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コロナ禍の「テレビのことば」

【コロナをめぐって飛び交う様々な『ことば』。収束?終息?副作用?副反応?テレビの言葉の番人が解説。】

内山研二(TBSテレビ審査部)

 私の職場は「審査部」です。番組やCMなどの表現について、民放連の放送基準をもとに問題がないかを確認し、問題があれば指摘するという部署です。何だか偉そうですが、職場の壁には張り紙があります。今年の干支のウシが餅をつくイラストとともに「現場といっしょに悩モ~ウ」と書かれています。この張り紙のセンスはともかく、日に何度か目にとまる「現場と一緒に悩む」ということばは、「審査部」の姿勢を表していると思っています。
 その審査部で、放送表現・放送用語の担当をしていると、「こうした表現は問題ないだろうか?」「このことばづかいは問題ないだろうか?」と、いろいろな番組のスタッフから相談を受け、その度にいろいろな「ことば」に出会います。そうした「ことば」の意味を調べるために、まず14冊(注1)の国語辞典を使っています。どの辞典も大抵は、一つの「ことば」について同じような内容を掲載していますが、微妙に説明が違っていることもあります。                                                                                              
 それは14人(14チーム?)の専門家の見解を聞くようなもので、「言葉の幅(=その言葉の意味・使い方をどこまで許容できるか)」を知るにはとても参考になります。しかし、それでも判断がつかないこともあります。すると、その「ことば」が新聞記事でどのように使われているかを検索して、使われ方を調べます。それでも判断がつかない場合は、独自にインターネットでアンケートをとるという「闘い」に発展することもあります。
 さて、日本国内で初めて新型コロナウイルスの感染が確認されたのは2020年1月15日だったそうで、以降、コロナ禍をめぐっていろいろな「ことば」に出会いました。今回はそんな「ことば」たちを紹介します。

「コロナ禍」と「コロナ下」

 まず、「コロナ禍」です。ご存じのように「禍」は「災い」という意味ですが、当初「コロナ禍」は、見慣れない、聞き慣れない「ことば」でした。その「コロナ禍」が馴染んできた頃、「コロナ下」を使った事例がありました。これに対して、「コロナ禍」ではないかという指摘がありました。確認してみると「コロナが感染拡大する状況のもと」という意味で使われていたことから、「コロナ下」という表現は誤りではないと判断しました。ただし、どちらもコロナ「か」と同じ発音なので紛らわしいことは間違いありません。

「終息」と「収束」

 新型コロナウイルスの感染拡大とともに、「この先どうなるのだろう」という話題は当然増えます。それとともに、視聴者からも局内からも「?」が増えていく「ことば」がありました。それが、「コロナの『しゅうそく』はいつ?」の「しゅうそく」でした。「終息」なの?「収束」なの?という疑問です。インタビューに応じた人が「コロナの『しゅうそく』には、かなりの時間がかかります」と言います。同じ発音ですから、このコメントの「しゅうそく」は「終息」なの?「収束」なの?と迷います。番組考査部のモニターからも「これは『収束』ではないか」「これは『終息』ではないか」と報告が続きます。審査部に「どっちなの?」という相談がくるのにも時間はかかりませんでした。
 その「しゅうそく」ですが、どの国語辞典も概ね「収束」は文字どおり「おさまりがつくこと」と掲載しています。用例としては「事態を収束する」のほか、「事件」「争議」「混乱」を挙げて「収束」を使っています。一方、「終息」は「すっかり終わりになる」「絶えること」と掲載し、用例としては「動乱が終息する」のほか、「悪疫」「インフレ」「戦乱」などを挙げて「終息」を使い、「よくない社会現象などのおわりをいうことが多い(例解新国語辞典・三省堂)」と掲載する辞典もあります。こうした辞典の掲載内容から、「収束=混乱や事態が収まる」「終息=病気の流行が絶える」と使い分けることができると判断し、2020年5月13日に「収束」と「終息」の違いについて「収束は感染拡大の事態が収まる意味」「終息は感染が終わった(流行が絶えた)意味」と説明した全社員に宛ての一斉メールをだしました。ということで、この問題に関していえば、一応「しゅうそく」しました。

