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これからの脱GDP

【社会の繁栄の指標として用いられているGDP。しかし本当の豊かさはGDPで測れるだろうか。GDPに代わる指標や考え方は】

斎藤 幸平(東京大学大学院准教授)


GDPに対する以前からの批判

 2023年中には、日本の国内総生産(GDP)がドイツにも抜かれ、ついに4位に転落してしまうと言われている。そしてこのことについて、日本がもはや先進国ではないことの証として、SNSでは多くの人が嘆いている。たしかに、私たちは、国内で産み出された物やサービスの付加価値の合計を表すGDPで国の発展や停滞を議論するのに慣れきっている。けれども、GDPで私たちはどこまで一喜一憂すべきなのだろうか。

 GDPに対する批判は昔からある。元アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディは1968年にカンザス大学で行った講演のなかで、GNP(国民総生産)について、次のように述べている。

 「私たちはもうずっと前から、個人の優秀さや共同体の価値を、単なるモノの量で測るようになってしまった。・・・しかし、GNPには、大気汚染や、たばこの広告や、交通事故で出動する救急車も含まれている。GNPには、ナパーム弾や核弾頭、街でおきた暴動を鎮圧するための武装した警察車両も含まれている。GNPには、玄関の特殊な鍵、囚人をかこう牢屋、森林破壊、都市の無秩序な拡大による大自然の喪失も含まれている。GNPには、ライフルやナイフ、子どもにおもちゃを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれている。一方、GNPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。GNPには、詩の美しさや夫婦の絆の強さ、公の議論の知性や、公務員の高潔さは入っていない。GNPには、私たちの機転や勇気も、知恵や学びも、思いやりや国への献身も、入っていない。つまり、GNPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。」

 さらに遡れば、アメリカ政府の依頼にしたがって、GNPを設計した経済学者であるサイモン・クズネッツ自身も、戦争や広告のような本来の意味での経済活動とは無縁なものについては、GNPから除外するように求めていた。

 「ほんとうに価値のある国民所得計算とは、強欲な...軍事費や大部分の広告費、それに金融や投機に関する出費の大半は現在の金額から差し引かれるべきであり、また何よりも、我々の高度な経済に内在するというべき不便を解消するためのコストが差し引かれなくてはならない...」

 軍事は破壊を生み出すだけであり、広告や投機にかかる費用などは有用なものを生み出すための経済活動ではないからである。だが、クズネッツの警告にもかかわらず、アメリカが経済恐慌から回復し、世界一の経済大国であることの証としてGNPが用いられようとしていたため、アメリカ経済にとって中心的な役割を果たす軍事や広告がGNPにカウントされることは必然的な成り行きであった。

再び問題視されるGDP

 もちろん、社会の進歩と経済成長には、ある程度までは相関があるので、GDPが無用なわけではない。ところが、基本的なニーズが満たされるようになる一定の点を超えると、両者の関係はそこまで自明ではなくなっていく。

 それゆえ、近年になって、再びGDPが問題視されるようになっているのは驚くべきことではない。広がり続ける経済格差は、GDPによって測ることができない。さらには、地球環境の保全は、GDPで測ることができないからこそ、現在の気候危機は極めて深刻な状況になっている。ここには、豊かな自然や人々の幸福をGDPは測ることができないことの限界が現れている。

 それゆえ、ノーベル経済学賞の受賞者ジョセフ・E・スティグリッツもGDPを批判している。例えば、サルコジ前仏大統領が招集した「経済業績と社会進歩を計測する委員会」で、座長を務めたスティグリッツは、報告書で、12項目の提言をおこなっている。そのなかでは、幸福度や市場取引がないものを考慮することを重視し、格差や健康、政治参加、また持続可能性についても検討することを提唱したのである。

GDPに代わる指標

 こうしたGDPに対する批判に応える形で、人間開発指数(HDI)や真の進捗指標(GPI)といった代替指標も提案され、実際の計測も行われるようになっている。それゆえ、GDPになぜこれからも頼り続けなければいけないかは、もはや決して自明ではない。
 例えば、国連が発表している、PHDIと呼ばれるランキングを見てみよう。

 <PHDIランキング>
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_planetary_pressures%E2%80%93adjusted_Human_Development_Index

 HDIは、平均余命、教育、識字及び所得指数の複合統計である。だが、もちろん、人間の発展は、しばしばより多くの資源やエネルギーの利用を伴う。それゆえ、HDIだけでは、持続可能な社会かどうかの判定を行うことはできない。そこで、「プラネタリー・バウンダリー」と呼ばれる九つの地球環境の限界についても考慮して、二酸化炭素排出量と資源使用量(マテリアル・フットプリント)を加味した新しい指標が、このPHDIなのである。

