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戦地からのメッセージ 報道の先にあるモノ

【ジャーナリズムの大切な理念。それを追求するがあまりに、その先にあるものが見えづらくなることはないか。現場を歩いて記者が感じた、戦地報道の意味と違和感とは。】

須賀川 拓 (TBSテレビ中東支局長)

脳裏に焼き付いた景色

 とてもよく覚えている光景がある。

 2021年8月、昼過ぎの中東パレスチナ自治区・ガザ。地中海からの湿った空気と、大陸側からの乾いた空気が交じり合う海岸近くの墓地を歩くと、舞い上がった砂埃が噴き出る汗にまとわりついてくる。擦り切れたスニーカーの薄い靴底を通して、砂の熱が容赦なく伝わってくる。こんな時間帯に墓地を訪れる人は稀だ。

 ムハンマド・アルハディディは、滴る汗をぬぐいもせずに息子4人と妻の墓を見つめていた。5分ほどだろうか。祈りの言葉をかけたあと、彼は静かに墓石に触れた。

ガザの墓地に眠る家族に別れを告げるアルハディディ
2021年8月撮影

 「さようなら、さようなら」

 二回別れを告げたあと、アルハディディは名残惜しそうに墓地を後にした。彼と初めて出会ったのはこの3か月前、墓地に眠る4人の息子と妻がイスラエル軍による空爆で死亡した直後のことだった。傷をえぐるような私たちの取材に対し、彼は本当に丁寧に接してくれた。しかしこの墓地を訪問した後、連絡が取れなくなった。

 「メディアは都合の良いときにだけ私に話を聞きに来ます。でもどれだけ話しても、私の生活は一向に良くならない。空爆で生き残った私のただ一人の息子オマルには、海外で生活してほしいと思っている。でもそれを実現してくれる人は一人も現れない。今後、あなたと連絡を取ることはないでしょう」

ガザの墓地で取材に応じるアルハディディ
2021年8月撮影

 携帯に入った、彼からのメッセージ。封鎖されたガザの厳しい現実を突きつけられた私は、今後ジャーナリストとして彼の言葉を世界に伝えることはできても、物理的に彼の生活を助けることは難しい、と苦しい言い訳をした。そして最後に、「またガザに行ったら会ってくれますか」と加えて返信した。

 「تمام(タマム)」

 アラビア語でOK、という短い返信が来た。それ以降、彼にどんなメッセージを送っても返信はない。

 一方、3年前に私がイラク北部・クルド人自治区エルビル近郊で出会った、難民キャンプに住む家族は別だ。母のナジャは、自慢の娘ソリーンの写真や動画を定期的に送ってくる。去年の12月には、難民キャンプに設置された学校で科学のテストがあり、あまり良い点じゃなかったと落胆したメールを送ってきた。

 エルビルの冬は、ウクライナやアフガニスタンほど過酷ではないとはいえ、真冬は氷点下まで冷え込む。寒さから守ってくれるのは、テントの薄いキャンバス生地だけだ。そんな過酷な状況でも、彼女たちは雪に埋もれた難民キャンプで笑顔の写真を撮り、メッセージアプリを通じて私に送ってくる。

イラク・クルド人自治区エルビル近くの難民キャンプで弟と遊ぶ様子 
写真右ソリーンが2022年冬に送ってきた

 ナジャの夫は、自宅を守ると言って難民キャンプに入ることを拒んだが、家族が避難したあと村がトルコ軍に空爆された。夫とは数か月前から連絡が取れていない。それでもナジャは、彼はいまも自宅を守っているはずだと、薄暗いテントの中で話してくれた。こうした紛争地や係争地の取材で出会ってきた人たちには、ある共通した思いがある。

難民キャンプにあるテントの中で取材に応じる母ナジャ
2019年11月撮影

ニュースの賞味期限は短い

 指導者たちの“正義”のぶつかり合いによって起こる戦争は、発生した時こそ注目されるが、時が経つとともに少しずつ忘れられていく。現地に住む人たちは、残酷なまでにその現実を知っている。彼らの願いはシンプルだ。

 「私たちのことを忘れないで」

 だからこそアルハディディは、自ら命を絶ってもおかしくないほどの絶望にさらされながらも、一度は口を開いてくれた。ナジャ一家も、物理的に救ってもらえる可能性は極めて低いと分かっていながらも、記者である私と3年もの間コンタクトを絶やさないでいてくれている。

