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データからみえる今日の世相~大谷翔平と日本人大リーガーたち

【シーズンMVPに選出された大谷翔平。これまでの日本人大リーガーの「
好感度」との差は?】

江利川 滋(TBS総合マーケティングラボ)

 2021年11月、アメリカ大リーグのエンゼルス大谷翔平選手がアメリカンリーグ今季最優秀選手(シーズンMVP)に選ばれました。
 大谷選手は今季、投手で約130投球回、156奪三振、打者では103得点、138安打、100打点と、史上初の5部門「100」超えなどでギネス世界記録に認定。とはいえ、一つひとつの記録は1位成績ではありませんでした。
 また「投手で二桁勝利、打者で二桁ホームラン」という、「野球の神様」ベーブ・ルースが1918年に達成して以来の大リーグ記録更新も期待されましたが、ホームランは46本ながら勝利試合が9つと一歩及ばず。
 しかし、記録以上にその存在、その振る舞いが評価されてのMVP。明るく真摯にプレイに打ち込み、投打二刀流で大活躍する姿に、暗いコロナ禍をしばし忘れる輝きを見た思いです。

 印象深い大谷選手の活躍ですが、これまでにもメジャーで活躍し、その時々に印象を残した日本人選手は数々あり。そうした先達との「好感度」対決では大谷選手の「記録」は如何に?

【引き続き「大谷選手、人気もメジャー級…か!?」に続く】

大谷翔平選手、人気もメジャー級…か!?

 TBSテレビが1975年から毎年実施のTBS総合嗜好調査では、「好感を持っているスポーツ選手」を調べています。野球、サッカー、ゴルフ、相撲など様々なスポーツの有名選手を数十人並べ、好感を持っている人を何人でも選んでもらうもので、その時々の日本人大リーガーも含まれています。

 次の図では、90年以降のデータ(最新は2020年)から「野茂英雄」「イチロー」「松井秀喜」「大谷翔平」の4選手の好感度推移をまとめてみました。点線は日本での活躍期、実線は大リーグ移籍後の期間を表します。

大リーグ移籍日本人選手の好感度推移

 まず、独特のトルネード投法で活躍した投手の野茂選手。90年に近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)入団、93年まで4年連続最多勝と最多奪三振を記録。好感度は2割前後で推移していましたが、94年後半に肩の故障で戦線離脱し好感度も低下。
 しかし翌95年、日本人で2番目の大リーガーとしてドジャースに入団。その年に236の最多奪三振記録と新人王を獲得し、好感度も51%と最高潮。
 その後、好感度はドジャースで活躍した96~97年が4割弱、98年6月メッツ移籍以後3割弱に。
 野茂選手の好感度データは03年までですが、08年まで所属球団を替えながら現役を続けました。

 野茂選手は大リーグ1年目の好感度が最高でしたが、抜群の打撃と守備で活躍したイチロー選手は、実は日本活躍期の好感度が最高でした。
 92年にオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)入団。好感度データは94年からですが、95年に最多安打・打点王・盗塁王・首位打者・最高出塁率の「打者五冠王」となり、チームのリーグ優勝に貢献。好感度も驚異の68%を記録しました。
 01年にマリナーズ入団、その年のシーズンMVP獲得以降、毎年200本以上の安打記録を重ね、好感度も5割前後で推移。
 09年、WBC日本代表として決勝戦でタイムリーヒットを放ち、日本優勝に貢献。好感度も58%と第2のピークを記録します。
 その後、12年にヤンキース、15年にマーリンズへ移籍、18年にマリナーズ復帰、19年の現役引退まで、5割前後の好感度を保ち続けました。

 松井選手は、ホームラン打者としての活躍が印象に残っています。高校時代から桁違いの打撃力に付いたニックネームが「ゴジラ松井」。
 93年に読売ジャイアンツ入団、95年から8年連続ベストナイン選出、98年・00年・02年にホームラン王・打点王・最高出塁率を記録。シーズン50本のホームランを打った02年は好感度も4割を超えました。
 翌03年にヤンキース入団。04年に31本のホームランを放ち、好感度はピークの46%を記録。大谷選手が今年46本のホームランを打つまで、日本人大リーガー最多記録でした。
 その後、相次ぐ故障などで苦しみつつ、10年以降、エンゼルス、アスレチックス、レイズと毎年所属球団を変更。その間、不調に伴って好感度も低下し、現役引退の12年は好感度が14%でした。

 そして大谷選手。高校時代からアメリカ大リーグ挑戦を意識しつつも、13年に北海道日本ハムファイターズ入団。二刀流を貫きつつ、15年に最多勝利・最優秀防御率・最高勝率の投手三冠を獲得。
 好感度のピークは今のところエンゼルス入団の18年で45%。残念ながら今年21年の好感度がMVP獲得でどこまで延びたかは現在集計中です。

 野茂選手がドジャースに入団した四半世紀前、日本のプロ野球選手が大リーグに挑戦することはほとんど考えられなかったと思います。
 その理由は諸説あるでしょうが、大リーグを意識せずとも当時の日本のプロ野球に十分人気があったことも一因かも知れません。

 例えば「テレビで見るもの」としての野球と「自分がすること」としての野球について、人々の意識・行動の推移を示した次の図をみてみます。

野球についてのデータ推移

 00年頃までプロ野球のテレビ中継は、世の半数の人々が楽しみにするキラーコンテンツでした。日本のプロ野球界の動向は、まさに世の中の一大関心事といっていい状況だったと思われます。
 それに比べてアメリカ大リーグの人気は、90年代前半まで1割にも満たず。そこに最初に火をつけたのが95年の野茂選手ドジャース入団で、前年(94年)4%だった人気が13%に急増しました。
 日本人の目が大リーグに向いたところで、01年のイチロー選手マリナーズ入団が第2段に点火、大リーグ人気は21%に急上昇。同時に日本のプロ野球人気は前年(00年)48%から40%に下落、00年代前半に続落します。

 ここ10年は「自分がするスポーツ」としての野球と大リーグの人気が1割弱、高校野球人気が約2割、プロ野球人気が約3割といったところです。
 今、かつてのように誰もがプロ野球選手に注目する時代ではありません。そして大リーガーになれる日本人選手は誰でも超一流ですが、イチロー選手のように長く実績と人気を保つのは難しく、野茂選手や松井選手をもってしても人気の下り坂は急でした。
 もちろん人気は後から付いてくるもの。大谷選手が明るく真摯にプレイに打ち込んだこの先に、どのような実績と人気の軌跡が描かれるか、非常に楽しみです。

<執筆者略歴>
江利川 滋(えりかわ・しげる)
1968年生。1996年TBS入社。視聴率データ分析や生活者調査に長く従事。テレビ営業も経験しつつ、現在は総合マーケティングラボに在籍。

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