「緊急事態宣言」と「非常事態宣言」 

 「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づいて総理大臣が宣言するのが、「緊急事態宣言」です。ところが、この「緊急事態宣言」を「非常事態宣言」と間違えることがあります。間違えやすいのはなぜなのか。まず、「緊急事態宣言」を受けて、独自の「非常事態宣言」を出す自治体があります。また、アメリカ、フランス、イタリアなどでは、政府によって「非常事態宣言」が出されています。さらに、コロナに限らず外国では治安維持のために「非常事態宣言」が出されます。このあたりが、「緊急」を「非常」と間違える背景なのではと推測します。どちらも、切迫した状況に変わりはありませんが、紛らわしいことも変わりはありません。

「副作用」と「副反応」

 不安の中の希望の光として「ワクチン」という「ことば」があります。「新型コロナウイルスのワクチンが開発された」という表現のあと、「ワクチンが承認された」や「ワクチンの接種が始まった」という表現が増えました。この頃から、「海外では接種した人がアナフィラキシーを起こした。ワクチンの副作用か」という表現を目にし、耳にするようになりました。そして間もなく、この「副作用」が「副反応」に変わりました。
 最初はこの「副反応」が馴染みませんでした。調べてみると、副作用は「薬物が病気を治療する作用以外に人体に及ぼす作用。有害なものが多い。(明鏡国語辞典・大修館書店)」、副反応は「ワクチンの接種を受けた後に生じる、接種部位の腫れや発赤・発熱・発疹などの症状をいう。(中略)ワクチンは生体の免疫反応を期待して接種するものであり、特に副反応という。(デジタル大辞泉・小学館)」と掲載されています。また、日本小児科学会の説明(注2)では、「ワクチンの場合には、(中略)医薬品による副作用とは分けて『副反応』という用語が主に用いられます」としています。「主に」と記しているのですから、「副作用」と「副反応」を厳格に使い分けているわけではないようで、医療関係者の話の中でも「ワクチンの副作用」という表現がときどき見受けられます。とはいえ、放送では正確に伝えるために「副作用=治療薬」、「副反応=ワクチン」という使い分けがよさそうです。

「変異種」と「変異株」

 生き物に感染したウイルスは増殖する(自ら遺伝子をコピーする)際に、「間違い」を起こす、それを「変異」というのだそうです。「ウイルスは『雑』なので、変異はよく起きる」という専門家の話を耳にし、「変異」と「雑」という意外な「ことばの結びつき」が印象に残っています。さて、「イギリスでコロナが変異」「アフリカでコロナが変異」というニュースが伝わったあたりから、「コロナの変異種」という表現を見かけるようになりました。違和感なく見聞きしていましたが、この場合の「変異種」は誤った使い方で、「変異株」が正しいことを知りました。実際、「変異種」は間もなく、「変異株」や「変異したウイルス」「変異ウイルス」といった表現になりました。
 日本感染症学会が2021年1月27日付で報道機関に向けて公開した文書「変異『種』の誤用について」(注3)があります。この文書は「種」と「株」について、わかりやすく説明しています。「変異」によって新しい性質をもったいわば「子孫」を「変異株」と呼び、この場合「新型コロナウイルス(COVID-19)」の名称は変わりません。一方、変異によってこれまでと違う「新しいウイルス」が誕生すると「変異種」と呼び、そのウイルスは「新型コロナウイルス(COVID-19)」とは別の、新しい名称がつけられます。今回の変異は「元来もっていた新型コロナウイルスの基本的特性はほとんど引き継がれている」ので「変異株」になり、「変異種」と呼ぶのは誤りとしています。
 さらにこの文書では、誤った知識は、些細なものであっても誤解を生じ、差別や偏見につながると指摘したうえで、科学的専門用語は、1文字の間違いでも、大きく意味が異なると注意喚起しています。コロナ禍では、感染した人、その家族や関係者、医師・看護師といった医療関係者の多くに差別的な言葉、態度が向けられています。「些細なものが誤解を生み、差別・偏見を助長する」という一行に、ことばの重さを感じます。

ウイルスを「殺す」?

