する人も多いのでは?

宗教への信仰・関心は西高東低

 昨年10月実施のTBS総合嗜好調査によると、信仰または関心を持っている宗教が「ない」人の割合は東京地区で8割弱、阪神地区で7割弱でした。

 上の帯グラフは「あなたが信仰しているもの、または入信しないまでも関心を持っているもの」を尋ねた質問の集計結果です。
 質問では、仏教の各宗派や神道、キリスト教、新宗教(天理教、霊友会、立正佼成会、創価学会)など18の選択肢に「信仰したり、関心のある宗教はない」を加えて、あてはまるものをいくつでも選んでもらいました。

 元々は複数回答の質問ですが、グラフではそうした宗教が「ない」「1つある」「2つ以上ある」というように集計しました。
 それは、「1つある」人にはその宗教の信者が多く、「2つ以上ある」人は信仰というより興味関心が強いのではないかと考えたためです。

 改めて上の図を見ると、宗教への信仰・関心のない人が大半で、信仰・関心がある人では仏教の割合が多い傾向が東西で共通しています。

信仰があってもなくても、よりどころは「身近な人」

 信仰・関心のある宗教が「1つある」人と「ない」人では、何か違いがあるでしょうか。
 宗教といえば心の「よりどころ」ですが、TBS総合嗜好調査に「あなたのよりどころは何でしょうか?」という質問があるので、その比較を東京・阪神別にまとめてみたのが下の棒グラフです。

 東京も阪神も「1つある」人で選択率の高い「よりどころ」を比べると、順位は東西で差が多少ありますが、「こども」「夫または妻」「家庭」「友達」が共通してベスト4でした。
 これは信仰・関心のある宗教が「ない」人でもベスト4です。

 「よりどころ」質問の27個の選択肢には「宗教・信仰」もあります。
 信仰・関心のある宗教が「ない」人がほとんど選ばない(東京・阪神とも1%未満)のは当然としても、「1つある」人でも東京・阪神とも10%で、トップ10には入りませんでした。

 人々の生活や人生を支える「よりどころ」では、信仰・関心のある宗教の有無によらず、家族や友人の占める割合が大きいようです。

生活に満足だと宗教心は薄まっていく?

 いろいろな質問を長期間継続しているTBS総合嗜好調査ですが、宗教の質問も随分長く続いています。
 質問自体は1976年からありますが、「信仰したり、関心のある宗教はない」という選択肢が入ったのは94年からでした。

 94年から毎年の「信仰したり、関心のある宗教はない」選択率を追いかけてみると、下の折れ線グラフに示すように、生活満足度についての回答と関連した動きになっていることがわかりました。

 現在の自分の生活についての満足度を問う「生活満足度」質問では、「非常に満足している」「まあまあだ」「まだまだ不満だ」「とてもやりきれない」という4つの選択肢から、あてはまるものを1つ回答します。
 上のグラフではそうした回答を、肯定的回答(非常に満足+まあまあだ)と否定的回答(まだまだ不満+とてもやりきれない)にまとめて、時系列の推移を追いかけています。

 グラフからは「信仰・関心のある宗教はない」と生活満足度の肯定的回答が、ほぼ一緒に緩やかな右肩上がりで推移しているのが見てとれます。
 一方、生活満足度の否定的回答は、それらと合わせ鏡のように緩やかに減少傾向を見せています。

 90年代初頭のバブル崩壊以降、改善の実感が持てない日本の経済。しかし先行きがもっと不透明だからか、「今の生活ならまだマシ」と現状肯定する人の割合が高まって、緩やかに増加しているのかも知れません。
 そして、それにつれて「生活の不満・不安から逃れるために、救いを求めて信仰にすがる」という心境も薄まっているのかも知れません。

 お盆もクリスマスも初詣もイベントとして楽しむような日本人にとって、「信仰を持つこと」はさらに縁遠くなっているようです。

 そうした中、22年7月8日、奈良市の街頭で参議院選挙の応援演説をしていた安倍元首相が銃撃され、死亡するという事件がありました。
 犯行の動機については、親が宗教団体に多額の献金をして家庭が困窮した生い立ちの犯人が「家庭を壊した団体を国内に広めたのが安倍氏と思った」(22年7月17日、毎日新聞)と話しているそうです。

 日本国憲法第20条が信教の自由を保障している日本では、誰が何を信じても構いません。そして、宗教や信仰は、それを信じる人に救いを与えるもののはず。
 しかし、行き過ぎた信心が身近な人に大変な苦しみを与えてしまい、大切な「よりどころ」を奪われて孤立した人が惨事を引き起こすという、非常に不幸な事態が発生しているようです。

 ともすると「そういうのは自分とは関係ない」とか「関わると怖い」などと思いがちです。しかし「苦しんでいる人を放っておくべきではない」という思いは、どんな宗教でも、そして信仰がない人でも認めるはず。

 思えば、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻など、世界の先行きは不透明さを増す一方。そして、信仰や文化、民族の違いもそうですが、ジェンダーや人種、経済格差など、人々の立場の違いが目立ち始めている気がします。
 そうした違いで自分と他者とに線を引きながら分断を深めていった果てが、日本では77年前のあの戦争だったように思います。

 夏のお盆に一族で集まれば年長者にあの戦争の話を聞いて、今どうするかを考えるきっかけにもなったと思いますが、今年もコロナ禍で難しそうで、つくづく残念です。

<執筆者略歴>
江利川 滋(えりかわ・しげる)
1968年生。1996年TBS入社。
視聴率データ分析や生活者調査に長く従事。テレビ営業も経験しつつ、現在は総合マーケティングラボに在籍。

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chousa@tbs-mri.co.jp


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