コロナノーマルな時代に 取材・報道の役割について考えること
【日本全土を覆うコロナ禍。地方都市・長野における報道機関の苦闘。そして現場から上がった医師たちの声】
堀内 宏(信越放送報道部長)
「日常」になってしまいつつあるコロナ禍
2021年6月、新型コロナウイルス感染症は、私たち報道機関にとって日常のことになった。「長野県内ではきょう15人の新規感染者が確認されました」「県内でインド由来のデルタ株の感染とわかったのは5人目です」。
スラスラと放送原稿ができあがり、患者が発生した市町村をベースの白地図に色塗りしてCG画面を作成し放送する。当初人類の存亡に関わるとも思料された疫病は、新人記者でも書ける原稿になった。
とにかくこの病気には秘密が多い。長野県や長野市・松本市による陽性者の発表内容は「居住市町村、年齢、性別と症状」それに「濃厚接触者の人数とすでに確認された陽性者との関係」で終わる。発表文にある「同居家族」では、夫婦なのか親子なのかも分からない。これまで取材の基本として教え込まれた5W1Hのニュースの形も人間も見えてこない。新型コロナ取材は、かつてのエイズ報道を想起させる。一歩間違えると差別や偏見につながりかねない。伝える使命と個人情報の折り合いは今も見つからない。
コロナ禍のヘイト行為
第1波、2波と連日多くの感染者が全国で報告されていた時、信州では地方ならではの光景があった。都会からの人たちに警戒と嫌悪の視線が向けられた。県外ナンバーの車のバックドアに「私は長野県在住です」と段ボール紙に書いて貼った車を何台も見た。首都圏からの観光客の多い軽井沢は波が収まってくると観光客が増えてきた。賑わいの裏で地元商店街の受け止めは複雑だった。地元住民は感染に怯えていたが生きていくには商売も必要だ。
金融機関が地域に心配を与えてはいけないと行員の感染を発表すれば、支店窓ガラスに礫が投げられた。犯人はつかまっていない。無防備な人へのヘイト行為は社会をより不安にさせる。
「暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遙に照らせ山の端の月」和泉式部
ゴールデンウィークの軽井沢町旧軽銀座(左2020年、右2021年)
【引き続き「伝えるべきことを伝えているのか」に続く】
伝えるべきことを伝えているのか
新型コロナの確認からもう1年半が経つが、いまだに自分たちのすぐそばで起きていることの真の姿がよく見えない。記者や取材クルーの感染を回避しながらの取材では現場の温度感が伝わらない。核心に迫るには、スタッフに一定のリスクを強いることにもなりかねない。大きな事故や災害では、経験からどの病院でどんな治療を行うかを知っている。ところが新型コロナウイルスの取材では病院の中の様子がなかなかつかめない。都会に比べて感染者や患者が少ない地方では、取材を受けることが患者のプライバシー侵害にあたると警戒され、患者を受け入れていることさえ公表したくない病院がいまだにある。
病院に協力を頼み込み、内部を撮影してもらうのが精一杯。隔靴掻痒の感が否めないが、これも現実。どうすれば伝えることができるのか、知恵を絞るしかない。
善男善女のいない善光寺(2020年の大型連休)
現場の医師からの発信
2021年4月、小説『臨床の砦』が上梓された。著者は夏川草介さん。長野県内の感染症指定医療機関で、日々患者と向き合う現役の医師だ。“よい医者とは?”と自問しながら、患者に向き合う医師の成長を描いた『神様のカルテ』はドラマ化された。
「わずかな期間に死者が倍増しているにも関わらず、テレビのニュースはまるで明日の天気」
夏川さんは『臨床の砦』でテレビ報道をこう著した。小説が書かれたのは2020年から21年にかけての第3波の時期。陽性者が全国で1日8,000人に達し、施設での集団感染が多発、高齢者の死者が急増した時期だ。
夏川さんは当社のオンライン・インタビューに応じてくれた。その中で「患者さんが病院の中で孤独に死んでいく。家族にも会えない。入院させてほしいと外来で泣いているのにベッドがないと言って帰ってもらう。これまで見たことのないような、経験したことのないような医療現場だった。医師にとっても非常に苦痛というか、こんなことをしていたらこちらの精神がもたない」と話した。
私たち報道は、こうした過酷な現場をどこまで伝えているのか、伝えようとする努力をしてきたのか。個人情報で取材できないことを免罪符にしていないだろうかと自問する。
「『命がけの診療』という言葉は、誇張ではない。感染症病棟に初めて入る日の朝に、家族に遺書を渡した医師もいたのである。」『臨床の砦』より
ある日、夕方のニュース終了後に男性から電話が入る。「先ほど放送したニュースで、コロナ死亡1人と字幕に出ていたがその病院で死者は出ていない。訂正を求める」という抗議だった。VTR中に画面右上に出す2段の字幕では、上段に「〇〇病院で集団感染」、下段に「コロナで1人死亡62人感染」と放送していた。
原稿では「県内で1人死亡、62人の新規感染、また〇〇病院では集団感染を確認」と書いた。字幕は間違いとはいえないが、“この病院で1人死亡62人の感染”とも読める。慎重さに欠けたことは否定できない。相手の立場を思いやる配慮にも欠けた。
折り返し電話をしたところ、相手はこの病院の麻酔科医だった。「院内感染をおこさないように細心の注意を払ってきたのに集団感染をおこしてしまった。しかし患者さんを死亡させてはいない。ニュースを見て『おたくの病院か』と電話がきている。地域からの信頼を失うことが一番こわい」と涙ぐんでいた。
きょうも午後4時45分になると、テレビでは東京都の新規感染者の速報が流れ、用意してあったボードに数字が入る。私たちは、この事態を数字でしか伝えていないのでは?という思いが募る。
『臨床の砦』の夏川さんはインタビューを、「コロナに立ち向かうために必要なことはふたつだけです。みんなが力を合わせるということ、そして必ず乗り越えられるという希望を持つことだと思っています」とむすんだ。
新型コロナウイルスは家族や仲間の距離を広げ、心も不安におとしめている。やがて、世界中にワクチンが行き渡り、緩やかに日常が戻ると期待するが、マンネリに陥ることなく想像する力を失わず新型コロナ報道と向き合っていく。
<執筆者略歴>
堀内 宏(ほりうち・ひろし)
長野県諏訪市出身・1967年生。1990年信越放送入社。 記者・ディレクターとして松本サリン事件、長野オリンピックを取材。1995年阪神淡路大震災で神戸への応援取材が災害報道に取り組む原点。東京支社を経て2011年3月東日本大震災時には報道デスク。
その後制作部長、社長室長から2021年情報センター次長兼報道部長。
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