2023年の放送界展望
音 好宏(上智大学教授)
テレビ放送開始から70年
2023年がスタートした。日本の放送界はどのような年を迎えることになるのだろうか。
この2月、日本でテレビ放送が始まってから70年目を迎える。1953年2月1日、NHKが東京でテレビ放送をスタートさせたのがその始まりである。同年8月には、民放初のテレビ局として、日本テレビ放送網も本放送を開始した。
周知の通り、戦後の日本の放送制度は、GHQの占領政策の一環として制度改革が行われ、1950年に放送法、電波法、電波監理委員会設置法のいわゆる電波三法が施行する。
全国にあまねく放送サービスを提供することが義務づけられ、受像機(受信機)を持つ世帯との受信契約による受信料を財源とするNHKと、基本的に県域単位で放送免許が交付され、かつ、マスメディア集中排除原則によって、関東・近畿・中京の広域圏を除いて、県域を越えて同一事業者がサービスを行うことが禁じられた商業放送たる民放との二元体制が定められる。
この現在まで続くNHKと民放の二元体制は、商業放送中心の米国や公共放送が圧倒的な地位を占める欧州の放送体制とも異なる日本独特の体制といえる。
この制度の下、1951年9月1日の午前9時に名古屋の中部日本放送(現・CBCラジオ)が、同日の正午に新日本放送(現・MBSラジオ)が本放送を開始。民放ラジオ放送がスタートする。その後、同年12月25日にはラジオ東京(KRT/現・TBSラジオ)が開局するなど、全国で次々と民放ラジオ局が開局していくことになる。
テレビ多局化の背景と系列化の影響
他方で、テレビ局の置局に関して、前出の電波監理委員会が、最初のテレビ局の予備免許を与えたのは、日本テレビ放送網だった。日本テレビ放送網の初代社長は、正力松太郎。その名に「網」が付くのは、正力松太郎が1社による全国放送を目指したことの表れでもある。正力は、GHQが描いた放送体制に抵抗を続けたが、結局、県域を単位とする放送体制を覆すことは出来なかった。
ただ、その後の日本の民放史を振り返ってみると、郵政省による「民放4波化」政策によって、多局化が進むとともに、民放ネットワークが整備されることで、多くの県で民放4系列の番組が視聴出来るようになる。
このような多局化が進んだ背景には、民放テレビ放送がマクロ経済連動型の広告モデルであり、日本経済の成長に合わせて市場の拡大が期待できたためである。ところがバブル経済の崩壊あたりから、その市場拡大に陰りが見えてくる。いわゆる平成新局は、厳しい経営環境のなかで、放送サービスのスタートを切らなければならなかった。
民放の系列化は、放送に何をもたらしたのか。1つだけ私的体験を紹介しておきたい。
30年以上前のことだが、私は大学院生時代、米国の名門女子大のウェズリー大を卒業し、上智大学の研究生となっていた留学生と「ランゲージ・イクスチェンジ」をしていた。ランゲージ・イクスチェンジとは、お互いの母語を教え合う仕組みのこと。外国語を学びたい貧乏学生にとっては、ありがたい仕組みである。
彼女は、ゴールデンウィークなど、大学の授業が休みの時に、時々、蔵王の親戚の叔父の家で過ごしていた。しばらくして解るのだが、その親戚の叔父さんというのが、GHQで戦後の放送体制の枠組み作りに深く関わったクリントン・ファイスナー氏だった。
そのことを知って、彼女が蔵王に向かうに際して、ファイスナー氏がいまの日本の放送に対してどういう感想を持っているのかを尋ねてほしいとお願いした。
蔵王から帰ってきた彼女によれば、「最近の日本のテレビは、私の考えていた放送とは違ってきた。多様性がなくなっている」と語っていたという。民放は、ネットワーク化によって東京で作られた番組が全国に流れてどんどんNHKのようになり、また、NHKもその内容がどんどん民放的になってきたとの趣旨と受け取った。
ただ、この発言があったのは、いまから30年以上も前である。現在は、その傾向がもっと強まっているのではないか。
マスメディア集中排除原則の緩和
そのテレビ放送70年目の今年、具体的な制度変更が進みつつあるのは、マスメディア集中排除原則の緩和である。
放送のデジタル化への対応などにより、ローカル民放局の経営環境が厳しさを増すなかで、2007年に放送法に定められた認定放送持株会社制度では、資本関係を通じたグループ経営を限定的に認めているが、現行制度では、認定放送持株会社傘下の地上基幹放送事業者については、地域制限(12都道府県まで)が設けられてきた。
2021年11月に総務省に設置された「放送制度の在り方に関する検討会」では、この認定放送持株会社制度に関して、「資本関係と自社制作比率との間に関連性は認められない」などとして、この地域制限を撤廃する意見がとりまとめられている。
他方において、同検討会からは、認定放送持株会社制度によらない場合でも、経営の選択肢を増やす観点から、一定の制限は設けつつも、隣接県・非隣接県に関わらず、兼営・支配を可能にする特例を設けることも提言されている。
こちらの方が、実現にはハードルは高いとされるが、いずれにしても70年前に作られた制度的な枠組みが蕩けだしてきていることは確かだ。もちろんその背景にあるのは、メディア環境の激変である。特にインターネットを介したメディアサービスの多様化によって、放送類似サービスがインターネット上に多数出現し、私たちのメディア利用状況が劇的に変化しつつある。
