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コロナ禍の災害報道 「熱海・土石流」取材の中で

 【コロナに対する厳戒状況が続く中、発生した大規模土石流。迅速性、正確性が求められる災害報道と、コロナリスク回避のはざまで苦闘した地元放送局の記録】

鈴木 宏典(SBS静岡放送 報道制作局報道部長)

大規模土石流の発生

 その日、静岡県内では梅雨前線による激しい雨が断続的に降り続いていた。
 被害が出た地域からの中継を放送した直後、本社に飛び込んできたTwitter映像には、真っ黒な土砂が多くの民家を一気に押し流していく様子が映し出されていた…

 7月3日、熱海市伊豆山で大規模土石流が起きた。
 土砂は集落を丸ごと飲み込み、26人が死亡、いまだ1人が行方不明のままだ。発生から5か月が経った今も、捜索活動が続いている。現場には報道部約20人の記者全員が交代で入り、被害の惨状を伝えた。しかし、私を悩ませたのはもう1つ、常につきまとう新型コロナ感染のリスクである。まさに“禍の中の災い”。未体験の災害報道となった。

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 土石流を覚知後、支局、本社の記者・カメラマンは一斉に熱海へと向かった。同時に系列各局から応援クルーの連絡も入ってきた。大規模災害の発生に、取材陣が全国から熱海を目指していた。

 当時、国内のコロナ感染は第4波が下火になっていたものの、東京・神奈川・大阪・福岡などではまだ「まん延防止等重点措置」がとられていた。一人でも多くの記者を現場へ、と手配を進める一方で、全国からのクルーの集中で、感染リスクが高まることへの懸念もあった。この時SBSでは、コロナの感染拡大エリアへの往来は原則禁止され、首都圏在住者との接触もできる限り避けることになっていた。局内でも数日前に感染者が出たばかりで、複数のクルー、そして被災者との接近、接触は極力防ぎたかった。熱海に向かうスタッフにはマスクの着用はもちろんのこと、複数人一緒の車移動の回避、できる限り県外クルーや被災者との距離を保つことなど、改めて感染対策の徹底を呼びかけ、現地へ送り込んだ。

【引き続き「高まる現場のコロナ感染リスク」へ続く】

高まる現場のコロナ感染リスク

 しかし、現場のリスクは高まる一方だった。2次災害予防のため立ち入り禁止区域が設けられ、取材ポイントが限定された結果、クルーが集中して「密」になった。特に被災者を囲むインタビューの際はカメラが群がる状況となったため、熱海市側も被災者への感染を心配し、密集を避けるよう度々メディア側に要請した。これを受け現場では、幹事社を中心に各社が協力し、状況の改善を試みた。一例を挙げると、市役所での罹災手続きの取材である。幹事だったSBSの記者は、取材する被災者を限定し、撮影時間も制限するよう調整。インタビューは広い場所に移動して対応することとした。また、連日の熱海市長会見は、通常は各社のカメラがずらりと並ぶ状態であるが、途中から1社代表取材とし、素材を共有した。
 熱海市伊豆山は高齢化率が高い地区であり、被災した高齢者が取材陣から感染することは絶対に避けなくてはならない。そうした意味でも緊張感を持って取材を続けた。

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 SBS本社にも、系列局から応援スタッフが入った。当然ここにもコロナのリスクが伴う。原則として来客の入館は禁止としていた時期である。応援スタッフには、到着後の挨拶もそこそこに1階の応接スペースで抗原検査を実施してもらい、陰性を確認して初めて入館、報道フロアへ招くというルールとした。本社スタッフとの接触は最小限にし、翌朝にはPCR検査もお願いした。食事も社内の食堂は使わず、離れたスペースで『黙食』を徹底。可能な限りすべての対策で、本社側も「禍」と闘っていた。

