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〈ラジオ 長寿番組の研究⑤〉RKK熊本放送『午後2時5分 一寸一服』開局から歴史を紡ぐ70年の物語

【全国のラジオ局には魅力あふれる長寿番組が数多く存在する。第5回は、地元百貨店と二人三脚で続けてきた公開生放送番組】

 RKK熊本放送が開局したのは1953年10月のことである。間もなく70周年を迎えるが、開局以来続くギネス級のラジオ番組がある。熊本の名門百貨店である鶴屋百貨店から放送している『午後2時5分 一寸一服』という番組である。

鶴屋百貨店

 開局当初に、歌謡曲のリクエスト番組として始まった。人手も足りず、担当アナウンサーとミキサーのたった2人で放送していたが、アナウンサーのアイデアでリクエスト曲の間奏に歌詞の一節をセリフとして入れてみたところ、これが評判になった。

 当時の流行歌といえば、「支那の夜」や「リンゴの木の下で」、そのちょっと後に春日八郎さんの「お富さん」がどの放送局を聴いても流れるほどのヒットを飛ばし、幼稚園児が「お富さん」ばかり歌って困るとの苦情まで出たという時代だった。

 現在の『一寸一服』は、土日も休まず毎日2時5分からの20分間、鶴屋百貨店の一階ロビーに常設されているサテライトスタジオから公開生放送を続けている(鶴屋百貨店の店休日は本社RKKスタジオから放送)。来店者からリクエスト曲を募りその曲を流すというスタイルの放送だ。

 これまで『ラジオ長寿番組の研究』に掲載したIBCラジオ『大塚富夫のTOWN』、SBCラジオ『武田徹のつれづれ散歩道』、CBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』、RKBラジオ『林田スマのお母さんにバンザイ』をご覧いただければ分かるように、どの番組も圧倒的な人気と技量を誇るメインパーソナリティを原動力として番組が長寿化していった。

 しかし、『一寸一服』は出演者とスタッフが駅伝のたすきをつなぐように地元百貨店と歴史を紡いできた稀有な事例である。主役がいるとすれば放送に関係した全員といえる番組だろう。というわけで、今回は『一寸一服』を研究する。

鶴屋百貨店との二人三脚

 熊本で知らない人はいないと言う歌がある。「一寸一服 番組テーマソング」、通称「鶴屋ラ・ラ・ラ」だ。どこか懐かしさを感じさせるリズムに乗せて児童の澄みきった声の合唱が響く。

「鶴屋 ラララ 鶴屋ラララ
 鶴屋ララララ ラーラ
 ハーイ ハーイ ハイセンス つ・る・や」

 『一寸一服』はこの歌に乗って始まる。今では熊本唯一の百貨店になった鶴屋百貨店は提供スポンサーとして、この歌が熊本県民の耳に染みつくほど長い歴史を重ねてきたのだった。

 鶴屋百貨店は熊本市の繁華街の中心にあり、市電通りをはさんで前には日航ホテル、鶴屋百貨店を背に視線を左側に転じると熊本城の美しい姿が目に入る。すぐ近くの横断歩道は上通アーケード街と下通アーケード街が向かい合うポイントになっており、鶴屋は人の行き交う絶好の場所に位置している。

鶴屋百貨店から熊本城を望む

 昨年度の売上高は428億円。本館、東館、New-s(館)、WING館の4つの建物を合わせた売り場面積は東京や大阪の百貨店並みで全国ベスト10に入る広さと、まさに熊本市の中心的な存在。鶴屋が休館する日は、周辺の店舗も休むところが多く、人出が減ってしまうほどだ。

 なかでも本館は一番古く、文化と歴史を刻んだ建物だ。ラジオ放送用のサテライトスタジオをもち、文化・芸術・物産の催事にも積極的だ。

 サテライトスタジオができたのは1973年のこと。それまでの『一寸一服』はRKKの本社スタジオから放送していた。このサテライトスタジオができてからは公開生放送となり、現在の放送スタイルが続いている。実際に百貨店からの公開生放送の効果は大きく、当時の社報に幹部が残した発言が印象深い。

 「『一寸一服』は今や鶴屋の別名の如き存在になっている。(…中略)お客様がラジオを通じてのみならず、この番組をサテスタにおいてジカに肌に感ずるとき、さらに『一寸一服』は生きてくれるであろう」。

 この言葉どおりサテライトスタジオでの公開生放送は人を惹きつけ、その後も名物番組の地位を確立していくのだった。

 地域の百貨店の役割としてよく言われるのが市街地の核になること、地域の雇用、経済への貢献、地域文化の発信などである。百貨店は営利企業である。しかし一方で文化的な存在でもあり、地域の住民の思い出を紡ぎ続けてきた百貨店は多い。鶴屋は催事と生放送の拠点となることでその役割を果たしてきたと言っていいだろう。

長寿の秘訣

 実際にサテライトスタジオを覗いてみると、本館一階の正面玄関から高級化粧品売り場がひしめくフロアを通り抜けた中央部にある。

サテライトスタジオ

 スタジオ前には鶴屋の買い物袋を抱えたお客さんたちが長椅子に腰を下して休憩している。午後2時前には、『一寸一服』の館内予告放送が流れ、それに促されて集まる人たちも増える。この場所でお客さんたちはくつろぎながら、まさに一寸一服するのである。何十年も続いてきた鶴屋の光景だ。

