データからみえる今日の世相~お金と暇とどちらが大事?~
江利川 滋(TBS総合マーケティングラボ)
コロナ禍も一段落というか棚上げというか、ひと頃のような外出自粛もなくなって、人出や人の動きもふつうになってきているこの頃。
決してコロナ禍に暇だったわけではないのですが、何だかこのところ、仕事のあれやこれやで忙しい日々が続いています。
とはいえ、しっかり夏休みも取ったので「忙しくて休む暇もない」わけではないですが、そこから「貧乏暇なし」という言葉を連想。人から「最近どう」と問われれば「いやあ、貧乏暇なしで」と答えたりして……。
もちろん言葉の意味は「貧乏なために生活に追われ、暇のないこと」(広辞苑第七版)で、新明解国語辞典第八版によると「多く、稼ぐのに忙しく休む暇が無い意に誤解される」とのこと。
「忙しい」の言いかえで「貧乏暇なし」というのは誤りと反省。それを言うなら「稼ぐに追いつく貧乏なし」?それも違うような……?
お金がないと暇もない。それなら、お金があったら暇もできる?いやいや、お金はないけど暇はある等々、お金と暇の関係はさまざま。
ところで、暇とお金だったらどっちが大事?そんな考え方についても調べているのが、JNNデータバンク定例全国調査です。
やっぱり先立つものが必要
JNNデータバンク定例全国調査には、複数の選択肢からあてはまるものをいくつでも選ぶ形式の質問で、「どちらかといえばお金より暇がほしい」「暇よりお金がほしい」という選択肢の入ったものがあります。
ふつうは一方を選べば他方は選ばないでしょうし、どちらも選ばない、つまり「どちらでもない」という回答者もいます。ごく希に両方選ぶ人もいて、その場合は無効回答扱いすることもあります。
そうした形式の質問を1974年から毎年繰り返し調べ、首都圏の男女20~59歳について集計した結果を示したのが、次の折れ線グラフです。
これを見ると、昔から「お金より暇」派より「暇よりお金」派のほうが多かったことが一目瞭然。
73年の第一次石油危機で高度経済成長が終わり、70年代後半から80年代前半は安定成長期に突入した頃ですが、当時は「暇よりお金」派が4割で「お金より暇」派の倍でした。
続く80年代後半は、日本の対米貿易黒字削減を目的に85年に結ばれたプラザ合意が起点で円高不況・輸出不振となり、内需拡大が叫ばれてバブル景気が膨張。この頃「暇よりお金」派が5割弱まで増加しました。
一方、バブル崩壊の90年代初頭に「お金より暇」派がグッとピークを形成。金満ニッポンで「お金はもうお腹いっぱい」な人も増えたとか?
その後、「失われた10年」の90年代は「暇よりお金」派が45%前後、「お金より暇」派が25%前後で推移しますが、「失われた20年」の00年代には「暇よりお金」派が6割弱まで急増し、「お金より暇」派は2割に逆戻り。この割合は「失われた30年」の10年代も続いています。
そんなこんなで21世紀の日本は、昭和の安定成長期よりも明確に「暇よりお金」を必要とする人が多い社会となっています。
誰が「お金より暇」を欲しているのか
お世辞にも経済が良いとは言いがたい現在の日本。「暇よりお金」派が6割弱も占める世の中で、2割の「お金より暇」派とはどんな人たちなのでしょうか。
最新(22年10月実施)のJNNデータバンク定例全国調査・首都圏データで、「お金より暇」派、「暇よりお金」派、「どちらでもない」人それぞれについて、性・年代や性・就業別の分布を集計してみたのが、次の帯グラフです。
これを見ると、「お金より暇」派は男性が6割、「暇よりお金」派は男女半々で、「どちらでもない」で女性が6割弱といったところ。
回答者全体の性・年代分布と比べると、「お金より暇」派は男性の各層が少しずつ多いのに対し、「暇よりお金」派は全体分布と似た感じ、「どちらでもない」は40代女性が多くなっています。
また、男女を職に就いているかどうかで分けてみると、全体でも元々多い男性就業者が「お金より暇」派で過半数を占める一方、「どちらでもない」では女性非就業者が4割弱で存在感を示しています。
男性就業者の9割弱は勤め人なので、「暇よりお金」が優勢な今のご時世に「お金よりは暇がほしい」と思っている人の多くは、「忙しくて仕方がない」とぼやく男性社員といえるかも。筆者はまさにそれそのもの。
一方、専業主婦などが多い女性非就業者では、仕事が忙しいということでもなく、もっと忙しくして収入を得たいわけでもなし、という感じなのかも知れません。
お金があっても「暇よりお金」
最初の折れ線グラフで、70年代から現在までの「お金か?暇か?」意識の推移を眺めましたが、昔と今の違いを別の角度から眺めてみます。
「お金か?暇か?」意識の質問を始めた1974年と最新データの2022年について、世帯月収額で全体を4群に分けて、それぞれの階層での「お金か?暇か?」意識の分布を比べたのが次の帯グラフです(注)。
昔も今も「暇よりお金」派が多いのは最初の折れ線グラフでも確認したところですが、74年は世帯月収額が上がるほど「暇よりお金」派が減って「お金より暇」派が増える傾向がありました。
「貧乏暇なし」状態を脱して「お金はあるから暇がほしい」と思うという、ある意味まっとうな感覚といえるかもしれません。
しかし、22年では世帯月収額の大小に関係なく過半数が「暇よりお金」派で、高額所得層でも「お金はあるけどもっと必要」という状況です。
一方、各階層に占める「お金より暇」派の割合にも注目すると、22年ではどの階層も74年よりその割合が高いことも見て取れます。
高度経済成長から安定成長、バブルとその崩壊後に長く続く苦境という戦後経済の流れの中で、「それなりに自由な時間もないと、何のためにお金を稼いでいるのかわからなくなる」という感覚も広く根付いたのかも、というのは読み込みすぎでしょうか。
「貧乏暇なし」という言葉もありますが、あまりに貧しいと精神の働きまで愚鈍になる「貧すれば鈍する」という言葉もあり。
人は生活に余裕ができて、初めて礼儀や節度をわきまえられる「衣食足りて礼節を知る」という言葉の裏を返せば、生活に余裕がなければ人に気を配る余裕もなくなってしまうということかも。
バブルの豊かさを求めるのは過分。でも、あまりに「暇よりお金」が切実過ぎて、日本社会全体が貧して鈍するのではないか。そんな心配が気にしすぎならいいのですが……?
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