ウクライナ侵攻が示す、「武器」としてのフェイクニュースの脅威とは?
平 和博(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)
ロシアによるウクライナ侵攻は、フェイクニュース(偽情報・誤情報)を絡めたハイブリッド戦争の脅威を突き付ける。「武器」としてのフェイクニュースの標的は、ウクライナ国内にとどまらず、欧米、さらにはアジア、アフリカなどに広がり、国際世論を巻き込む展開となっている。また、AIを使ったフェイク動画も投入され、虚実の境界はさらに曖昧になる。フェイクニュースの狙いは、社会の混乱と分断、そして脆弱化だ。対抗するには、信頼できる事実をタイムリーに提示することが不可欠だ。日本も決して他人事ではない。
「情報戦、西側では完敗だが…」
英国の情報機関、政府通信本部(GCHQ)長官のジェレミー・フレミング氏はウクライナ侵攻半年を前にした8月18日付の英エコノミストへの寄稿で、情報戦の現状について、そんな評価を示している。
フェイスブックやインスタグラムなどを運営するメタの月間ユーザー数は36億5,000万人、ティックトックなどを運営するバイトダンスの月間ユーザー数は19億人超――ソーシャルメディア(SNS)が地球規模の社会インフラに急拡大する中で、ウクライナ侵攻は起きた。そして、これらのソーシャルメディアを拡散の舞台に、フェイクニュースを「武器」として使う情報戦が展開された。
フェイクニュースは、2月24日の侵攻開始をめがけて急増した。その中には、ウクライナのゼレンスキー大統領が「逃亡した」とのフェイクニュースもあった。これに対して、ゼレンスキー氏は侵攻翌日の25日夜には、首都キーウの大統領府前で、閣僚らとともにスマートフォンによる自撮り動画を撮影し、健在ぶりを世界に示す。インスタグラムへの投稿動画の再生回数は1,500万回を超えている。
ゼレンスキー氏によるソーシャルメディア巧者ぶりは欧米の世論に共感をもって受け止められ、西側諸国がウクライナ支援で足並みをそろえることにつながった。
フェイクニュースの主な発信元とみられているのはロシアだ。欧州連合(EU)のフェイクニュース対策プロジェクト「EUvsディスインフォ」の1月末のまとめによると、2015年以来の1万3,500件を超える親ロシアのフェイクニュースのうち、4割近くがウクライナ関連だった。侵攻をめぐるフェイクニュースの氾濫に対しては、世界の70を超すファクトチェック団体が連携して2,300件を超す検証結果を公開するサイト「#ウクライナファクツ」のような取り組みも続いている。
GCHQのフレミング氏が、「(ロシアが)情報戦に全面的に敗北」と指摘するのは、あくまで欧米などの西側諸国の状況だ。英調査会社「キャズム・テクノロジー」による調査では、親ロシアのツイートが、インドなどの南アジアやアフリカなどで拡散している現状が明らかになった。情報戦の舞台はグローバルに広がっている。そして、対米関係で緊張が高まる中国を含め、アジア、アフリカでは、3月に行われた国連でのロシア制裁決議に、賛成をしない国々も目立った。
フェイクニュースの情報戦略は、そんな各国の距離感が色濃く反映されている。
AI、そして情報の壁
3月16日午後、メッセージサービス「テレグラム」に「偽ゼレンスキー大統領」がそんな「降伏宣言」をするフェイク動画が投稿された。AIでフェイク動画を作成する技術、ディープフェイクスを使ったものだった。閲覧回数は49万回近くに上る。これに対抗するかのように、その後まもなく、「偽プーチン大統領」が「和平合意」を表明するディープフェイクス動画もツイッターに投稿された。
ウクライナ侵攻におけるフェイクニュースの情報戦では、このようなAIを使った応酬も展開されている。
EUは3月初めから、ロシアのフェイクニュースの主要な発信元とされる国営メディア、RTとスプートニクの配信を全面禁止した。フェイスブックやユーチューブ、ツイッターなどのプラットフォームも、フェイクニュース対策の強化を表明する。
一方のロシアは、フェイスブック、ツイッターなどの国内でのアクセスを相次いでブロック。さらに軍事行動に関する「フェイクニュース」に対して最大15年の投獄を科す法改正を行い、国内外のメディアなどへの言論弾圧を行う。
そんな「情報の壁」が、インターネット空間を否応なく分断する。
信頼できる情報の必要性
フェイクニュースの氾濫は、情勢の緊張とともに拡大する。その舞台は遠く離れたウクライナだけではない。
8月初め、米国のナンシー・ペロシ下院議長の訪問で緊張が高まった台湾でも、「空港が中国のミサイルで攻撃された」「中国が台湾にいる自国民の退避を決めた」などのフェイクニュースがあふれた。
特に緊急時には、信頼できる情報の空白は、フェイクニュース拡散の大きな駆動力となる。抑止効果が期待できるのは、タイムリーなファクトチェックと、信頼できる正確な情報の流通だ。
ウクライナ、台湾のケースでは、緊急時に即応した政府の広報体制に加えて、メディアやファクトチェック団体によるスピーディーな情報検証と発信が見られた。同様のフェイクニュースの氾濫が日本で起きた場合に、どんな影響を及ぼすのか。そのような事態へのスピーディーな対応は可能だろうか。これはメディアの役割とその力が、試される場面でもある。
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