 一目瞭然のように、世界最大の経済大国であるアメリカは、ランキングを大きく落としている(61位)。例えば、アメリカの平均寿命は、日本や韓国と比較しても六歳ほど短い。またアメリカは二酸化炭素の排出量も世界2位で、減点対象だ。もちろん、アメリカがこのようなランキングを採用することはないだろう。

 一方、上位に来るのは、イギリスに加えて、デンマークやスウェーデンのような北欧諸国である。社会的平等に重きを置いた福祉政策ならびに環境への配慮が、こうした国々の順位を大きく上げることになるのだ。

 ただし、PHDIも完璧な指標ではなく、他にもさまざまな測り方があるため、議論も巻き起こっている。とはいえ、こうした別の指標を参照することで、私たちは、GDPを社会の繁栄の指標として使い続けることの限界に気がつくことができるだろう。

「脱成長」という考え方

 そのような新しい視点に立つなかで、近年世界的に注目を集めているのが「脱成長」という考え方である。脱成長が掲げるのは、次の二つの点である。第一に、GDPを社会の繁栄の指標として使うことをやめること。第二に、社会の維持にとって不必要なものの生産をやめ、必要な(エッセンシャル)財やサービスの生産を重視すること。

 たとえば、プライベートジェット、クルーズ船、個人所有のヨットといった超富裕層の社会的地位を象徴するためだけの「不要な」財が、環境破壊をすることに対して規制をかけることは正当化されると脱成長は考える。あるいは、そのような浪費的な消費を可能にしている富の一極集中を是正するために、今よりもずっと累進的な課税制度を導入したり、場合によっては、最大年収を定めるなどの措置を提唱している。

 また、技術革新だけで、経済成長を持続可能なものにすることができるという考え方を脱成長は退ける。もちろん、再生可能エネルギーや電気自動車のような二酸化炭素を排出しない技術を最大限に用いることは必要である。とはいえ、そのような新技術も資源やエネルギーを用いることになる。

 GDPを増やすことが優先されるのであれば、より大きな自動車がより大量に製造され続けるだろう。その結果、新技術の導入にもかかわらず、資源やエネルギーの使用量は十分に減らず、脱炭素化の達成が困難になる。それに加えて、グローバルサウスを中心とする地域からの資源や土地の収奪が深刻な問題となるだろう。

 また、持続可能な経済成長を優先する開発は、一部の企業による独占を加速させ、今後ますます経済格差を拡大し、人々を競争に駆り立て、不安定雇用や長時間労働といった問題を拡大する可能性がある。あるいは、再分配による経済的平等、ジェンダー平等や人種差別の撤廃など、本来は技術革新なしに即座に実行できる措置が軽視され、公正な社会の実現がむしろ遠のくという結果になりかねない。

 要するに、GDPから離れて、経済成長によって十分に考慮されていない諸側面を考慮し始めると、社会の「発展」という問題は極めて多様な要素の絡み合いであることが判明する。GDPのわかりやすさがもつ魅力は、この複雑さを捨象し、すべてを一元的な経済的価値に換算し、その増大だけに集中することによっているのだ。

 その意味では、GDPを相対化することこそが、これまで周辺化されてきた問題への解決に取り組むための前提条件なのである。GDP増大を目標としなくなることで、環境問題解決の余地が広がるのみならず、これまでのグローバルサウスからの搾取や収奪を是正するための道も初めて開かれるだろう。

 現在の社会には、貧困や格差といったさまざまな不正義や不平等の問題がある。だが、それらは必ずしも、十分な生産が行われていないからではない。すでに私たちの社会には万人の基本的なニーズを満たすためだけの技術やリソースが存在しているにもかかわらず、それらが一部の人の手に集中していたり、さらには、基本的なニーズを極端に超えて、終わりなき経済成長を求めるためだけに利用されていることが問題なのだ。それゆえ、これからの未来をより良いものにしていくためには、脱GDP=脱成長がもたらす平等や持続可能性への視点こそが求められているのである。

<執筆者略歴>
斎藤 幸平(さいとう・こうへい)
1987年生。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は経済思想・社会思想。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』によって、ドイッチャー記念賞を歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)はベストセラーとなり、新書大賞2021を受賞。近著に『コモンの「自治」論』(共著・集英社)。

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