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あるべき少子化対策とは

【岸田政権の「異次元の少子化対策」は、少子化を止められるのか。課題はどこにあるのか。東京大学大学院の山口慎太郎教授に、あるべき少子化対策を聞いた】

山口慎太郎 (東京大学大学院経済学研究科教授)

出生数の低下は避けられない

 少子化に関しては今年3月、インパクトの強い数字が現れた。2022年の出生数についての速報値が発表され、過去最低となる79万9728人に落ち込んだ。新型コロナウイルスの影響もあったと考えられるが、将来推計より11年も早く80万人を下回ったことになる。

 少子化傾向は先進国にとって共通の課題だ。ただ、日本は特に少子高齢化のスピードが速いことから、その動向は海外から注目を集めている。

 日本の問題は、子どもがほしい人の希望がかなった場合に見込める人数である希望出生率と、実際に1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率(以下、出生率)の差に現れている。希望出生率は1.8と推計されているが、2021年の出生率は1.3だった。この数字の開きは、社会の側に何らかの問題があって、子どもを持ちたいのに持てない状況が起きていることを示している。

 経済的、もしくは社会的な側面から、少子化を解消しなければならない理由は大きく2つ考えられる。1つは社会保障財政を維持するため。少ない現役世代で多くの引退世代を支えることになると、現役世代が大きな負担に苦しむか、あるいは引退世代の年金給付が切り下げられてしまう。

 もう1つはイノベーションが生まれなくなることだ。発明は偶然の要素が大きく、人口が減ると偶然が起こりにくくなる。生産性の向上も人口と関係があると考えられていて、少子化によって1人あたりのGDPが下がると、生活水準も下がっていく可能性がある。

 先進国では人口動態は予測がしやすい。出生数は短期間で急激に変化するものではなく、各世代の人たちがいつ頃亡くなるかもだいたいわかる。日本で少子化が進むことも、当然ながらわかっていた。にもかかわらず、政府はなぜ今まで対策に取り組んでこなかったのか。今後は母親になる世代が減っていくので、出生率が上がったとしても、出生数が下がることは避けられないだろう。

費用対効果が小さい現金給付

 日本ではここ10年ほど、必ずしも少子化対策ではなかったものの、子育て支援策は進めてきた。待機児童の解消や育休制度の拡充など、方向性自体は評価できる。ただ、規模が非常に小さかった。

 GDPに対してどれくらいの税金を使って子育て支援をしているかを数字で見ると、OECD加盟国の平均は2.5%程度。フランスや北欧の国では3%後半だ。

 日本はここ10年頑張ったことで、直近では1.9%だったものの、それ以前は長い間1%ほどで推移していた。改善傾向にあるとはいえ、今でも少ないし、かつてはもっと少なかったことが、ここまで少子化が進んだ要因でもある。

 では、少子化対策にはどのような政策があるのか。大きくわけると、現金給付と現物給付がある。現金給付は児童手当のような単純な所得移転のほか、税制や育休制度を通じた金銭的支援も含まれる。

 現金給付は多くの先進国で実施されていることから、研究結果がかなり蓄積されてきた。その成果から判明しているのは、現金給付を増やすと確かに子どもは増えるけれども、増える度合いは控えめで、費用対効果で見るとあまりおすすめできる政策ではないことだ。

 日本の場合、児童手当の総額を10%増やそうとすると、1300億円あまりが必要になる。それだけの予算を積んでも、出生率は現状の1.3から、1.31か1.32くらいにしか変化しない。

 子どもが増える度合いが小さい理由について、アメリカの経済学者でノーベル経済学賞を受賞したゲイリー・ベッカーは、子どもの量と質の間にはトレードオフがあると指摘している。子育てに使える予算は各家庭で概ね決まっているので、人数を増やすと1人当たりにかける金額は少なくなり、1人当たりに多くかけると人数は増えない。

 特に先進国では、家計所得が増えると習い事に使うか、もしくは私立の学校に入学させるなど、1人にお金をかける傾向がある。その結果、子どもを育てるのには金がかかるという相場観が生まれて、子どもは持てないと感じる人が多くなってしまうのだ。

 一方の現物給付は、幼稚園や保育所の利用に対する補助などを指す。日本ではかつて保育や幼児教育の充実度が低かったため、この10年くらいの保育園を拡充する取り組みや、待機児童を減らす取り組みには意味があった。もしも取り組んでいなければ、出生数はもっと大きく減少していただろう。

 そう考えると、少子化対策で優先すべきなのは現物給付だ。まずは子育ての基本的なニーズを満たすサービスを、現物給付によって提供することが重要になる。現金給付は低所得層の家庭にとっては一定の効果があることから、補完的に行われるべきだろう。

岸田政権の現金給付策に懸念

 政府は今年3月に少子化対策のたたき台を明らかにした。ところが、柱とされている政策の1つが現金給付だ。諸外国に比べて日本は児童手当の金額が少ないので増やすということだが、前述したように、諸外国では現金給付が出生率引き上げにあまり効かないことが実証されている。それなのに、なぜ追随するのか疑問だ。