 一方で、これまでマイクを向けなかった人たち、カメラに収めなかった人たちの中にはアルハディディやナジャと同等か、それ以上の深い傷を負っている人も沢山いる。そうした思いや声を全て拾うことはできない。それが現実だ。

 私たちは、「ニュースバリュー」があるかどうかで難民や被害者の中から誰かを「選択」し、物語を伝えているのだ。多くの犠牲のうえに成り立つニュースを、より多くの人に見聞きして欲しい。そう思っていても、伝えるという意味では状況は厳しい。紛争地の人々が振り絞った声が、極めて賞味期限の短いニュースとして消費されてしまっているからだ。

カブールの病院に入院する急性栄養失調を患ったサイードちゃん(4)2021年11月撮影。私たちが「選択」した20年の戦争の“被害者”の一人だ。アフガニスタンの冬は過酷だ。局地的に-30℃を下回ることもあり、病院は暖房をつける燃料もなく、子供たちは日々命を落としている。

アルゴリズムの“毒性”

 多くの人にとって、いまやSNSは情報収集するうえで欠かせないツールになっている。さらに、自らの主張を手軽に世の中に伝えられるこのツールによって、メディアの専売特許だった「発信する行為」は民主化された。端的に言って、素晴らしいことだと私は思っている。

 一方で弊害は極めて多く、情報の受け取り手は試されている。弊害の最たる例がアルゴリズムだ。アルゴリズムは人間の欲の放物線を予想し、終着点に先回りして私たちが望むであろうモノを提示する。将来的には、出勤の際にコーヒーを飲みたいと思う前に、駅前にある喫茶店の割引クーポンがスマホに届くようになるだろう。これを情報に置き換えると、どうなるだろうか。自ら具体的に欲していなくても、党派性、イデオロギー、様々な個人的な嗜好に合わせ、望む前に「好きそうな」情報が届けられることになる。

 ロシアによる軍事侵攻をウォッチしていると、戦争をめぐる情報は真偽のほどが分からないものが入り乱れている。自分がどれほど中立な視点を持とうとしても、スマホの画面をタッチする親指のクリック数、ページをめくるのにかかった時間、SNSフィードのスクロールを止めたページ、そのページの画像を拡大したのか、しなかったのか、あらゆるデータが吸い上げられ分析され、本能的に見たいと判断されたモノばかりがアルゴリズムによって選別されていく。

 たった一度でも、ロシア寄りフェイクニュースサイトを訪れ画像を表示させることで、自分に届く情報に偏りが生じる可能性があるわけだ。もちろんこれは、ウクライナ寄りの情報でも同じことが言える。

 アルゴリズムによって拡散した現地の凄惨な動画や画像は、極めて強い“毒性”を帯びる。そうした情報に触れた人は、時と場合によっては背後に隠された政治的意図を認識する前に感情を揺さぶられてしまい、「ロシアが国として無くならない限りこの戦争は終わらない」「ウクライナはロシアの属国となる以外終結の方法はない」といったような極端な理論に到達してしまう。もしかしたら外交的な解決方法があるかもしれないし、対話の余地があるかもしれない中、平和よりも正義が優先されてしまう現象が起きている。

 正義を追求することになんら異論はないが、それは極めて主観的なものだという認識がどこまであるだろうか。対峙している双方にはそれぞれが信じている正義がある、ということにまで目が向けられなくなってしまう可能性もある。

 その結果何が起きるか。対峙している指導者たちの足元で一般市民が命を奪われている、ということへの意識が薄くなるのだ。いまでこそ、プーチン大統領自ら外交的な解決に向けた道を閉ざし、戦争終結に向けてはお互い一歩も引けない状態になってしまったが、早い段階からロシア=100%悪とレッテルを貼るのではなく、ロシアによって動員された少数民族の声やロシア国内の反戦デモの情報がもう少し広がっていれば、何かが変わっていたかもしれない。

 何を言いたいかというと、アルゴリズムで世論が極端に分断されたことで、冒頭でも述べたアルハディディやナジャのような人達の声が届きづらくなり、仮に届いたとしても、洪水のように流れてくるフェイクを含めた様々な情報によって、人々の頭の中が次々とアップデートされてしまうという現象が起きているということだ。