 「コロナウイルスを殺すという表現はどうなのでしょう?」と相談されました。
まず、ウイルスとは何だろうと調べてみると、「病原体。生物と無生物の中間形(デジタル大辞泉・小学館)」「自己増殖能力がなく、動物・植物・細菌を宿主とし、その生合成経路を利用して増殖するものが多い(大辞林・三省堂)」「遺伝子をもち、他の生物に寄生して増殖するが、細胞を持たず代謝を行わないので、非生物とみなされる(三省堂現代新国語辞典)」などと説明されています。どうやら、ウイルスは生物ではなさそうです。
 では、生物とは何でしょう。今、紹介した辞書の説明に従えば「自己増殖能力がある」「細胞がある」「代謝を行う」といったことを備えていれば「生物」といえそうです。
 次に、「殺す」とは何だろうと調べてみると、「他人や生き物の生命を絶つ。命を取る。(デジタル大辞泉・小学館)」と説明があり、さらに「不活化」を調べてみると、「本来の働きを失わせる作用。特に、ウイルスなどの感染力や毒性を失わせることについていう(デジタル大辞泉・小学館)」と、ウイルスに特化した表現であることがわかります。こうしたことから「ウイルスは生物ではないから『殺す』ではなく『不活化』という表現を使う」と判断しました。
 折角なので、この「不活化」をもう少しわかりやすく言い換えられないかと探していると、厚生労働省のページ(注4)に「熱水でウイルスを死滅させることができます」という表現をみつけました。なるほど、「不活化は死滅と言い換えられるのか」と納得しました。ところが、この「死滅」の文字をみつめて、こんなことを考えます。ウイルスに「死」を使えるのなら、「生」も使えることになる→ウイルスは「生きている」→ウイルス=生物?と疑問符がつきます。「生物とは何か」「殺すとは何か」を言葉の意味から調べてみたものの、その言葉の意味を超えた向こうにある「生物と何か」「殺すとは何か」という問いの深淵を照らすほどの力量は私にはありませんでした。
 ちなみに「細菌」は、自ら分裂し繁殖する原核生物という「生物」ですので、「殺菌」と表現できるのですね。

おわりに

 コロナ禍と報道のあり方について、医療関係者から話を聴く場がありました。この関係者は、新型コロナウイルスに関する報道の限界の一つとして、メディア関係者の知識不足を挙げていました。知識不足によって安易に使われる「ことば(表現)」の危うさを指摘していました。その話に耳を傾けているうちに、2011年3月の東京電力・福島第一原発事故を思い出しました。「シーベルト」「ベクレル」「セシウム」「トリチウム」「アルファ線」「ガンマ線」などなど、初めて出会う多くの「ことば」を思い出しました。当時、こうした「ことば」を正確に使えたかどうか、その危うさも思い出しました。
 今回のコロナ禍でも、経験したことのない事態のもとで、十分な理解のないまま使う「ことば」の危うさを感じます。一方で、その経験したことのない事態を受けて、関係する「ことば」すべてを事前に十分理解しておくことは無理です。これからも、新しいコロナ禍の「ことば」たちが現れるでしょう。そうした「ことば」の相談に対して、どれだけ早く、正確に答えられるか。この作業は、コロナ禍の終息まで続きます。


<執筆者略歴>
内山 研二(うちやま・けんじ)
1963年生。1987年東京放送入社。ラジオニュース部に配属。ラジオ国会担当記者、ラジオ制作部、ラジオニュースデスク等を経て、2018年より審査部。


注1 
審査部で使用する国語辞典(14冊) ※執筆時点
広辞苑【第7版】/例解新国語辞典【第9版】(三省堂)/三省堂現代新国語辞典【第6版】/三省堂国語辞典【第7版】/旺文社国語辞典【第11版】/集英社国語辞典【第3版】/学研現代新国語辞典【改訂第6版】/デジタル大辞泉(小学館)/ベネッセ新修国語辞典【第2版】/新明解国語辞典【第8版】(三省堂)/岩波国語辞典【第8版新版】/新撰国語辞典【第9版】(小学館)/明鏡国語辞典【第3版】/大辞林【第四版】(三省堂)

注2 https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/VIS_04hukuhannou.yuugaijisyou.pdf

注3 https://www.kansensho.or.jp/modules/news/index.php?content_id=221

注4 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/syoudoku_00001.html