 児童手当増額の目的が出生率の引き上げではなく、何かの負担軽減や貧困対策であれば一定の意義もあるかもしれない。しかし、そういった説明はなく、少子化対策として3兆円、4兆円といった支出が見込まれている。多額の予算が実際に使われて、出生率に跳ね返ってこなかった場合には、大きな失望を生み、政府に対する信頼が損なわれる可能性が高いと懸念している。

 また、児童手当については所得制限の撤廃も打ち出されている。撤廃した方がいいとは思うが、個人的には優先度は別に高くないと考えている。所得制限をめぐる政治的議論が一時期高まったことに対しては、リソースを空費した印象を持っている。

 政策の柱の1つで期待できるのは、保育の充実だ。特に誰でも保育園を使えるようになる新たな制度は、かねてから賛成しているアイデアだった。集団生活は子どもの発達にプラスの影響があることも、研究によって明らかになっている。

 また「ワンオペ育児」という言葉があるように、母親の精神的な負担感を軽減する効果も大きい。保育園を使えることで、子育てのストレスが減り、心理的幸福感が上がる。その結果、母親から子どもに対する体罰が減少したというデータもある。

 もう1つの柱に、育児休業給付の引き上げがある。出産後の一定期間内に「産後パパ育休」制度などで夫婦がともに育休を取得した場合、最長で4週間は手取り収入が変わらないようにすることが検討されている。

 この引き上げによって、育休を取らない言い訳がひとつ減ることになり、今よりも取りやすくなるのではないだろうか。それでも育休を取りにくい状況が続くのであれば、制度が悪いのではなく、働き方改革に取り組んでいない組織に問題がある。ボールが政府から民間企業に渡された形になるだろう。

 育休制度が始まったのは約30年前からで、女性が取ることについては当たり前になった。一方、2021年度の男性の育休取得率は13.97%。過去最高の数字だが、政府が2025年までの目標としている男性の育休取得率30%とは大きな差がある。これまで男性の育休は「仏作って魂入れず」の状態が続いてきた。少しでも取れるようにしていく努力が必要だ。

政府は政策を検証し、国民の信頼を得る努力を

 政府の少子化対策は、6月中にも具体化される見通しだ。ただ、財源についての議論は定まっていない。一般的な国民感情からすれば、新たな負担なくやってもらいたいと考えるのは当然のことだ。ただ、既存の予算や社会保障支出を見直しても、どうしても足りない部分は出てくる。

 その際に有力視されているのが、社会保険料の引き上げで、政治的にも通りやすいと見られている。しかし、社会保険料は会社が一緒に負担するものの、引き上げによって給料が伸び悩む可能性もあり、結局は労働者が負担することにかわりはない。そのため、負担する人と恩恵を受ける人がかぶる問題がある。

 個人的には消費税のような形で、全世代で薄く広く負担する方がいいと考えている。消費税はよく逆進性の問題が指摘されるが、逆進性を解消するために、低所得の家庭に対して給付をしている国もある。私が以前住んでいたカナダでは、給付が必要な家庭には、年度末に小切手が送られていた。日本でも別の給付と組み合わせることで、逆進性の問題はある程度解消できる。この方法は社会全体にとっても悪くないだろう。

 ただ、今回の「異次元の少子化対策」が仮に全部実現して、経済的な支援が増えて、制度がより良く変わったとしても、それだけで子どもを育てやすい社会になるとは言えない。

 出生率が2.95まで上昇したことで知られる岡山県奈義町は、町予算の約15%を子ども関連予算に使っている。加えて、子どもや子育てをする親を応援する気運が、街全体で生まれていることが大きい。社会全体で意識が変わらなければ、日本全体が奈義町のようになるのは難しい。

 また、実施する政策の検証も欠かせない。政府によるこれまでの政策は、常にやりっぱなしだったと言っていいだろう。過去の政策の効果がわかっていれば、税金を有効に活用できるが、そういった蓄積はほとんどない。これは自治体も同じだ。検証する過程でこの政策はだめだとわかればやめればいいし、もっと効果がある政策も見えてくる。検証は今日からでも始めてほしい。

 もっと言えば、政府は国民から信頼を得ることの重要性を考えるべきだ。目的税のように徴収した税金が別のことに使われたり、最近も防衛費増額の財源として復興税が使われそうになったりするなど、国民の信頼を失うようなことが繰り返されている。

 福祉国家と呼ばれる北欧の国々は、福祉の財源として高額な税金を徴収されていても、国民が政府を信頼している。日本の場合は、政府が国民から信頼を得る努力をこれまでしてこなかった。今からでも努力するべきではないだろうか。岸田首相にも、国民の信頼を得られるような少子化対策の演説を期待したい。

<聞き手・編集部 田中圭太郎>

<山口氏略歴>
山口 慎太郎(やまぐち・しんたろう)
東京大学大学院経済学研究科教授。内閣府・男女共同参画会議議員なども務める。
1999年慶應義塾大学商学部卒業。2001年同大学大学院商学研究科修士課程修了。2006年アメリカ・ウィスコンシン大学経済学博士号(Ph.D.)取得。カナダ・マクマスター大学助教授、准教授、東京大学准教授を経て2019年より現職。
専門は労働市場を分析する「労働経済学」と結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」。
『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書)で第41回サントリー学芸賞を受賞。『子育て支援の経済学』(日本評論社)は第64回 日経・経済図書文化賞を受賞。2021年に日本経済学会石川賞受賞。

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