スタジオサブからの光景

 午後2時5分、オープニングが始まった。曜日担当の女性パーソナリティがお客さんの前でマイクを持って「午後2時5分 一寸一服」と高らかにタイトルコール。そしてお客さんにおなじみの鶴屋ラララの歌が流れる。そして、オープニングの挨拶である。

 「皆様の鶴屋が鶴屋本館一階中央にございますふれあいの広場、サテライトスタジオから生放送でお送りします。午後のひととき、歌の数々でゆっくりとお過ごしください」。

 このオープニング挨拶は昔からほとんど変わっていない。このオープニングの後、その日のゲストとの掛け合いがある。鶴屋の催事場で開かれている物産展や観光展などに出品・出展する職人さんなどスペシャリストが多い。

 国内だけでなく、英国展やフランス展など海外の展示もあり、様々な話題を聞くことができる。この部分の放送は長い伝統の重みもあって、催事の宣伝であることが多いにもかかわらず、熊本の放送文化として十分に成立しているように思えるのだ。

 このゲストトークの後は、来場者に30曲の中から聴きたい曲をリクエストしてもらう進行だ(ゲストが来ない日はオープニング後にすぐにリクエスト曲に進む)。パーソナリティがハンドマイクを持って、挙手をした来場者の前に駆けつけ、リクエスト曲を尋ねる。

 童謡からアニメソング、歌謡曲に至るまで用意した30曲のバリエーションは、幅広い世代から選んでもらえるように配慮されている。「すいかの名産地」をリクエストしたのは母娘だった。熊本市外から来たという。久々に車で熊本市内までやってきて、物産展のスイーツがおいしかったと満足そうだ。

 百貨店にとって催事はお祭りだ。それを目当てに駆けつける来場者が多いことに改めて気づかせられる。これも、百貨店の重要な機能なのだと思う。鶴屋に来ることは単なる消費行動ではなく、自分たちの思い出の一場面でもある。

 長寿の秘訣を番組担当の中村レンさんに聞いてみた。

 「鶴屋百貨店にいらっしゃっているお客様の生の声を毎日みんなで実感し、共有できるというところでしょうか。パーソナリティとお客様の間に公開生放送で生まれる空気は独特な魅力がありますね。

 それとスタイル、内容を変えていないところは大きいと思います。放送時間は5分短くなりましたが、それ以外はほとんど変わっていません。例えばオープニングの挨拶もエンディングのフレーズもそうです。リクエスト曲も毎日サテライトスタジオに持ち込む30曲のCDの中から選ぶというやり方も私が新人の時代から変わっていません」とのこと。

 中村さんによれば番組は熊本地震、コロナ禍の緊急事態宣言と過去に2度のピンチを迎えている。7年前の熊本地震では鶴屋百貨店も被災し、1ヶ月間、RKKのスタジオから放送することで凌いだ。

 コロナ禍の2020年4月8日から5月12日までの1か月あまりも緊急事態宣言でRKKのスタジオからの放送になった。その後は公開生放送に戻ったが、マスクを付けながらの放送が長い間続くことになった。

 店休日とこれ以外で、公開生放送ができなかったことはないという。改めて、これまで番組にかかわってきたスタッフに敬意を表したいと思う。

熊本に感じる活気

 百貨店は冬の時代とかなり前から言われてきた。それにコロナ禍までのしかかった。今年1月に渋谷の東急百貨店閉店のテレビニュースが流れたことを思い出す。

 最終日の閉店時間にシャッターがゆっくりと閉じられていく。その光景を大勢の人たちが路上から見守っている。ハンカチで目をぬぐう人の映像が忘れられない。おそらく東急百貨店に忘れられない思い出を持った人たちだろうとの想像が働く。

 東急百貨店の場合は渋谷再開発が直接の理由なのだが、東急百貨店以外にも最近テレビのニュースで蛍の光が流れる中シャッターを閉じる百貨店映像を何度も見た。そのたびに、悲しい気持ちになった。

 とりわけ地方での閉店が相次ぎ、地方百貨店の数はここ20年で110店舗程度とほぼ半数にまで減少している。コロナ禍の影響もあっただろうし、郊外型の大型店の出店やインターネット通販の隆盛など様々な理由が挙げられるだろう。

 しかし、今年はコロナ禍からの回復が見込まれている。今年3月の全国百貨店売上高は、13か月連続のプラス。コロナ前の19年との比較でもあと少しの所まで迫っている。

修復が進む熊本城

 熊本はといえば地震から7年が経ち、熊本城を散策すると崩れた石垣の再建が進んでいる。国も応援する形で台湾の半導体メーカーTSMCの大工場建設も始まった。

 熊本市内にあったもう一つの百貨店、県民百貨店などの跡地は2019年に巨大なバスターミナルやホール、ホテル、住宅、シネマコンプレックスなどからなる複合施設へと変貌を遂げており、活気は十分にある。熊本県民は今後も放送文化と百貨店文化が融合したこの番組が続いていくことをきっと切望しているだろう。(調査情報デジタル編集部)

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