ニュースへの信頼性

 いま、メディアへの不信が、これまで以上に膨れ上がっていることも忘れてはいけない。「切り取り」と批判され、時には「マスゴミ」と揶揄され、多くの視聴者は大手メディアが流すニュースに対して一定の距離感を持つようになった。

 一方で情報ソースが不透明でも、自分の嗜好にあった情報には真偽のほどが定かでなくても飛びついてしまう。大手メディアが深く掘り下げたニュースであっても、例えば見出しや発信元メディアのイデオロギーだけで短絡的に記事のクオリティが判断されてしまうこともある。

 一方、読者・視聴者のこうした傾向をプラスに考えることもできる。ニュースといえば、これまで偉そうだった。まるで幕の内弁当のように綺麗にオカズを並べた(企画化した)ものをこちらが売り(発信し)、それを視聴者に買ってもらう(見てもらう)という一方通行だった。読者・視聴者の目が厳しくなったことで、幕の内弁当をただ売るだけではなく、弁当箱の中にあるオカズ(エピソード)一つひとつの出元や作り方まで開示する必要が出てきている。

アフガン出発前に防弾チョッキの確認をする様子:映画「戦場記者」より

 だからこそ、私は取材の過程を見せるように心がけている。戦地に赴くとき、どんな安全対策を心掛けているのか。どんな装備を用意し、どのようにして情報を集めているのか。検問を抜けるときに見せる書類はどんなものなのか、インタビューで過激な言葉が出た前後の会話の流れはどういったものだったのか。特に映像や現象が激しい戦地での取材では、できるだけその現場に至るまでの道中だったり、被害現場の周りを見せる。空爆に遭った建物だけでなく、無傷の建物を見せることで日常が奪われることの恐ろしさを伝える。

アフガンで取材中、タリバン戦闘員に取材許可証を求められたときの様子
2021年11月撮影

 戦争はジワリと忍び寄る、なんて言われるが、現場は必ずしもそうではない。昨日まで買い物していた薬局に突然クラスター弾が撃ち込まれ、観光地のホテルにロケット弾が撃ち込まれる。銃弾が、ミサイルが、砲弾が撃ち込まれるその瞬間まで、人々は日常を生きている。撃ち込まれた後も、必死に日常を生きようとする人もいる。でもそうした人々の声や表情は、SNSに拡散される過激な動画や写真によって埋もれていってしまう。

ウクライナで住宅街に撃ち込まれたクラスター弾をレポート
2021年5月撮影

ニュースの先にあるモノ

 現地の人たちの声が埋もれないように私たちが出来ることは、伝え続けることだ。ただ、それはあくまでも手段であり、伝えた先にある目標は将来起きる可能のある紛争・戦争を一つでも回避し、被害者や難民を一人でも少なくすることであると私は思っている。少なくとも私の目標はそこだ。

 だからこそ、手段は柔軟でないといけないと感じている。報道は権力の監視を担っていて民主主義の根幹だ、といった言葉もある。しかし、自分には報道の矜持を語り、大上段に構えるような資格はないと思っている。

 誤解を恐れずにいうと、Z世代やα世代という新たな感性を持った世代が増えていくにつれ、旧態依然の報道は自己満足に近いものと捉えられてしまうのではないかと危惧している。だからこそ、これまで通りの堅実な報道は残しつつも、ニュースの先にあるモノが本当に見えていたら伝え方はもっと多様になっても良いはずだ。

 怖いもの見たさでもいい、興味本位でもいい。まずは見てもらうこと、知ってもらうことを優先するべきだと思っている。ネット上にあふれるアルゴリズムに踊らされた誤情報に対抗できるのなら、エンターテイメント要素をもっとニュースに混ぜてもいい。アルハディディのような、ナジャのような戦地の悲痛な声を届けることができるのなら。

2019年11月取材時に撮影したソリーンと親戚の子供たちは、2023年1月現在もこのテントに住んでいる。

<執筆者略歴>
須賀川 拓(すかがわ・ひろし)
1983年生。幼少期をオーストラリアやアメリカで過ごし、大学は日本へ。2006年TBS入社後、スポーツ局配属を経て報道局へ。2019年より現職。紛争地や係争地の生の声を伝えることをテーマに取材を続けていて、地上波ニュースだけでなく、バラエティ番組やYouTube、ドキュメンタリー映画制作など幅広い発信方法を試みている。最新作のKADOKAWA配給「戦場記者」は全国で順次公開中。

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chousa@tbs-mri.co.jp


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