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テレビと「言葉」~「コンセントを抜く」は正しいか
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テレビと「言葉」~「コンセントを抜く」は正しいか

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【正確さが要求されるテレビでの「言葉」。「盛り<下がる>」に違和感あり?温泉は「硫黄のにおい」で合っている?】

内山 研二(TBSテレビ審査部)

放送で使われた印象深い表現いろいろ

 私の職場は「審査部」です。番組やCMなどの表現について、民放連の放送基準をもとに問題がないかを確認し、どのような表現がより良いかを探ります。その「審査部」で、放送表現と放送用語を担当しています。

 番組のスタッフなどから「この表現に問題はないだろうか」「この用語の使い方は合っているだろうか」といった相談を受けます。その場で回答できるものもあれば、調べたうえで回答することもあります。相談の多くは、「正しい」「誤り」と単純に判断がつかず、「その表現の幅(許容範囲)はどこにあるのだろうか」を模索することのほうが多くあります。

 今回は、そんな相談で登場した表現・言葉の中から、印象深かったものをいくつかご紹介しましょう。

それは「抜かない」ほうがよいと思います。

 ここで取り上げる表現は、ときどき耳にしますし、私もかつて使っていた記憶があります。この表現を話題にすると「自分も使うけれど、言われると確かにそうだ」という声をききます。それが「コンセントを抜く」です。

 「『コンセントを抜く』は問題ないか」と相談を受けました。「コンセント」は壁などに設置された電気の差し込み口です。その「コンセント」から抜くものは「プラグ」なので、「コンセントからプラグを抜く」が正確な表現です。

 「コンセントを抜く」では、壁面からコンセントを外すという大ごとになってしまいます。リフォームする時ならまだしも、日常的にコンセントは抜かないほうがよいと思います。こうしたことから、「コンセントを抜く」は誤りとしています。

 とはいえ、表現が省略されることはよくあります。そこで、「コンセントを抜く」は「コンセントからプラグを抜く」の省略表現として許容できないかと考えました。

 しかし、「コンセントからプラグを抜く」で省略できる部分は「プラグを」になりますから、省略表現は「コンセントから抜く」です。「コンセントを抜く」は「からプラグ」を省いた表現と解釈するのは無理があります。

 ところで、TBSが2018年9月に、首都圏1,000人を対象に実施したインターネットでのアンケート結果によりますと、「コンセントにさす」を使うと答えた人は63.4%、「コンセントをさす」は30.6%という結果で、3人に1人が「コンセントをさす」を使っていました。

 「コンセントにさす(挿す)」は「コンセントにプラグをさす」の省略表現です。「コンセントにさす」がある程度使われていることが、「コンセント『を』挿す」につながったのではないか。そして、「を挿す」の逆の動作である「を抜く」が現れたのではないかと想像しています。

 今は誤りとしていますが、いずれ「コンセントを抜く」も許容される日がくるのかも知れません。

友達、知り合い、仲間ではないけれど広く使われています。

 同窓会などで、かつてのクラスメートに会います。クラスメートを言い換えると「同級生」があります。同じ学級の学生・生徒・児童ですから「同級生」になるのですが、別の学校に通い、お互い知り合いでもないのに、同じ学年であれば「同級生」が使われていることを知りました。

 調べた14冊の国語辞典すべてが、「同級生」の項の最初に「同じ学級の生徒」という意味を掲載しています。「同学年、同期生の意で使うのは、本来誤り」とする辞典(明鏡国語辞典・第2版・大修館書店)もあります。

 しかし、次いで多くの辞典が「同学年」を掲載していました。さらに、周囲に話をきくと「同学年」の意味で「同級生」を使っている人が多くいることがわかりました。

 辞典の掲載内容から、「同学年」の意味で「同級生」を使うことを誤りとはできません。しかし、違和感を与える可能性があるので、「用語ガイドライン」では「同級生」について次のように記しました。

 「同じ学級(クラス)の生徒(児童・学生)という意味(=クラスメート)が基本です。同じ学年という意味でも使われますが、『同(じ)学年』『同期生』『同い年』と言い換えられる場合は、言い換えたほうが違和感なく伝わります。また、別の教育機関の生徒(児童・学生)に「同級生」を使うと違和感が強まります。人間関係を正確に表現する場合は、十分な検討が必要です」