有効だった「ホテル避難」

 このとき熱海では、土砂が作業を阻み、捜索活動が難航していた。500人以上の住民が避難を余儀なくされた。避難所におけるコロナ感染も、発生当初から懸念されていた。
 しかし今回、観光地という土地柄、宿泊施設が多かったこともあって複数のホテルが避難所になるという異例の対応が実現した。ホテルでの避難生活は、コロナ感染防止の面でも大きな役割を果たしたのである。通常、災害時の避難といえば、体育館や公民館などが一般的。つまり、一つの空間に大人数が集まり、感染の危険性が高まる。しかし、ホテルが避難場所として提供され被災者が個室に分かれたことから、居住環境と感染リスク低減という2つの面で大きな効果があった。ホテルでの避難生活が終わるまでに要した約4カ月の間に避難所での被災者の感染は報告されなかったのである。この間、全国では感染者が増加し、第5波へとつながったことを考えると、コロナ禍でのホテル避難のメリットは非常に大きかったといえる。また、我々のもどかしさはあったものの、外部を遮断できる状況下で取材陣との接触が最小限になったことも、避難者の負担を減らすことにつながったのではないか。

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 取材体制としても、同様である。熱海・静岡間の距離は約90キロ。スタッフは泊まり込みとなったため、現地と本社との往来は交代時にしか生じない。現場の温度感を本社側が掴みにくいというデメリットもあったが、本社と現場との人流は最小限に押さえられ、ウイルスを社内に持ち込むリスクは軽減されたといえる。

 一方で、スタッフの入れ替えについても問題があった。発生当初から現場には4~5クルーを交代で投入しており、熱海から戻ったスタッフが通常業務に復帰するまでの「2日間」が大きなネックとなった。

 首都圏のスタッフと接触があったことを踏まえ、熱海から戻ったスタッフは全員、熱海を出てから48時間以降に「PCR検査」を実施した。陰性を確認してから本社業務に戻ることを原則としたが、この過程に2日間を要するため、取材人員が不足するという状況に陥ろうとしていたのだ。もちろん、検査費も嵩んできていた。

 こうした綱渡りの状況ではあったが、なんとか発生から1か月を乗り切った。この節目を機に各社とも態勢の縮小が始まり、SBSも発災後1か月の特番を放送後、徐々にクルーの数を減らした。5か月が経つ現在は、伊豆の2支局を中心に現地1クルー体制で取材を継続している。

 熱海市によれば、これまでのところ、被災者、市の職員、報道関係者のいずれにおいても災害取材によるコロナ感染者はいない、ということだ。被災された方々の健康や生活にさらなる負担をかける事態を招かなかったことに安堵する。

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 “禍の中の災い”はまさに2つの戦いだった。記者たちは懸命に取材をしながら、災害とコロナ感染、両方の安全を確認しあっていた。また、改めて被災された方々への配慮の重要性を身にしみて感じたことだろう。災害報道は、知らず知らずのうちに傷ついた被災者の心に土足で踏み込んでしまうことがある。しかし今回はコロナ感染というリスクを意識したことで、より慎重に被災者と接することを心がけたはずだ。自分の取材で、被災者をさらに苦しめる事態を生んでしまったら・・・その緊張感が「感染ゼロ」の状況を作ったのではないか。

 SBSでは土石流発生から2か月が経った9月から「熱海、再生へ」と題したシリーズを放送し、前を向いて歩きだした住民たちの姿を描いている。すっかり姿を変えてしまった伊豆山では、現在も大量の土砂が残り、復旧への道のりは長い。コロナとの闘いも終わりは見えていない。私たちは引き続き細心の注意を払いながら、被災者の心と体の安全を何よりも優先し、熱海を見つめ続けていきたいと思う。

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<執筆者略歴>
鈴木 宏典(すずき・ひろのり)
1970年生まれ。静岡県出身。
1993年入社。報道制作局TV制作部でドキュメンタリーを中心に番組を制作。
2001年 報道制作局情報センター
2006年~2009年 JNNニューヨーク特派員
帰国後、報道デスク、編集長
2018年 編成業務局編成部長
2021年2月~報道制作局報道部長

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