コロナ禍が日本と日本人にもたらしたもの
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コロナ禍が日本と日本人にもたらしたもの

【経験の乏しい感染症危機に直面した日本。「自粛と要請戦略」は正しく機能したか。国民の不安が取り除かれなかった要因を考察する】

西田 亮介(東京工業大学准教授)

乏しかった感染症危機の経験、対策、備え

 1年半近い期間に渡ってコロナ禍が続いている。感染は拡大と縮小を繰り返すことから、波に例えられることがある。本稿執筆時点は第5波の渦中にあるとされ、まだ収束がいつになるのかは見通し難い事態が続いていることになる。
 コロナ禍は国民生活、経済、政治に多大な影響を与えており、明らかに歴史に刻まれる全世界的危機と化した。日本列島に暮らす我々が幾度も経験してきた危機の代表例は地震災害だ。不幸なことだが、これまで幾度も震災を経験したことで、日本の震災対策は相当細やかな配慮と改善がいまも続いている。
 それに対して感染症危機の経験、対策の蓄積、備えは乏しく、政府も社会も対応が追いついていないことは認めざるをえないはずだ。残念ながら、危機対応政策は経験回数や頻度が多いものほど諸対応が進み、備えの必要性に対する社会的合意も取りやすいものとなることが経験的に知られている。全世界的で、長期化する感染症危機に対する経験的蓄積はやはり乏しかった。政府行動計画や演習は行われてきたが、社会は危機になれておらず、また早期に新型インフルエンザ等の経験や蓄積を棚卸しすることに失敗した。

【引き続き「コロナ禍の新規性」に続く】

コロナ禍の新規性

 コロナ禍の新規性とは何か。地震を始めとする自然災害と比較すると、少なくとも、時間の経過に比例「しない」復旧状況、感染、重症化、検査などの確率的現象の多さ、政策の社会経済活動への影響程度の大きさといった新規性を指摘できる(実際にはもっと多くの差異と新規性がある)。
 自然災害は概ね、時間の経過とともに復旧復興が進捗する。地震や津波、豪雨災害で壊れた建物、道路、店舗などの復旧は進む。換言すると、復旧復興、あるいは人が離れてしまってそれがなされないことに対する見通しが比較的立ちやすい。コロナ禍は違う。行動量や、理由はどうあれ人と人の接触量や頻度次第で一度抑え込んだとしても感染は容易に再拡大を繰り返す。
 また感染症の生活、社会、経済への影響の諸側面には、死亡率、重症化率、陽性率、偽陰性、偽陽性をはじめ確率で表現される多くの事象がつきまとう。確率的事象はしばしば人間の直感に反したり、都合よく解釈されたりする。事象が一律に生じるわけでもなく、理解が難しい。例えば観測される震度は地域単位でみれば概ね一律であるように(ただしその影響の顕在化の仕方は建物の耐震構造など一律ではない)、自然災害はある地域単位で概ね一律に観測される。震度や降雨量は地域単位で大きくは変わらない。
 抽象的に表現するなら、自然災害は面的に影響が顕在化しがちである。それに対して、職業、家族構成、勤務形態等々、コロナ禍の影響の受け止め方はより多くの変数の影響を受けるように思われる。同じ地域に住んでいるとしても、在宅勤務やテレワークが容易な職種や勤務形態を選択する裁量の余地が多い職種であれば、行動変容や生活変容もそれほど難しくないかもしれない。その一方で、オンライン化が難しく対面、対人が必要になるような職業に従事している場合には、行動変容や生活変容は相当困難だ。子どもや高齢家族の有無なども影響する。同じ地域に住んでいる場合でも、自然災害と比べるならコロナ禍の生活への影響の現れ方のほうが個別性が高いといえるはずだ。同じ地域でも感染症に対する感受性は相当多様であると考えられる。
 加えて、感染症の拡大防止や治療を定める感染症対策の政策それ自体に多くの副作用としての生活や経済への否定的影響が認められる。これは自然災害における復旧復興政策とは相当程度異なる点だ。日本の場合、国民の自粛と政府、知事らによる要請が主要な感染症対策に据えられている(以下、「自粛と要請戦略」と記述)。