 「玉虫色の表記」と言われてしまえば、それまでです。

変なのですが、「勢いは高まって」います。

 何度耳にしても、違和感のある表現はあります。この表現も肯定的に扱っていませんが、複数の国語辞典に掲載されていました。「盛り下がる」です。

 「盛る」のですから「下がる」はずはありません。「盛り上がる」のであればわかります。「盛ったように高くなる」「物事の勢いが高まってくる」(どちらも「大辞林4.0」三省堂)といった意味です。

 ところが、「盛り下がる」についても、「盛り上がる」から派生した語として、「俗に、勢いや気持ちなどが、萎えてしまうこと」(大辞林4.0・三省堂)、「俗に、気持ちや勢いが削がれる。その場の雰囲気が重くなる」(デジタル大辞泉・小学館)、「ふんいきがすっかりしらける」(三省堂国語辞典8版)と掲載する国語辞典があります。

 「盛り上がる」を知ったうえでの表現という位置づけなのでしょう。違和感のある表現ではありますが、こうして掲載する辞典が今後増えてゆくのであれば、「盛り下がる」は「勢いが高まっている表現(盛り上がっている表現)」になるのでしょう。

 ここまで強い違和感はないのですが、最近よく耳にする「自分事(じぶんごと)」も気になります。

 「他人事」に対する表現なのでしょうが、「他人事」は本来「ひとごと」と読み、「ひと」に対するのは「我(われ)」でしょうから、「他人事」に対するのは「我が事(わがこと)」のほうがしっくりします。

 ところが、「たにんごと」と読むことが多くなり、「他人(たにん)」に対するのは「自分」なので、「自分事」も多く使われるようになったのだろうと想像します。「たにんごと」の勢いが高まっているのですから「じぶんごと」も盛り上がって不思議はありません。

正確ではありますが、「風情」はありません。

 「温泉」に関する表現です。「日本温泉総合研究所」によりますと、温泉地(宿泊施設のある場所)は2018年3月末現在、全国に2,983カ所もあるのだそうです。数がそれだけあれば、温泉地、温泉場を紹介する番組(企画)をよく目にするのも当たり前です。

 さて、その温泉地、温泉場の多くで共通するものがあります。あの独特の「におい」です。あの「におい」が漂ってくると、「温泉だ」と気分が和みます。

 ところで、あの「におい」は長く「硫黄(いおう)のにおい」と表現されています。しかし、純粋な硫黄には「におい」がありません。あの「におい」は、硫黄と水素が結びついた「硫化水素のにおい」なのだそうです。

 とすれば、温泉場に漂うあの「におい」を正確に表現するのであれば「このあたり一帯は、硫化水素のにおいでいっぱいです」といった表現になります。しかし、これでは気分は和らぎませんし、風情もありません。

 こうしたことから「硫黄のにおい」について相談を受けると、「広く使われているので許容範囲ですが、正確さを求められる場合は『温泉場独特のにおい』などの言い換えも検討してください」と答えています。

 「硫黄のにおい」は、温泉場に長く染みついているので、正確であっても「硫化水素のにおい」は馴染みにくいのが実際です。

話を元に戻します。

 話をするときに退屈させないよう、話題を脇にそらせて面白くすることは常套手段です。そして、脇道にそれた話を本題に戻すときに使われる表現に「閑話休題」があります。

 「かんわきゅうだい」、この響きが良いからなのでしょうか、日常会話の中でも「閑話休題」が使われるのを耳にしたことがあります。

 「閑話」は「むだ話」、「休題」は「それまでの話を一時やめること」の意味ですから、「閑話休題」は「横道にそれた話・むだ話・余談を本題に戻す」ことになります。

 ところが、逆の「本題から話をそらす」際に「閑話休題」が使われたケースがありました。おやおやと思って国語辞典のページをめくると、例解国語辞典(第10版・三省堂)に「誤って本題の途中でむだ話を始めるときのことばとして使う人が増えている」と掲載されていました。

