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『お前はただの現在にすぎない』から半世紀~五輪とTBS・OBのメディア論

【新しいことに挑戦し続けたテレビの先達たち】

木原 毅(「放送人の会」理事)

東京五輪を見ながら

 東京五輪の開会式をテレビで観ながら、ある種の違和感を拭い去ることができなかった。開会式はテレビで生中継するイベントとして唯一無比のものであるはず。ところがである。北京大会以降の傾向といってもいいだろう、事前に準備された映像とのジョイントは果たして中継に値するスペクタクルなんだろうか。五輪閉幕の翌日に行われた甲子園のシンプルな開会式を観て一層その思いを強くした。
 この違和感は、テレビというメディアについて語られるときに感じるものに近い。メディア産業としてのテレビとテレビ番組そのものを同列に論じてもいいものなのか。装置産業の未来を語るのか、ソフト産業の未来を語るのか。額縁と絵画を一緒に評していいものなのか。(このあたりは、自分の中でもやもやしているが、携帯の通信料値下げに絡めて公共放送の受信料値下げをあたかも同列のように語る違和感にも等しいかもしれない)

【引き続き「先達たちの歩みと考察」に続く】

先達たちの歩みと考察

 半世紀前にこの違和感を一気に止揚しようとした先達がいた。萩元晴彦(1930-2001)、村木良彦(1935-2008)、今野勉(1936-)を中心に二十数名のTBS出身者・関係者によって設立された日本初の独立系制作会社テレビマンユニオンである。彼らがTBSを去るにあたってこだわったのが中継車を《退職金代わり》に譲ってもらうことだった。スマートフォンにネット環境があればどこからでも中継が可能ないま、このこだわりにはちょっと説明が必要だろう。今野勉の【テレビの青春】(NTT出版2009年/「調査情報」1999年から2007年の連載をまとめたもの)を開いてみよう。
 《当時、複数のビデオカメラを駆使してスィッチングで録画できるスタジオは、テレビ局にしかなかった。(中略)そのような状況で、プロダクションがテレビ番組を作ろうとすれば、テレビ局のスタジオを借りるか、テレビ中継車でテレビ局の外で作るしかなかった。テレビ局が自分のところのスタジオを外部に貸し出すことは不可能なことは当時としては当然だった》(P431)。はたして自前の中継車こそ手に入れることはできなかったが、彼らはスタジオを使わず、小型カメラを駆使するなど新しい手法で番組を生みだしていった。
 萩元、村木、今野の3人がTBS退社前に書いたテレビ論【お前はただの現在にすぎない ~テレビになにが可能か】(1969年刊、現在は朝日文庫に所収)の巻末に掲げられた《お前に捧げる18の言葉》はいまも示唆に富む。《テレビは時間である/テレビは現在である/テレビは液体である/テレビは生理である/テレビはケ(日常)である/テレビはドキュメンタリーである/テレビは大衆である/テレビはわが身のことである/テレビはジャズである/テレビは目で噛むチューインガムである/テレビは第5の壁である/テレビは窓である/テレビは正面である/テレビは対面である/テレビは参加である/テレビは装置である/テレビは機構である/テレビは非芸術・反権力である》。テレビというメディアが、装置と番組が不可分であり、そこに追及すべきひとつのテーマがあることを見抜いていたのだ。

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 TBSに残りながら彼らと並走しようとした一人に前川英樹(1941~)がいる。ドラマの演出者として《自分の限界を感じ》、HDTVやデジタル化の推進に転じて活躍した前川の【あの日鎌倉駅は雨の中にあった-私と私の時代とテレビジョン-】(2021年中央公論事業出版)のなかでテレビマンユニオンに行った仲間たちとの邂逅と、彼らとともに体験したムーブメントがかなりのボリュームで語られている。ある意味では企業内ジャーナリストを選んだ者としての、裏【お前はただの現在にすぎない】的なテレビ論でもあろうか。その前川は3.11後にJNN三陸臨時支局を訪問してこんな思いを投げかけている
 《テレビが形成する情報空間が圧倒的だった時代から、「誰もが情報提供者で表現者になることを可能にした」というネットによる情報空間が急速に拡張し、多様性・多層性という点でテレビよりはるかに柔軟なネットワークが成立している中で、こうしたテレビの情報システムはどれほどの有効性を持っているかということであり、それへの答えをテレビ自身が出さなければならない》(290ページ)
 なるほど、あらためて繰返すまでもなくテレビは時間であり、液体であり、装置であり、機構である。それぞれのメディア論を読みながらこんな感想を書いていると、開会式にぼくが抱いた違和感の実態が見えてきた。違和感はテレビのコンテンツとしてその《多様性・多層性》を生かしきれていないことにあった。
 大劇場で行われる豪華歌謡ショウ~オリジナルのフィルム映像をバックにスターが歌うような「実演」をTVで中継した番組以上のものではなかった。期せずして開会式の間、「これならマツケンサンバをやれ!」という声がSNS上で飛び交ったのもむべなるかなである。

<執筆者略歴>
木原 毅(きはら・たけし)
1955年生まれ、1978年TBS入社、テレビ営業を振り出しにラジオの制作・編成にたずさわる。
2000年より衛星メディアやインターネット関係の部署に従事。2015年退職。
現在は「放送人の会」理事

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