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日本の「自粛と要請戦略」

 他国と比較しても自粛と要請戦略の是非は必ずしも明確ではない。自粛と要請戦略を中核に据えるということは、国民や事業者の裁量の余地が多く残されるということだからだ。それは非民主主義国家のみならず、法的根拠に基づいて強力なロックダウンを行った国々と比べても、感染症危機下の日本には多くの自由が残されていた。最近では、欧米で見られた法に基づくロックダウンが肯定的に捉えられがちだが、個人、事業者の選択の余地を減らし、強く影響を与えることには注意が必要だ。
 そして、だからこそそれらが機能する前提条件に目を向けるべきだった。日本の緊急事態宣言は、極めて緩やかな一方で多くの人の協力があって、第一波は混乱しつつも予定されていた東京五輪2020を1年延期しながら、いったんは相当の収束状態にたどり着くことができた。
 それが政治の慢心を招いたようにも思われる。当時の安倍政権の振る舞いは「前のめり」と評された。表向きでは国民の生命が最優先という趣旨を口にしながら、専門家の懸念をないがしろにしながら性急に経済の立て直しに強い関心を向け、実際に政策を動かし始めた。緊急事態宣言解除やGoTo関連事業の実施などだ。また期せずして、政権の膿ともいえる多くの政治とカネを巡るスキャンダルも噴出した。低投票率下で高い支持を集め続けた安倍政権は歴代最長政権の地位を築いたのち、健康悪化が理由であっけなく退陣した。それでも感染状況は、現在と比較すれば低い水準に抑え込めていた。その状況が直ちに欧米に劣る状況だったといえるだろうか。そのことは感染対策の「改善」を考えるうえで忘れないようにしたい。 
 安倍政権継承を掲げた菅政権だったが、出だしから学術会議任命拒否問題で大きく躓くことになる。その後も、クラスター数でいえば事業所(職場)なども相当のものだった一方で、飲食店に対する厳しい自粛要請が対策の中心で有り続け、その合理的理由について政治家の口から明確に語られることも、傾聴に値する姿勢での依頼が表現される機会は決して多くはなかった。むしろ情報番組やネットに表出する都度の「民意」をつまみ食いし、都合よく政治の追い風にしようとする「耳を傾けすぎる政治」が蔓延した。

緊急事態宣言下での東京五輪

 緊急事態宣言が幾度も発出され、政府、知事は自粛を要請しながら、東京五輪の開催可否について明言される機会もほとんどなく、意思決定は幾度も(開催直前まで!)先送りされ続け、開催するとなっても、どのような感染防止対策が講じられるのかははっきりせず、報道や野党質問を通じて幾多の例外があることも明らかになった。
 そして東京五輪と第5波の感染拡大期は完全に重なった。華々しく世界中のアスリートたちが活躍する傍ら、感染の拡大は東京を中心に過去最高を更新し、ワクチン接種も開幕前に期待されたほどには進まなかった。
 自粛と要請戦略は、本来は緊張関係にあるはずの政府―国民関係の一時的な休止と信頼関係が機能する前提であることは論をまたないはずだ。法的サンクションに乏しく、直接的なインセンティブもほとんど見当たらないのに、多くの人々が政府の要請通りに動くためには当然のことだ。
 しかし本稿のここまでのごく簡単な概観だけでも、前政権、現政権ともに信頼の前提となる説明と説得は不十分だったといわざるをえない。政治とカネをはじめとする政治のスキャンダル、東京五輪2020とその他の社会的活動についての落差が同時期に露呈したし、その理由が詳しく説明されることはなかったし、「五輪開催が感染収束に貢献しないとしても、五輪開催に意味があるので開催したい」という説得や依頼が国民に対してなされることもなかった。曖昧模糊としたまま、東京五輪2020は実施され、幕をおろした。
 直接の因果関係こそ明確ではないが、感染は拡大を続け、東京を中心に、入院や検査が追いつかなくなり「自宅療養」を余儀なくされ、その自宅療養中に亡くなる人が続出する有様だ。自粛と要請戦略の前提となる信頼関係は崩壊した。
 当然不安と不満は広がるばかりだった。社会学者ジグムント・バウマンは著書『液状不安』(青弓社、2012年)などを通して独り歩きする曖昧模糊とした不安を論じた。バウマンは眼前に迫る身体的危機に対する不安を直接的不安と呼び、独り歩きする不安を間接的不安と呼んだ。