 「意味を知らずに使うものじゃない」と言ってしまえばそれまでなのですが、誤った使い方が増えているのは何故だろうと考えます。やはり響きの良さなのでしょうか。

 響きの良さでいうと「喧々諤々(けんけんがくがく)」も、その一つかも知れません。

 本来の「侃々諤々(かんかんがくがく)=正しいと思うことを堂々と主張し、大いに議論すること」と「喧々囂々(けんけんごうごう)=多くの人が口やかましく騒ぎたてること」が混同したものとされています。

 響きが良いのか、「けんけんがくがく」はときどき耳にします。「侃々諤々」と「喧々囂々」はどちらも漢字本来の意味が推測しづらいので、混同した「喧々諤々」も違和感なく受け入れられているのでしょうか。

 なお、「喧々諤々」について相談があった場合は「本来の『侃々諤々』または『喧々囂々』が望ましい使い方」と答えています。

 閑話休題、次に参りましょう。

冬の夜に使えそうな気もしますが、誤りです。

 いろいろな表現に触れていると、「使えそう」と思わず身を乗り出したものの、結局「誤り」とするしかないものがあります。「すっかり暗くなり、夜になった」意味で「どっぷりと日が暮れた」と表現したケースでした。

 正しくは「とっぷりと日が暮れた」です。「とっぷり」は「太陽が沈んですっかり暗くなる様子」を表しています。一方、「どっぷり」は「十分に液体を含ませるさま」ですから、例えば「筆にどっぷりと墨をつける」「風呂に肩までどっぷりつかる」といった使い方になります。

 「どっぷりと日が暮れた」を掲載する国語辞典はありませんので、「太陽が沈んですっかり暗くなる様子」の表現に「どっぷり」を使うことは誤りとしました。

 ところが、「どっぷり」の意味に「ある環境にはまって安住する様子」があるのに目がとまりました。夜の雰囲気がいっそう強まり、しんとした空気の広がりを感じてしまいました。日が早く落ちる冬場の夜、稜線と空の区別がつかないほどの漆黒の夜、「どっぷりと日が暮れる」も使えそうな気がしました。でも、誤りです。

最初に覚えたものは「強い」

 新型コロナの感染予防対策として、いろいろな設備を目にしますが、人と人との間を仕切る板状の物、「Partition」があります。質問はこれを「パーテーションと読んでよいか?」でした。

 調べてみると、国語辞典の多くは「パーティション」と掲載しています。「パー『テー』ション」を掲載している辞典もありますが、「誤り」とするものや、「パー『ティ』ション」を参照するようにというものもあります。

 確かに「Partition」の綴りを見れば「パー『テー』ション」とは読めません。ところが、ネット通販で確認すると商品名として「パー『テー』ション」を使っているものをたくさん見ます。

 「パー『ティ』ション」を知る前に、商品名の「パー『テー』ション」を覚えてしまったというのがオチですが、原語を確認することの大切さを改めて感じました。

 このほかにも原語とは違う読み方になったものとしては果物の「アボカド(Avocado)」があります。ところが「Avocado」の綴りからすると、そうは読めないのですが「アボ『ガ』ド」も使われています。

 この果物が日本でまだ馴染みが薄い頃に、発音しやすい「アボ『ガ』ド」が使われ始めたという話があります。TBSが2018年に調査したところ、「アボ『カ』ド」を使う人は65.1%、「アボ『ガ』ド」を使う人は28.4%という結果で、4人に1人が「アボ『ガ』ド」と言っていることになりました。一度浸透すると、読み方はなかなか変わりません、変えられません。

おわりに

 審査部で相談を受けた表現・言葉をいくつかご紹介しました。「正しい」と思っていた意味が違っていたり(変わっていたり)、「誤り」とされていた意味が許容されていたりとさまざまです。

 初めに触れましたが「正しい」「誤り」の判断が単純につかず、結局「その表現の幅(許容範囲)はどこにあるのだろうか」を模索することのほうが多い日々です。そして、その「幅」が変わることを知り、相談に対する答え方や、「ガイドライン」の掲載内容も変えることになります。これはずっと続きます。

<執筆者略歴>
内山 研二(うちやま・けんじ)
1963年生。1987年東京放送入社。ラジオニュース部に配属。
ラジオ国会担当記者、ラジオ制作部、ラジオニュースデスク等を経て、
2018年より審査部。

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