毎年3月、電通は前年の広告費について、その調査データを「日本の広告費」として発表しているが、2022年3月に発表された2021年の「日本の広告費」では、インターネット広告が、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌のいわゆる4マス広告の総計を上回ったことが注目された。
この3月に発表される2022年の「日本の広告費」では、その差がますます拡大することが予想されている。米国では、ネット結線したテレビ受像機向けのサービス(コネクテッドテレビ:CTV)が伸張しており、CTV広告と既存の放送広告との棲み分けも一定程度できているとの分析もある。
YouTube、Netflixを始めとした動画配信サービスの普及・浸透や、一般の市民によるSNSを使った情報発信力が高まるなかにあって、既存の放送事業者にとっても、ネットをどう取り込んでビジネスを構築していくかが喫緊の課題となっている。放送事業者にとって、ネットとの向き合い方は、新たな段階に入ったと言えるのではないか。
新会長を迎えるNHKの動向
そのことを強く感ずるのは、NHKの動きである。
この1月25日、NHKの新会長に、元日銀理事の稲葉延雄氏が着任する。稲葉氏は、前田晃伸会長が進めたNHKのスリム化路線を継承し、前田会長時代に約束したNHK-BSの1波削減や受信料の値下げなどとともに、NHK組織のスリム化も実現していかなくてはならない。
他方において、「公共メディア」を標榜することに象徴されるように、NHKのネット上でのサービスを本来業務に位置づけることを切望している。
2022年9月、先に触れた総務省の「放送制度の在り方に関する検討会」の下に「公共放送ワーキング・グループ」が設置され、NHKのネット展開について検討がなされている。2022年12月に示された「これまでの議論の整理」では、「マスメディアとしてのNHKにとって将来のインターネット展開は必然」とされた。
NHKの業務拡大については、常に「民業圧迫」との批判が燻る。特に、猛烈な部数の落ち込みから、産業規模が縮小傾向にある新聞界からの反発は根強い。
この「公共放送ワーキング・グループ」は、春先までに議論をまとめ、パブリックコメント(意見募集)を行うとしている。NHKのネット展開が時代の流れであることは間違いないが、最も重要なのは利用者のニーズである。利用者に支持されるサービスが実現されるべきであり、様々な反発を押し切るなかで、「政治に弱い」NHKになってしまうことは避けるべきだ。
民放のネットとの向き合い
他方で、民放においても、自社の番組、自社のサービスを、どのようにインターネット上で展開していくかは、大きな課題である。
民放公式ポータルとしてTVerが普及・浸透しつつあるが、地上民放ネットワークの構造を反映して、TVer上で流通するコンテンツは、圧倒的に在京民放キー局のものが多く、勢いTVerは、在京民放キー局主導のプラットフォームとなってしまっている。
冒頭で触れたように、この70年間、地上民放ネットワークが守ってきたのは、県域(放送エリア)を明確にした番組流通であったが、インターネット上での流通では、このルールが蕩けだしているのである。
もちろん「ローカル発全国」というコンテンツ流通の新たな可能性がないではない。体力的にハンデのあるローカル局にとっては、かなりリスクが多いことも確かだ。それゆえに、この枠組み自体に否定的なローカル民放経営者がいることも確かである。
ただ、公共性の高い事業であっても、環境変化に対応出来なければ、その事業に未来はない。もちろんそこでは、制度的な支援なども問われるべきだろう。
新しい放送基準の運用開始
さてこの4月、民放各局では、新しい放送基準が運用されることとなる。放送事業者は、放送法に基づいて、自らが放送番組の編集基準を定め、公表することが義務づけられているが、多くの民放局が、日本民間放送連盟(民放連)が定めた「日本民間放送連盟放送基準」を自主的に採用している。
民放連は、約5年に1度この放送基準の見直しを行っているが、今回の改正に向け2019年から準備が進められてきた。
民放連加盟の各放送局では、民放連が検討・作成した放送基準の改正案を織り込んだ、各局の番組基準の改正案を、各局の番組審議会に諮問し、その答申を受けて、各局で機関決定された。その新たな放送基準が、この4月から運用されることとなる。
今回の改定は、「50年ぶりの大改正」と呼ぶ人もいるほどの大幅な改定で、特に強く書き込まれたのは、差別・人権問題への一層の注意喚起、価値観の多様化を踏まえた表現上の配慮、児童・青少年への配慮の拡充、自殺を取り上げる際の配慮などである。
これら放送基準改定の手続きは、放送事業ならではであり、もちろん、インターネット上でサービスを展開する動画配信サービスなどでは行われない。言うなれば、放送事業を行う上での固定費とも言える。これらの固定費がない分、動画配信サービスはコンテンツ制作に資金を投下できるかも知れない。
他方において、これらの固定費が放送サービスに対する「信頼」を生み出してきたというのが、70年の歴史を誇る放送サービス側の理屈だ。ただ、昨今の「マスゴミ」といったレガシー・メディアへの批判を見るとき、この信頼をどう維持し、また、その信頼ゆえに人々が集うビジネスとしていけるのか。
70年前に構築した枠組みが、インターネットに象徴されるメディア環境の変化によって蕩けるなかで、改めて問われているのではなかろうか。
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