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「不安」と「予見可能性」

 拙著『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版、2020年)などではこうした不安を巡る問題と「予見可能性」の問題に言及した。それが好ましいものであれ、好ましくないものであれ(そして正確であろうがなかろうが)、人も経済も何らかの合理性や根拠に基づいて先行きの見通しがたつとき、それにしたがって生活設計や事業形態などを適用させようとし複雑性に対処することができる。
 休暇をどう過ごすか、生活をどうするか、どこに住むか、事業を続けるかそれとも廃業するか、業態転換をするかといったことまで社会経済生活は選択の契機に満ちている。もちろん予想通りに選択が進むというほど単純なものではなく、またそれが良い悪いという話でもない。それでも、多くの人にとって、先行きの見通しがたつということは生活や事業に安心して取り組むうえで不可欠な要素といっても過言ではない。予想がとくに悪い方へ、悪い方と裏切られるのなら、不安と不満は募るばかりであろう。
 そうでありながら、長期的な感染症危機という新たな危機に対して、日本でこうした人間的側面やヒューマン・ファクターを念頭においた政策上の工夫は、ほとんどといってよいほどなされてこなかった。成熟した自然災害対策では生活上の配慮や、対策における報道やワーディング等への配慮、NPO等との緊密な連携などがなされるようになっているが、感染症危機においてはとても十分な配慮がなされているとはいえないのが現状だ。
 政治にもその影響は顕在化しているようでもある。各社の世論調査において、政権支持率は下落し、不支持率は上昇し続けているし、政府対応への評価や不安感情は高止まりしている。ただし政策に対する潜在的な不信感や諦念は決してコロナ禍に伴ったものではなく、日本社会において相当普遍的なものであることも付言しておきたい。内閣府が長期間にわたって定期的に実施している「社会意識に関する世論調査」のなかに、「国の政策への民意の反映程度」を問う項目がある。実態というよりは、人々の主観を問う項目である。一瞥してわかるのは、政権や政策動向に限らず、昭和末期から令和の現在に至るまで一貫して「反映されていない」という回答が「反映されている」という回答を大幅に上回っていることである。日本の場合、感染症対策以前に、政策全般に対する期待感が乏しかったともいえそうだ。
 最近もワクチン接種や感染症対策で「分断を防ごう」という趣旨のメッセージが散見される。しかし本来なら、分断の存在を前提とすることに出発点があったのではないか。「分断を防ごう」という問題意識に共感できなくもないが、そもそも成熟した自由民主主義社会において、人々とその認識は定義上、多様であるはずだし、多様であるべきだ。そうであれば行うべきは「分断を防ぐ」ことではなく、必要なのは感染症危機に際しての政権―社会における広範な信頼関係構築であったはずだ。このような見立てをとるとき、この間に発せられてきた様々な政治の言葉を省みると、様々な懸念を見出すことができる。あまりにちぐはぐで、生活や事業において長期的な予見可能性を構築することは難しかっただろう。

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情報流通面での課題

 事前に指摘されていながら、対策されてこなかった問題もある。2009年の新型インフルエンザの国内感染拡大を受けて、2012年に新型インフルエンザ特別措置法が成立した。この間の官民での総括でもリスク/クライシス・コミュニケーションや、広報に関する課題が指摘された。
 まだ公的機関がアカウントすらもっていなかったSNS黎明期だった当時と比べると、情報環境の複雑さは格段に増し、情報環境の中心はマスメディアからSNS中心に変化しつつある。そうでありながら、具体的な発信や広報の国、地方のガバナンス上の調整と工夫は不十分で、もっぱらリーダーのカリスマ/非カリスマ的発信に依存することになった。それどころか、厚労省が手一杯で定期的な記者レクの頻度は却って落ちているとも聞く。必ずしも感染症と感染症対策に詳しいとはいえないメディア関係者の理解を改善する機会は却って減じていることになる。
 情報流通と不安の観点でいえば、国、地方自治体だけではなく、メディアにも課題が残る。第1波のときの買い占め行動、五輪報道とコロナ報道の共存の在り方、政府対策周知への協力との兼ね合いなど放送の影響は大きい。良くも悪くも放送はいつもどおりなのかもしれないが、「放送が公共の福祉に適合」していたかどうか、あるいは今の在り方が好ましいのかどうか、現代において放送が公共の福祉に適合するとはいかなる状態なのか自律的な再検討を期待したい。
 本稿ではごく簡潔にコロナ禍という危機を、主に自然災害と比べながら、非線形的な復旧、確率事象の多さ、政策の影響の大きさといった新規性が認められる一方で、こうした状況における政策における人間理解、それは不安と不満に対するマネジメントの必要性に対する理解が乏しかったし、軽視されたといわざるをえない状況を振り返ってきた。不安と不満は予測し難い脊髄反射的反応を招き、ワクチン忌避など感染症対策にも影響する。感染症対策上の私権制限に対する過度な賛意などにも繋がるかもしれない。新型インフルエンザ特別措置法はコロナ禍のような長期的感染症危機を経験して作られた法律ではない。コロナ禍も踏まえて、その他の論点共々、いずれ国/地域主導の在り方含めた再検討が必要だろう。危機における旧くて新しい問題に今度こそ対処できるのか議論の行方を注視したい。

<執筆者略歴>
西田 亮介(にしだ・りょうすけ)
1983年京都生まれ。博士(政策・メディア)。専門は公共政策の社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
同後期博士課程単位取得退学。同助教(有期・研究奨励Ⅱ)、中小企業基盤整備機構、立命館大院特別招聘准教授等を経て、2015年9月東京工業大学着任。
著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『メディアと自民党』(角川書店)、『情報武装する政治』(KADOKAWA)ほか多数。

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